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2019年8月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 簾(すだれ)、西日、滴り

天瓜粉舞妓きのふの匂ひ消す
大森健司
大西日幼き臍(へそ)を奪ひ来る
菅城昌三
滴りや無音世界の片隅に
西川輝美
滴りて坂よりをんな降りて来る
速水房男
老愁の影くろぐろと母の夏
上田苑江
命日やとほく祭りの音聞こゆ
武田誠
飼い犬の水替えてをり西日中
松浦美菜子
大西日その日暮らしの部屋があり
山本孝史
母はこぶ枇杷の香りの簾過ぐ
池上加奈子
縁側の簾外して孫待てり
白川智子
背を向けて朝蝉の眼に空があり
前川千枝
西日背におぶさる記憶薄れゆく
臼田はるか
滴りの拭えど滲む言葉かな
中谷かける
青すだれいのち宿して揺れにけり
村田晃嗣
隆起せる背(そびら)真夏の陸(くが)となる
三谷しのぶ
いのち燃ゆ西日ゆらめく火焔(かえん)土器
やまだふゆめ
中華街吊られた鴨を西日灼く
柴田春雷

老愁の影くろぐろと母の夏
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
この作品には、作者の素直な観点、視点が季語の「母の夏」に凝縮されている。
この作品には戦争に対するキーワードはひとつもない。
しかし、不思議とその「影くろぐろと母の夏」から、生々しい終戦日や敗戦日、原爆忌のイメージも含ませるのである。
現代の俳句の世界に於いても、終戦日、敗戦日、原爆忌等の季語はよく使用されているが、その殆どが本質を捉えることが出来ていない。
一言でいえば、言葉が軽い。
うって変わってこの作者の作品には、「老愁の母の夏」は「くろぐろ」と現在も、その影を色濃く落としているのである。
見事な作品である。

命日や遠く祭りの音聞こゆ
武田誠
「森」祇園支部秀逸。
漢武帝の『秋風辞』に次の一節がある。
歓楽極まりて哀情多し
漢の武帝の在位は55年にも及び、前漢の全盛期に栄華を極めたが、まだ44歳の頃、既にこの心情を歌っていることに驚かされる。
季節は秋、花の薫りがたちこめ、音楽が鳴り響き、宴たけなわである。
楽しい気持ちが頂点に達するとかえって哀しい気持ちがこみあげるのは、天下を取った者だからこその心境であろう。
華やかな人生にもいつか終わりは訪れ、老いには勝てない。
この作品の「命日」は著名人の命日なのか、身内のものであるのかは分からない。
華やかな人生であったことは、推測される。
かつての賑わいを思い起こさせ、それが永遠でないことへの哀しみや寂しさ。
まさに夏の盛りを過ぎ、太陽の光が薄くなった今の季節に相応しい作品である。
作者自身も、いつか訪れる終焉に思いを重ねているようである。

西日背におぶさる記憶薄れゆく
臼田はるか
「森」祇園支部特選。
なんとも情景が目に浮かぶ作品。
強烈な「西日」を「背に」受けて、顔は逆光で見えない。
そのコントラストの隠の部分を「記憶薄れゆく」と上手く表現出来ていることが作品の成功の一因。
失いたくない思い出と喪失感。
これを「薄れけり」としてしまえば全くの駄作となる。
「薄れゆく」としたことで、まだ失っていない何かを必死に追い求めているようであり、余韻が残る。
夏の終わりの夕暮れ、まだ終わって欲しくない刹那な時を、素直に平明な言葉で描かれた佳吟。

