2018年6月句会報

句会報告一部を紹介します。
兼題 : 蓮、泉、梅雨

白蓮やわが息と知りしづかにす
大森健司
ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
蓮の葉に乗りてこの世の果てにをり
速水房男
喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
蓮の葉のゆりかご揺らす朝日かな
武田誠
青田なる傘から去年(こぞ)の蛙降る
松浦美菜子
株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
投石やトレビの泉に思い消ゆ
池上加奈子
露地ぬけて踏み石濡らす梅雨入(ついり)かな
白川智子
あの頃の思い出さがす金魚草
前川千枝
猫眠る椅子にさみだれ近くして
臼田はるか
缶麦酒ケチりて靴を捨てにけり
中谷かける
日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
胸の内明かすものかと冷奴

子宮(ウテルス)やをんなに七つ泉あり
三谷しのぶ
白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷

ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
「森」中央支部特選。
まず、「ひとごとのやうに梅雨来て」という措辞が巧みである。
ここでいう「ひとごとのやうに」は、季語である「梅雨」にも「電話」にもかかっている。
そして、下五で「電話鳴る」という具象的な日常を詠んだところに作者の俳句的素養を感じさせる作品。
「電話鳴る」という措辞を持ってきたことによって、突然聴覚を刺激するところも非常に良い。

六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
「森」中央支部特選。
これは季語の「六月」が一見、大雑把であるようで非常に効いている。
例えばこれが、
十月や手にのるだけの贈り物
となれば、これはこれで通用するのであるが俳句的になりすぎて、面白味に欠ける。
六月という季語が絶妙である。
又、「手にのるだけの贈り物」という措辞が大変、輝美らしく好感が持てる。
言葉が平明で処女性がある。
良い意味でチマッとした作品は愛おしい。
個人的に今月の中で一番好きな作品。
六月の例句の好きな作品としてひとつ挙げる。
六月の女すわれる荒筵(あらむしろ) 石田波郷

喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
「森」中央支部特選。
これは兼題の「泉」の中でも非常にダイナミックな作品。
勿論、「喉ならす龍のこゑ」というのは想像の虚像の世界であるが、それが良い。
もし作者が、実際に龍の口から泉が出ている情景を、詠んだとしたら凡句、駄句である。
この作品は、作者独自の感性が鋭く光っている。

株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
「森」祇園支部特選。
ついりとは、勿論、梅雨入りの意である。
6月の日本の風物詩と言える株主総会の情景が色々な音の表現により鮮明に浮かび上がる。
ヒートアップした空気をクールダウンさせるついりの転換が見事。
口は災いの元とよく言ったものだが、自然賛美の力で己の奢りを反省し、謙虚さを取り戻す、まさに男の生き様が現れているような作品。

日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
「森」中央支部特選。
この句は、私大森健司以外句会では誰も並選にも採っていない。
しかし、この言い切り、切れ字は使っていないが「切れ」こそが俳句の本質である。
静かな日常を詠みあげながらも、そこには生活の断定がある。
それは季語の「日々草」からも読み取れる。
日々草とは決して派手な花ではない。
しかし、日々草を植えて「本日善き日なり」と言い切るところに作者の人間力としての豊かさ、大きさを感じるのである。

胸の内明かすものかと冷奴

「森」名古屋支部特選。
これは、作者の思いと季語の「冷奴」がしっかりとリンクしている。
胸の内を明かすものか、という思いは男女共にあるが、季語に「冷奴」を持ってきたことによって男性的な視点俳句だと分かる。
また「冷奴」によって作品そのものがしまっている。
男性ならではの意地と追想を感じさせる作品。
女性なら「冷奴」は、こういった創り方になる。
冷奴寄りそふことをおそれつつ 西川輝美
俳句は微妙な季語の付け方や措辞によって、人間性が露わに見えてくる。
そこが面白味でもある。

