2018年4月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 永き日、ふらここ、貝 全般(蜆、蛤等)

永き日やことばの砂を平(なら)しゐる
大森健司
品川や春月に荷を抱へくる
菅城昌三
朝方の夢の蒼さや花の冷え
西川輝美
過ぐる後湖(うみ)に色づく蜆舟
速水房男
老ひらくの恋や墓場のつくづくし
河本かおり
夕ぐれてふたりきりなる蜆汁
武田誠
春夕焼けふを瞼に焼き付けて
松浦美菜子
長雨の明かり蜆のひとり言
山本孝史
彼去りて残りし春のマスクかな
池上加奈子
蕨狩りとは名ばかりの昼下がり
白川智子
桜貝のようなマニキュア選びけり
前川千枝
永き日や同じ場面の繰り返し
臼田はるか
ポケットに卒業できない俺がいる
中谷かける
菜の花の尽きて夕日の膨らみぬ
上田苑江
花曇り老ひて子どもに従わず
栗山千教
風渉る知多の青踏むあをさかな
三谷しのぶ
蛤をつつき門出の日を数ふ
村田晃嗣
こでまりや夜の足音忍びつつ
柴田春雷

品川や春月に荷を抱へくる
菅城昌三
「森」中央支部特選。
日本における会社員の一般的な期初は4月1日であり、この日に本格的な春の訪れを実感するのかもしれない。
人事異動や新規事業の開始など昨年度の仕事をリセットし、気持ち新たに出向く。ス-ツを仕立てたり、バックを新調するなど、気持ちの切り替えは、新たな風をもたらす。
「春月」という朧な光景にいそいそと荷を抱えて駅に降り立つ作者の姿とのコントラストが良い。
ここで言う「荷」とは、サラリーマンのバックであっても良いし、サラリーマンの責務であっても良い。
東京の乗り換え駅の象徴である「品川」の固有名詞がさりげなく効いている佳吟。

過ぐる後湖(うみ)に色づく蜆舟
速水房雄
「森」中央支部特選。
これは季語である「蜆舟」の描写の仕方が絶妙。
近江(淡海)を長年詠みつづけた作者ならでは、の集大成作品。
さっと通り過ぎる意の一過とは違い、「過ぐる後」という、なんともゆったりとした時間の流れがこの句に絶妙な間(ま)と叙情性を持たせている。
時が満ちるまで気長に待つ心の余裕が感じられ、これは人が皆辿り着きたい境地なのかもしれない。
墨絵のようなモノト-ンの湖に絵の具を一滴垂らしたような作品。
今月の全ての作品の中で最も素晴らしい作品である。見事の一言に尽きる。

ポケットに卒業できない俺がいる
中谷かける
「森」祇園支部秀逸。
人々が浮き足立つ春に一人取り残された疎外感

けれども決して否定ではなく、むしろ肯定の世界観が、男性なら誰もが持っていたい部分なのだと共感出来る作品。
上五の「ポケットに」が成功の鍵である。
男性独特の青春性があり、作者らしいどこか詩的なイメージを創りあげている。

菜の花の尽きて夕日の膨らみぬ
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
この句は、「尽きて」で一旦、「切れ」ている。
さりげない作品であるが、鋭い観察力の中にも温かみのある作者の佇まいを思わせる。
菜の花の黄と、夕日の赤との色のコントラストが良い。
また「尽きて」と「膨らみぬ」という「陰と陽」のバランスも良い佳吟。
生命の循環、死生観という世界観が根底に存在している。

風渉る知多の青踏むあをさかな
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
今回も作者らしいダイナミックであり、スケ-ルの大きな作品。
夏草のびっしりと生える光景になる手前、瑞々しくしげる春の草を、風がそよそよと吹き渡る情景が見事に復元されている。
映像の復元も見事。
又「青踏むあをさかな」のリフレインが躍動感を生み出し、春を全身で受け止めている歓びが感じられる。
渡るを渉ると表記することで、大地を掴むような逞しさと生命賛美、自然賛美が感じられる作品に仕上がっている。

蛤をつつき門出の日を数ふ
村田晃嗣
「森」中央支部秀逸。
兼題の貝全般の中から、「蛤」を選択し、実に晴れ晴れしい作品に仕上がった秀吟。
二枚の殻がぴたりと重なる縁起物の蛤をつついている光景が少し滑稽で、時間を持て余しているのか、または初々しい門出を迎える新郎新婦が作者の目に眩しく映るのか、様々な想像が膨らむ。
春の歓びを新たな捉え方で作句した、他に類を見ないウィットに富んだ作品といえる。見事。