青すだれいのち宿して揺れにけり
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
実に格調が高く、美しい作品である。
俳句に於いて「いのち」の名句といえば、次の一句であろう。
私の好きな作品の五本の指にも入る。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
これは、万太郎が亡くなる5週間前に銀座句会で出句されたものであるが、個人的に万太郎の中で一番好きな作品でもある。
久保田万太郎は稀代の戯曲家であり、俳人である。
万太郎は生涯三度妻を娶っているが、女関係を苦にしての自殺、結婚生活の破綻、最後の女性は急死と、晩年は孤独であったようである。
得ることの出来ない満足感、一緒に居ても付き纏う寂しさ、もがき苦しみ駆け抜けた人生の終焉にある「うすあかり」をこの場合、希望の光と解釈するようでは台無しである。
かえってこみあげる寂しさと捉えるべきであろう。
万太郎の作品の中で傑作と呼ばれるものにあるのは象徴性、抽象性である。
「いのち」という言葉をこれほど、さらりと、そして、「湯豆腐」という冬の日常季語を捉えた俳人は他にそうはいない。
また、平仮名の使用が多く、それがかえって叙情性を詠み手にもたらす。
ここでふたたび、晃嗣氏の句に注目してみたい。
青すだれいのち宿して揺れにけり
まず、「青簾」ではなく、平仮名で「すだれ」とある。
これがこの作品の成功のひとつであろう。
次に、無風に近いであろう夏の盛りにふいた僅かな風がもたらす恩寵。
作者の眼には「いのちを宿して」と映る。
「揺れる」という様が殊更美しく、寂しくもあり、見事な措辞である。
研鑽を積んで来られた晃嗣氏だからこそ口に出来る「いのち」の重みと儚さ。
この作品を成功に導いた、象徴性と抽象性が、季語の「青すだれ」にある。
つまり人生の象徴と言える。
万太郎と同じく平明でさらりと詠みあげていて、嫌味や淀みが一切ないことも加味して、
作者の最高傑作の一つと断言出来るだろう。
歳時記の過去の例句を凌ぐレベルと言える。
今一度、ゆっくりと鑑賞していだきたい。

隆起せる背(そびら)真夏の陸(くが)となる
三谷しのぶ
「森」中央支部秀逸。
これは、一見分かりにくいが、
隆起せる背(そびら)で一旦、「切れ」が入っている。
俳句の「切れ」とは奥が深いもので、「や」「かな」「けり」だけが切れではない。
そして、後半に「真夏の陸(くが)となる」とあり、コントラストが非常に大胆な作品。
これは作者の地元である知多半島が背景にあるのかも知れない。良くも悪くも京都人では生まれてこない発想である。
又、「真夏」という季語がこの上なく爽やかさと力強さを表現している。
作者は、健やかなエロティシズムも持っているが、その一方でこういった渇いた大胆な面も持ち合わせている。
脱ぎ捨てて立てばあかるき夏鏡
と合わせて、鑑賞すれば作者が既に立派な女流俳人であることが認識できる。

いのち燃ゆ西日揺らめく火焔(かえん)土器
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
こちらの作品は、晃嗣氏の、
青すだれいのち宿して揺れにけり
とうって変わって、「いのち」という言葉が用いれられている。
火焔土器(かえんどき)とは、縄文時代中期を代表する縄文土器の一種。燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す。
縄文模様は施されてなく、特に装飾性豊かな土器である。
ここで指す「いのち」とは人間、生命の根源的な力のことであろうと思われる。
火焔式土器について、岡本太郎著書『縄文土器論』の以下の文を引用する。

「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋廻する隆線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋に透った神経の鋭さ。常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、 思わず叫びたくなる凄みである」。

「火焔式土器」を考古学的視点からだけでなく、造形美や四次元的な空間性、縄文人の宇宙観で捉えた言葉である。
私自身も、学生時代より折口信夫や柳田国男、山本健吉氏らにより「縄文人のエネルギー」というものを学び、没頭した時期がある。
歌とはつまり、詩(うた)であり、元々の由来は訴える(うったえる)ことから始まっているというものである。
現代の私達が失ってしまった、超自然的な能力を縄文人は持っていたのだろう。
私自身もそこに惹かれている。
兼題の「西日」というのは、同じ時期の季語である「晩夏光」とは意が全く異なる。
ぎらついた西日は、衰えがない。
措辞として、「いのち燃ゆ」とありそのあとに「西日揺らめく」となると本来は、その言葉の強さに下五が負けてしまい駄作になる場合が多い。
しかし、作者はここで「火焔土器」を持ってきた。
作者の目を捉えて離さない圧倒的な存在感と生命力に対する感動。
集約のさせ方が実に見事である。
全て強い言葉を用いながら不思議なバランスと落ち着きを保っている。
作者の創作エネルギーを突き動かす情念と感動に、私はいたく、感銘した。

中華街吊られた鴨を西日灼く
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
ひと昔前の中華街の妖しさをまず感じさせる作品である。
アジア特有の良くも悪くも熱気と不衛生さが、実に上手く切りとられている。
森俳句会の毎回の課題である【映像の復元】がきちんとなされていて、強烈なインパクトを残す作品。
熱を帯びた「西日」に晒された「鴨」が無残であり、生々しい臭いが詠み手まで届くようである。
農耕民族の日本文化とは違い、アジア大陸の人を蹴落とす競争心、生存能力といった熱気が伝わり、季語の「西日」が持つ、イライラさせるほどの熱さの本質を的確に捉えている。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
「森」鴨川支部が新たに開設された。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問等につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
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文部科学省 学習指導要領改訂に向けての言語教育の在り方