子宮(ウテルス)や女に七つ泉あり
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
子宮をウテルスと詠んだ句は始めてである。
また、「女に七つ泉あり」という措辞が色々な解釈を詠み手に広げる。
七つというと、まず想像するのはキリスト教、カトリックの七つの大罪である。
七つの大罪に関しては様々な解釈が現在もあるが、高慢・物欲・嫉妬・憤怒・色欲・貧食・怠惰の七つである。
作者がこの七つの大罪から「七つの泉」としたか、どうかは定かではない。
全く別の「七つ」であっても良い。
そこは詠み手の解釈による。
どちらにせよ感性が鋭く、「泉」の使い方がこれまでの例を見ない作品であることは違いない。

白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
あえてルビはふってないが、私の以下の作品と同じで、白蓮は(びゃくれん)と読む。
白蓮やわが息と知りしづかにす
この作品からは輪廻転生の仏教観を感じる。
また「天に召される音ひとつ」が絶妙。
蓮が開花する時にはポンと音が鳴る、この真偽は分からないとされている。
天に召されたのが、一体何であるかは全く詠まれていないが、それがかえって俳句の本質である省略の文芸の基本であり、広がりと余韻を持たせている。
昌三の
電話鳴る、と同じく 「音ひとつ」の下五の表現の転換が見事。
当然、特選に値する作品。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
スポンサーサイト

2018年5月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 陽炎(かげろふ)、虹、リラ

竹の子やをとこは月を彷徨す
大森健司
相席やお日柄もよくかぎろへり
菅城昌三
かげろふや何かを捨ててひとつ得る
西川輝美
山吹の袈裟通り過ぐ遊糸かな
速水房男
陽炎や過去から母が追ってくる
河本かおり
初夏のがらりと変はるリトマス紙
武田誠
椅子ふたつこころに架かる虹の橋
松浦美菜子
リラ冷えや女の胸に翳(かげ)りあり
山本孝史
短夜の夜明けに満たぬ心かな
池上加奈子
雲幾つ山は静かに陽炎へり
白川智子
虹の輪の消えゆるまでに髪を断つ
前川千枝
リラ咲くやふり返るには遠き丘
臼田はるか
酔ひさめて夜のガードのかぎろへり
中谷かける
リラ冷えや鏡の部屋に荷をほどき
上田苑江
聖五月我に囁く女あり

この声も融かしてダリの夏時計
三谷しのぶ
坂道やリラの咲く頃またひとり
柴田春雷

山吹の袈裟通り過ぐ遊糸かな
速水房男
「森」中央支部特選。
ここでいう「遊糸」とは兼題である「陽炎」の意。
「山吹の袈裟通り過ぐ」という措辞が幻想の世界でもあり、虚構の世界でもあり、ありありとした現実の世界でもあり、大変魅力的。
まるで泉鏡花の幽玄の世界観である。
これを見て真っ先に思い浮かぶのが次の一句。
炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島 森澄雄
速水房男のここ数ヶ月の特選作品は彼自身の代表作品として並ぶ程に素晴らしい。
早く処女の句集出版を期待するひとり。

酔ひさめて夜のガードのかぎろへり
中谷かける
「森」祇園支部秀逸。
酔いがさめても、さめない目の前の現実社会という二重構造が面白い。
酔いたくても酔えないのかもしれない。
悪夢が続いているようでもある。
一見静かなようで、焦燥感や不安感が詠み手に迫ってくる、動きのある作品。
俯瞰とは違った、傍観者の目にうつる虚構の世界が季語の「陽炎」にある。

虹の輪の消えゆるまでに髪を断つ
前川千枝
「森」祇園支部秀逸。
淡い光を帯びた虹の輪の柔らかさと、髪を断つ固きもの、その間に揺らぐ作者の立ち位置が絶妙である。
消えゆるまでのという、コントラストのはっきりしない刹那的な中に浸っていたいけれども、もうそこにはいられない女性ならではの立ち位置での目線が新鮮に思えたのである。