こでまりや夜の足音忍びつつ
「森」祇園支部秀逸。
柴田春雷
「こでまり」という春の可憐な様を表現するのに「夜」が良く効いた作品である。
夜が少しずつ訪れる春の日永をうまく捉え、且つ「忍びつつ」という措辞が不穏な空気をもたらしている。
どこか不安定さが感じられ、不気味な一面をも持ち合わせる女性特有の視点で面白い。
又、「夜の足音忍びつつ」という措辞によって、「こでまり」の白の色彩感も浮かび上がってくる。
これが「忍びをり」「忍びたり」という俳句の世界独特の言い回しだと魅力は半減する。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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2018年3月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 雛、春眠、猫の恋

くもる日はこころに蝶を昇らせし
大森健司
白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
春眠や脈絡もなくたどりつく
西川輝美
春眠のゴッホの色に覚めてをり
速水房男
ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
花冷えや雨に泊まりし柳が崎
武田誠
まったりと彼と酒酌む花の月
松浦美菜子
早暁のそおろとかえる猫の恋
山本孝史
ぼんさんも寝過ごす京の春日かな
池上加奈子
桜見や孫とかきたる床几台(しょうぎだい
白川智子
花の昼イケズな母と住みにけり
前川千枝
夜桜やはんなりとした着物きて
臼田はるか
風ふいていらちな桜散りにけり
中谷かける
潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
つばめの巣愛したことを思出す
栗山千教
隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
ホーリー祭月夜を照らす牛の列ーインドにて
村田晃嗣
ひらがながふわり浮かんで春の海
石田穂實
春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷

白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
「森」中央支部特選。
これは兼題の雛の中でも、最も優れた作品。
電話が鳴ることによって雛が取り残されている映像が、見事な「静」の世界観であり、その一方で電話に出ている人間の「動」の世界観があり、そのコントラストが見事な作品。
「白昼や」という切れ、も良い。
作者の巧みな力量を発揮している作品である。

ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
恋猫が「夜を舐めつくす」という措辞が大変面白い。
ある種の不気味さもあり、入江たか子の怪猫シリーズを連想してしまった。
癒しを求めての猫ブームの中、化け猫のイメージから毛嫌いする人間も多い。
夜な夜な油を舐めるのは各家庭に行燈のあった時代の話だが、猫の夜行性と神秘性を孕んだ、恐怖とエロスの狭間を描いた作品でもある。
こういった作品は河本かおりの真骨頂。

潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
「森」中央支部特選。
これもまた格別に優れた兼題 雛の作品。
句に格調があり、映像の復元が見事に為されている。
江戸も今でも雛人形は高価なものであり、裕福でない一般家庭で、子供の幸せを願い、手作りの人形をたくさんまとめて吊るしたことが「吊し雛」の由来である。
他に五穀豊穣を祈るなど、郷土色の強い「吊し雛」が寂れた漁村の宿をより一層鮮やかに連想させる。
潮騒にうたれて、色も剥げ落ちたであろう吊し雛が哀しくもあり、旅愁を誘う抒情的な一句。

隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
これは季語が「春土」でありながら、兼題である「春眠」を強くイメージさせる力量のある作品。
「春土白き目覚めかな」は虚と実の中間にあり、しっかりとした描写でありながらもどこか危うさを感じさせる。
ぼんやりとした春の特徴を見事に捉えている。
不思議な魅力、魔力のある一句。
同時作として、
熱き湯にいのち沈めて春の月
があり、こちらも秀吟。

春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
前書きにある桑原町とは京都御所と向かいの簡易裁判所の間にある、人の住まない道路だけの不思議な区画のことを指す。
かつて菅原道真が京都から太宰府に左遷された時、落雷が道真の怨霊の仕業と恐れられたのだが、道真の屋敷のあった桑原町だけは、落雷が落ちなかったそうである。以来、災害時など、くわばらくわばらと手を合わせることが習慣となったらしい。
京都の歴史や自然に対する畏敬の念に、「春雷」という季語の効いた格調ある作品である。