京都市芸術文化協会からお声掛けいただき、全国国語教育研究大会の講師に招かれました。
文部科学省視察の公開授業ですので、身の引き締まる思いです。
文化庁の京都移転に伴い、藤田元京都市副市長主導のレジリエントシティ構想も相まって、「経済を支える文化」を今推し進めております。
変容する社会において、従来の概念にとらわれず、新しい力の積極的な登用の体制でいらっしゃる、京都市芸術文化協会の皆様とのご縁に心より感謝いたします。
「真の生きる力」を養う指導と文化継承をこれからも自分自身と向き合いながら、真摯に取り組んでいく所存です。
上記 全国国語教育研究大会の詳細はまた後日、更新させていただきます。
大森健司
kyotoartcity
京都市芸術センターにて 元明倫小学校 (国の有形文化財に登録されています)

2019年7月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 祇園祭、夕立、草いきれ

イカロスや入日の中に金魚死す
大森健司
屏風絵のうしろ暗がる祭かな
菅城昌三
黒い猫とほりすぎたる巴里祭
西川輝美
髪乱し一夜明けたる白雨かな
速水房男
祇園会や一筋うらの露地明かり
上田苑江
人待てば灯の漏れ出る祇園祭
武田誠
夏の雨いくつの恋を過ぎて来し
松浦美菜子
人々のなにに急ぐや草いきれ
山本孝史
月が出て祇園囃子の音(ね)をせかす
池上加奈子
あの日より嫌ひになれず草いきれ
白川智子
草いきれ明日を待てない夜があり
前川千枝
夕立あと緑のにほひ蘇る
臼田はるか
夕立やわずかに海の香りする
中谷かける
京うちわ乙女の胸をのぞきこむ
村田晃嗣
夏の月満ちて羊水奔り出す
三谷しのぶ
草いきれ傷つきて血の匂ひかぐ
やまだふゆめ
玫瑰(はなます)や海のあをさを未だ知らず
柴田春雷

屏風絵のうしろ暗がる祭りかな
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この作品は、格調もあり、京都の祇園祭を見事に別の角度から描いた作品。
「祇園祭」は、日本の三大祭にも当たる京都では大変大きな祭事であるが、別名「屏風祭」とも言われる。
都の絢爛たる屏風絵がここぞとばかりに飾られる。
その裏にある「暗がり」。
作者は、京都の明と暗、陰と陽を見事に描いている。
京都で存在する意義の在り方、そのものの本質を描いているようである。
また、同時作特選に、
踊り場に出て夕立を脱ぎすてん
があるが、これも佳吟。
文法的に詳しくは、正しいとは言えないが、これが「脱ぎすてむ」だと、そこまで評価していないであろう。
俳句とは遊び心。文法や骨格も大切だが、何より大切なのは、詠み手に訴えかけてくる心の大きさである。

祇園会や一筋うらの露地明かり
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
これも実に京都という街並みをじっくり観察し、巧みに描いた作品。
京都という街は「露地」が大変多い。
広い通りから、一本細い露地に入ると、全く違う顔を見せるのが京都である。
また祇園祭の喧騒を離れた街の生活はなにも変わらない。
これも実に京都という街並みをじっくり観察し、巧みに描いた作品。
本来は華美な装飾を求めず、質素に、そしてひっそりと暮らす京都の息づかいが美しく描かれた情緒ある作品である。
作者の謙虚な生き様が、今回も良く現れている。

夏の雨いくつの恋を過ぎて来し
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
この句の成功の鍵のひとつに、兼題である「夕立」を使わずに「夏の雨」としたことにある。
「夕立」となると激しい恋愛をしたのだと詠み手に想像させることが出来るが、「いくつの恋を過ぎて来し」という措辞から、今は平穏に暮らしていることが読み取れる。
それを活かすのは、やはり「夕立」よりも「夏の雨」である。
激しい恋愛、穏やかな恋愛、成就しなかった恋、、様々な恋を得て現状への感謝の気持ちが「夏の雨」から読み取れるのである。
過ぎ去ったことが美しく感じられる心の余裕を感じさせる作品。