リラ冷えや鏡の部屋に荷をほどき
上田苑江
「森」中央支部特選。
この句は、何気ない旅行終りの様を非常に明確に鮮明に捉えている。
季語の「リラ冷え」と「鏡の部屋に荷をほどき」という情景の措辞がこの上なく良い。
私大森健司の好きな作品のひとつに江戸川乱歩の『鏡地獄』という短編がある。
まず、それを思い出した。
そして鏡の寒々しい景色を絶妙に転換させる「リラ冷え」の季語。
作者は、確実に人間力を俳句の力に転換してきている。

坂道やリラの咲く頃またひとり
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
これは非常にリズムの心地よい作品。
また、「坂道や」が何かと楽ではない状況を想像させるが、季語の「リラの咲く頃」によって不思議と救いをもたらす作品でもある。
アニメのひとコマのようでもある。
大人になると道は複雑になり、一度背負った荷を簡単におろすことはなかなか出来ない。
また「ひとり」とある作者の心は決して暗くない。
むしろ、少し軽くなっているようである。
つまり作者の姿勢は否定ではなく肯定であり、初夏によりそう軽やかでしなやかな句と言える。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2018年4月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 永き日、ふらここ、貝 全般(蜆、蛤等)

永き日やことばの砂を平(なら)しゐる
大森健司
品川や春月に荷を抱へくる
菅城昌三
朝方の夢の蒼さや花の冷え
西川輝美
過ぐる後湖(うみ)に色づく蜆舟
速水房男
老ひらくの恋や墓場のつくづくし
河本かおり
夕ぐれてふたりきりなる蜆汁
武田誠
春夕焼けふを瞼に焼き付けて
松浦美菜子
長雨の明かり蜆のひとり言
山本孝史
彼去りて残りし春のマスクかな
池上加奈子
蕨狩りとは名ばかりの昼下がり
白川智子
桜貝のようなマニキュア選びけり
前川千枝
永き日や同じ場面の繰り返し
臼田はるか
ポケットに卒業できない俺がいる
中谷かける
菜の花の尽きて夕日の膨らみぬ
上田苑江
花曇り老ひて子どもに従わず
栗山千教
風渉る知多の青踏むあをさかな
三谷しのぶ
蛤をつつき門出の日を数ふ
村田晃嗣
こでまりや夜の足音忍びつつ
柴田春雷

品川や春月に荷を抱へくる
菅城昌三
「森」中央支部特選。
日本における会社員の一般的な期初は4月1日であり、この日に本格的な春の訪れを実感するのかもしれない。
人事異動や新規事業の開始など昨年度の仕事をリセットし、気持ち新たに出向く。ス-ツを仕立てたり、バックを新調するなど、気持ちの切り替えは、新たな風をもたらす。
「春月」という朧な光景にいそいそと荷を抱えて駅に降り立つ作者の姿とのコントラストが良い。
ここで言う「荷」とは、サラリーマンのバックであっても良いし、サラリーマンの責務であっても良い。
東京の乗り換え駅の象徴である「品川」の固有名詞がさりげなく効いている佳吟。

過ぐる後湖(うみ)に色づく蜆舟
速水房雄
「森」中央支部特選。
これは季語である「蜆舟」の描写の仕方が絶妙。
近江(淡海)を長年詠みつづけた作者ならでは、の集大成作品。
さっと通り過ぎる意の一過とは違い、「過ぐる後」という、なんともゆったりとした時間の流れがこの句に絶妙な間(ま)と叙情性を持たせている。
時が満ちるまで気長に待つ心の余裕が感じられ、これは人が皆辿り着きたい境地なのかもしれない。
墨絵のようなモノト-ンの湖に絵の具を一滴垂らしたような作品。
今月の全ての作品の中で最も素晴らしい作品である。見事の一言に尽きる。

ポケットに卒業できない俺がいる
中谷かける
「森」祇園支部秀逸。
人々が浮き足立つ春に一人取り残された疎外感。
けれども決して否定ではなく、むしろ肯定の世界観が、男性なら誰もが持っていたい部分なのだと共感出来る作品。
上五の「ポケットに」が成功の鍵である。
男性独特の青春性があり、作者らしいどこか詩的なイメージを創りあげている。