今回は雑誌掲載に「森俳句会」から私大森健司他、菅城昌三、西川輝美の2名を輩出した。
句会事前に原稿を皆が目にしたせいか、非常に良い刺激になり、いつも以上に作句への情熱を感じとれた。

柴田春雷が特選句の京都桑原町を詠んだ作品の他、京都弁や京料理に絞って作句してきたのだが、
雀の子おまっとさんと駆け寄りぬ
に祇園支部会員が反応して、急遽、京都弁俳句の「袋回し」をとり行なったことは非常に面白い出来事であった。
俳句は本来、即興、挨拶の文芸であり、大いなる遊び心が必要であると考えている。
今回村田晃嗣氏は旅先のインドにて、
ホーリー祭月夜を照らす牛の列
という秀吟を詠まれている。
これもまた、即興の極みである。
話は「袋回し」に戻り、
句暦の長い白川智子が机をかく※持ち上げる、運ぶ をさらりと詠み、前川千枝のイケズ※意地悪、中谷かけるのいらち※せっかち いずれも京都弁独特の言い回しであり、他府県の人からすれば、何のことか理解出来ない。
また、まったりはんなりそおろと、は京都の柔らかいイメージへの憧れを世間に定着させた、美しい京言葉であり、ゆっくりとした時間の流れを感じさせる。
ぼんさん※坊主 のように、「さん」をつけるのは可愛らしくもあり、京都ならではの上品さである。
京都には路地が多く、「ろおじ」と読むのが正しい。
村田晃嗣氏との雑談の中で、京都には遊郭の名残がいたるところにあり、足抜け出来ぬ様、道をわざと複雑にしていて、路地が多い一因であるという話題になった。
あの世と繋がる場所、振り向いてはいけない橋、迷宮への恐怖や抑えきれない探究心も人々が京都に惹かれ、何度も訪問したくなる理由ではないだろうか。
どんつきや振り向けば花肩にあり 大森健司
朧な春の日、何の気なしに歩いていて、気づけばどんつき※行き止まり の袋小路に迷い込んだようである。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

雑誌掲載

『俳句スクエア』20周年特別記念号(4月8日発売)に特別招待作品として「花影」15句を寄稿しています
澄む空に前世の記憶たどりけり
いざよひや哀しきいのち箸に置く 「花影」より

また、『俳句界』5月号(4月25日発売)にも大森健司作品掲載されておりますので、是非ご覧ください

『俳句界』5月号には弟子の西川輝美、4月号には菅城昌三も作品掲載されておりますので、併せてご覧ください

「森俳句会」に良い風が吹いて来ました

大森健司
俳句スクエアー

誕生日祝辞御礼!

kyoto u.haiku
大森健司 近影

思いのほかたくさんのお祝いの言葉を賜り、厚く御礼申し上げます。
素晴らしい春の訪れとともに、42歳を迎えることが出来ましたこと、深く感謝いたします。
おかげさまで「森」俳句会は賑わいを見せ、僕自身気力の満ちた日々を過ごすことが出来ているのも、ひとえに皆様からのあたたかい御力あってこそです。
現状に奢ることなく、京都という地に深く根付くためにも、文化継承に心血を注ぐ覚悟で邁進して参りますので、これからもご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。

2018年3月吉日

2018年2月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 立春、冴返る、雪 全般

夜半すぎてをんなの耳の冴返る
大森健司
水餅や器といふは割れやすき
菅城昌三
春浅し胸中はまだ無色なり
西川輝美
百年の薄れし屋号冴へかえる
速水房男
冴返る子供の部屋はがらんどう
河本かおり
春雪や人事異動のうわさ聞く
武田誠
侘び寂びを酒とわかちて細雪
松浦美菜子
春の雪心変わりの無いままに
山本孝史
母と子に雪解けの声聞こえけり
池上加奈子
青鬼に呼びとめられて春立ちぬ
白川智子
鴨川に春立つ犬と出逢いけり
前川千枝
役不足などと言われて春たちぬ
臼田はるか
春立つや丸い袋に丸い菓子
中谷翔
春の雪一期一会を宙(そら)に舞い
上田苑江
牡丹雪華燭の宴の窓の外
栗山千教
我の他聴く人もなし雪の声

虹色の春風ふふむ絵筆かな
三谷しのぶ
夜汽車待つ異国の旅や春は来ぬ
村田晃嗣
字余りのやうな人かも春時雨
石田穂實
此の道を隠してくれぬ春の雪
柴田春雷

百年の薄れし屋号冴へかえる
速水房男
「森」中央支部特選。
兼題でもある「冴返る(さえかえる)」とは、冬の季語である「冴ゆ」から来たものであり、春めいてきたと思う頃にひとしお寒さ、つまり春に「冴ゆ」を感じた季語である。
老舗という言葉がある。
100年以上続いた店舗を指し、京都ではとりわけこの老舗へのこだわりが強い。
二代目が初代を超えることは困難を極めるが、温故知新、三代目へと継承してゆく文化、これは俳句にも通じるものがある。
先祖から受け継いだものを真摯な姿勢で後世に語り継ぐ、凛とした心意気や適度な緊張感が「百年の薄れし屋号」という措辞に良く現れている。
京都に長年住む作者の古風な一面は尊敬に値する。

春の雪一期一会を宙に舞い
上田苑江
「森」中央支部特選。
「一期一会」という言葉受け止め方は世代によって異なるだろうが、作者のセンチメンタルになり過ぎない叙情感が、宙に舞いという言葉で上手く昇華されている。
今回の兼題では「立春」も挙げたが、雪が多く、木々の芽吹きさえ感の狂った中、春をとらえるのが難しかったようである。
春の雪の季語が非常に良い。
一期一会の本質をそこに見る気がするのである。
過ぎ去った一年を振り返り、リセットし、新しい一年を迎えるために、春の雪を鑑賞するには手本となる作品ではないだろうか、と思える作品。
出会い期し人日までの餅を食べ 村田晃嗣

虹色の春風ふふむ絵筆かな
三谷しのぶ
「森」名古屋支部特選。
「虹色の」からして色彩感が抜群に素晴らしい作品。
厳しかった冬を堪えてこそ喜びがある春の訪れを五感で捉えた充実感がそこにある。
昨今の日本は地球温暖化の影響もあり、例えば春を楽しめる期間は非常に短く、あっと言う間に木々の葉は鬱蒼としてくる。
初夏の風とは違う、春特有の柔らかい風を、雪が去って伸び伸びとした木々の間から感じとっていただきたい。
「ふふむ」は含むとは多少異がことなる。
中に孕んで待つという意味は同じである。
万葉集でも用いられている用語。
春の訪れに喜びとともに奔らせている絵筆の映像の復元もしっかりと為されている。

夜汽車待つ異国の旅や春は来ぬ
村田晃嗣
作者らしい、スケールの大きな春の作品。
今回、「森」祇園支部秀逸句にあった、
鴨川に春立つ犬と出会いけり 前川千枝
これが、戌年を迎えるにあたり、希望に満ちた可愛らしい女性ならではの作品とするならば、こちらは男性特有の作品といえる。
男の人生とは旅のようなものであり、目の前に与えられた課題を真剣に取り組む一方、次のステージへの助走と飛躍が求められる。
「夜汽車を待つ」静かな時間は作者にとって有意義な時間に違いないだろうし、新しい世界がその先に見える、男性らしい希望に満ちた作品である。その映像や息づかいまでも見えてくるようで見事である。

字余りのやうな人かも春時雨
石田穂實
「森」名古屋支部特選。
「字余りのやうな人」とは一体どのような人なのであろうか。
謙遜のアイロニーと言える作品でもある。
「春時雨」の切れが好く効いており、詠み手がむしろ立ち位置を見失う非常に面白い作品。
これはさすが、元柳人ならではの発想とも言える。
五七五の十七文字に凝縮する難しさを素直に表現している。
春時雨の様に静かに心に降り注ぐような作品である。
また、同時作として、
春の夜ことばの帯を締めにけり
春の夜渋色の帯きつく締め
これらも特選に匹敵する秀吟。
この作者の成長には本当に驚かされた。
勿論、嬉しい驚きである。

此の道を隠してくれぬ春の雪
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
「此の道を隠してくれぬ」という言い切りが、見事である。
春の雪はハラハラ舞い落ちることはあっても、滅多に積もることはない。
作者の「この道」は作者の人生と捉えた。
冬との決別が出来ないことへのもがきが垣間見え、春の雪が切なく映る寂寥感の感じられる作品。
ただ寂寥感だけではなく、そこには強い意志が見受けられる。
あとは詠み手に委ねることにする。

俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

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大森健司
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kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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