あの日より嫌ひになれず草いきれ
白川智子
「森」祇園支部秀逸。
「嫌ひ」じゃなくなったのは、ちょっとお節介な隣人なのか、仰々しい息子嫁または娘婿なのか、これは詠み手にさまざまな想像をもたせる。
「草いきれ」の鼻につく青臭さや熱気を人の空気に例えた、風刺とユーモアに溢れた作品。
第一印象で苦手だったのが、何かをきっかけにそうでもないと思える寛容と柔軟さ。
これは「森俳句会」のモットーである、他者に敬意を評し、良いところを伸ばす理念に通じる。
ストレス社会で心が狭くなり、他人の批判ばかりが多くなった現代、今一度心に留めて欲しい世界観である。

京うちわ乙女の胸をのぞきこむ
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
「京うちわ」のルーツは、宮廷で用いられた「御所うちわ」である。
うちわ面と柄を別に作り、後から柄を差し込む「差し柄」の構造となっており、向こうが透けて見える。
金彩が施されているなど、高価なものであり、装飾品としても大変美しいが、金持ちの一種の道楽と見たのが作者の視点と思われる。
穢れのない「乙女」の胸元を、気付かれないように団扇越しに見る金満の老紳士のいやらしい目が映像として浮かびあがる。
それを冷ややかに横目で見ているかも知れない第三者、全てを俯瞰的に見た構図に、何とも言えぬ滑稽さがあり、作者得意の、ウィットに富んだ作品に仕上がっている。

夏の月満ちて羊水奔りだす
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
月の満ち欠けと、人間のバイオリズムは強い関係性を持つ。
満月になると、潮の満ち引きの差が大きくなり、人の気持ちも揺れると言われている。
「羊水」とは、胎児を包む薄い膜の内部を満たし、胎児を保護する液体、を指す。
これは人間以外も爬虫類、鳥類、哺乳類に見られる。
「夏の月」が「満ちて」きて「羊水が奔りだす」という取り合わせの妙が面白い。
また、羊水が自ずと奔りだすのことによって、女性の本能的で大胆な行動に出る、というところまで読みとれてくる。
根源的な男女の違いを感じさせる一句となった。

草いきれ傷つきて血の匂ひかぐ
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
過去の「草いきれ」の例句を凌駕する、生命力溢れた作品。
人は原始より、あるスイッチが入ると本能を駆り立てられ、アドレナリンが出る生き物だったことを思い出させてくれるようである。
野蛮を肯定的に捉え、草いきれの中に、むせ返るような熱気を濃密に感じられる。
「草いきれ」の本質を実に的確に捉えた作品である。

玫瑰(はなます)や海のあをさを未だ知らず
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
「玫瑰(はまなす)」はバラ科の中でもとりわけ鮮やかな発色を持つ。
一見毒々しくもある色をしているが、本来海辺の砂浜に咲くことから、厳しい環境にも生き抜く辛抱強さがあると言えよう。
人は見た目で左右されやすい生き物である。
逞しく見える女性の方が実は臆病であったり、恋に不器用なものである。
高いところから凛と見下ろしているような玫瑰。
実はその玫瑰が、本当は必死に取り繕っているだけで、海を怖がっているという作者の着眼点が面白い。
「海のあをさ」の措辞と季語である「玫瑰(はまなす)」の取り合わせも美しい。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
「森」鴨川支部が新たに開設された。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問等につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司

祇園「一道」

日本屈指の弁護士先生と、祇園にある鉄板割烹「一道」へ。
出された料理全てが美しく、想像をはるかに超える美味しさに言葉が追いつかないのは初めての経験です。







高級食材をこれでもかというぐらいにふんだんに使い、口の中でその全てがうまく合わさって、京料理と呼べるのが納得の上品さでした。
テンションが一気に上がった流れで、祇園甲部のお茶屋BARへ、、
京都の酷暑も吹き飛ばす程の良い思い出となった一日でした!
予約困難な名店を早くから手配くださり、先生、ありがとうございました!

2019年 春ー大森健司俳句作品

2019年 春ー大森健司俳句作品

うすらひや舞妓の紅の匂ひだす
かげろふや罪をのがれて水のうへ
永すぎし春や見知らぬ靴があり
春陰や白いページに文字落とす
蜃気楼切り絵の鳥が鳴きだせり
朧よりをとこのにほひ濃く戻る
手鏡や弥生の水の鳴りて過ぐ
鱗(うろこ)落つをんな来たりて花の昼
忘れ霜母の一生野にのこす
それぞれが鳥籠にゐて花の午後


「森俳句会」代表 大森健司作
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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