菜の花の尽きて夕日の膨らみぬ
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
この句は、「尽きて」で一旦、「切れ」ている。
さりげない作品であるが、鋭い観察力の中にも温かみのある作者の佇まいを思わせる。
菜の花の黄と、夕日の赤との色のコントラストが良い。
また「尽きて」と「膨らみぬ」という「陰と陽」のバランスも良い佳吟。
生命の循環、死生観という世界観が根底に存在している。

風渉る知多の青踏むあをさかな
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
今回も作者らしいダイナミックであり、スケ-ルの大きな作品。
夏草のびっしりと生える光景になる手前、瑞々しくしげる春の草を、風がそよそよと吹き渡る情景が見事に復元されている。
映像の復元も見事。
又「青踏むあをさかな」のリフレインが躍動感を生み出し、春を全身で受け止めている歓びが感じられる。
渡るを渉ると表記することで、大地を掴むような逞しさと生命賛美、自然賛美が感じられる作品に仕上がっている。

蛤をつつき門出の日を数ふ
村田晃嗣
「森」中央支部秀逸。
兼題の貝全般の中から、「蛤」を選択し、実に晴れ晴れしい作品に仕上がった秀吟。
二枚の殻がぴたりと重なる縁起物の蛤をつついている光景が少し滑稽で、時間を持て余しているのか、または初々しい門出を迎える新郎新婦が作者の目に眩しく映るのか、様々な想像が膨らむ。
春の歓びを新たな捉え方で作句した、他に類を見ないウィットに富んだ作品といえる。見事。

こでまりや夜の足音忍びつつ
「森」祇園支部秀逸。
柴田春雷
「こでまり」という春の可憐な様を表現するのに「夜」が良く効いた作品である。
夜が少しずつ訪れる春の日永をうまく捉え、且つ「忍びつつ」という措辞が不穏な空気をもたらしている。
どこか不安定さが感じられ、不気味な一面をも持ち合わせる女性特有の視点で面白い。
又、「夜の足音忍びつつ」という措辞によって、「こでまり」の白の色彩感も浮かび上がってくる。
これが「忍びをり」「忍びたり」という俳句の世界独特の言い回しだと魅力は半減する。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2018年3月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 雛、春眠、猫の恋

くもる日はこころに蝶を昇らせし
大森健司
白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
春眠や脈絡もなくたどりつく
西川輝美
春眠のゴッホの色に覚めてをり
速水房男
ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
花冷えや雨に泊まりし柳が崎
武田誠
まったりと彼と酒酌む花の月
松浦美菜子
早暁のそおろとかえる猫の恋
山本孝史
ぼんさんも寝過ごす京の春日かな
池上加奈子
桜見や孫とかきたる床几台(しょうぎだい
白川智子
花の昼イケズな母と住みにけり
前川千枝
夜桜やはんなりとした着物きて
臼田はるか
風ふいていらちな桜散りにけり
中谷かける
潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
つばめの巣愛したことを思出す
栗山千教
隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
ホーリー祭月夜を照らす牛の列ーインドにて
村田晃嗣
ひらがながふわり浮かんで春の海
石田穂實
春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷

白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
「森」中央支部特選。
これは兼題の雛の中でも、最も優れた作品。
電話が鳴ることによって雛が取り残されている映像が、見事な「静」の世界観であり、その一方で電話に出ている人間の「動」の世界観があり、そのコントラストが見事な作品。
「白昼や」という切れ、も良い。
作者の巧みな力量を発揮している作品である。

ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
恋猫が「夜を舐めつくす」という措辞が大変面白い。
ある種の不気味さもあり、入江たか子の怪猫シリーズを連想してしまった。
癒しを求めての猫ブームの中、化け猫のイメージから毛嫌いする人間も多い。
夜な夜な油を舐めるのは各家庭に行燈のあった時代の話だが、猫の夜行性と神秘性を孕んだ、恐怖とエロスの狭間を描いた作品でもある。
こういった作品は河本かおりの真骨頂。

潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
「森」中央支部特選。
これもまた格別に優れた兼題 雛の作品。
句に格調があり、映像の復元が見事に為されている。
江戸も今でも雛人形は高価なものであり、裕福でない一般家庭で、子供の幸せを願い、手作りの人形をたくさんまとめて吊るしたことが「吊し雛」の由来である。
他に五穀豊穣を祈るなど、郷土色の強い「吊し雛」が寂れた漁村の宿をより一層鮮やかに連想させる。
潮騒にうたれて、色も剥げ落ちたであろう吊し雛が哀しくもあり、旅愁を誘う抒情的な一句。

隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
これは季語が「春土」でありながら、兼題である「春眠」を強くイメージさせる力量のある作品。
「春土白き目覚めかな」は虚と実の中間にあり、しっかりとした描写でありながらもどこか危うさを感じさせる。
ぼんやりとした春の特徴を見事に捉えている。
不思議な魅力、魔力のある一句。
同時作として、
熱き湯にいのち沈めて春の月
があり、こちらも秀吟。

春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
前書きにある桑原町とは京都御所と向かいの簡易裁判所の間にある、人の住まない道路だけの不思議な区画のことを指す。
かつて菅原道真が京都から太宰府に左遷された時、落雷が道真の怨霊の仕業と恐れられたのだが、道真の屋敷のあった桑原町だけは、落雷が落ちなかったそうである。以来、災害時など、くわばらくわばらと手を合わせることが習慣となったらしい。
京都の歴史や自然に対する畏敬の念に、「春雷」という季語の効いた格調ある作品である。


今回は雑誌掲載に「森俳句会」から私大森健司他、菅城昌三、西川輝美の2名を輩出した。
句会事前に原稿を皆が目にしたせいか、非常に良い刺激になり、いつも以上に作句への情熱を感じとれた。

柴田春雷が特選句の京都桑原町を詠んだ作品の他、京都弁や京料理に絞って作句してきたのだが、
雀の子おまっとさんと駆け寄りぬ
に祇園支部会員が反応して、急遽、京都弁俳句の「袋回し」をとり行なったことは非常に面白い出来事であった。
俳句は本来、即興、挨拶の文芸であり、大いなる遊び心が必要であると考えている。
今回村田晃嗣氏は旅先のインドにて、
ホーリー祭月夜を照らす牛の列
という秀吟を詠まれている。
これもまた、即興の極みである。
話は「袋回し」に戻り、
句暦の長い白川智子が机をかく※持ち上げる、運ぶ をさらりと詠み、前川千枝のイケズ※意地悪、中谷かけるのいらち※せっかち いずれも京都弁独特の言い回しであり、他府県の人からすれば、何のことか理解出来ない。
また、まったりはんなりそおろと、は京都の柔らかいイメージへの憧れを世間に定着させた、美しい京言葉であり、ゆっくりとした時間の流れを感じさせる。
ぼんさん※坊主 のように、「さん」をつけるのは可愛らしくもあり、京都ならではの上品さである。
京都には路地が多く、「ろおじ」と読むのが正しい。
村田晃嗣氏との雑談の中で、京都には遊郭の名残がいたるところにあり、足抜け出来ぬ様、道をわざと複雑にしていて、路地が多い一因であるという話題になった。
あの世と繋がる場所、振り向いてはいけない橋、迷宮への恐怖や抑えきれない探究心も人々が京都に惹かれ、何度も訪問したくなる理由ではないだろうか。
どんつきや振り向けば花肩にあり 大森健司
朧な春の日、何の気なしに歩いていて、気づけばどんつき※行き止まり の袋小路に迷い込んだようである。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

雑誌掲載

『俳句スクエア』20周年特別記念号(4月8日発売)に特別招待作品として「花影」15句を寄稿しています
澄む空に前世の記憶たどりけり
いざよひや哀しきいのち箸に置く 「花影」より

また、『俳句界』5月号(4月25日発売)にも大森健司作品掲載されておりますので、是非ご覧ください。

『俳句界』5月号には弟子の西川輝美、4月号には菅城昌三も作品掲載されておりますので、併せてご覧ください。

「森俳句会」に良い風が吹いて来ました。

大森健司
俳句スクエアー
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR