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2019年1月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 御下り(おさがり)、寒雀、七日粥

あをぞらを女跨(また)ぎて初化粧
大森健司
去年今年油残りし手を洗ふ
菅城昌三
寒すずめ人の後ろに人の音(ね)よ
西川輝美
初東風(はつこち)や湖(うみ)にとどまる黒い舟
速水房男
日だまりに幼児(おさなご)がゐて寒雀
上田苑江
御降りのしづかに移る祇園かな
武田誠
寒すずめふたつの枕並びをり
松浦美菜子
枕辺に遠き支度の七日粥
山本孝史
着ぶくれて着替えの服を迷ひたり
池上加奈子
結納やふくら雀のふくらみて
白川智子
「おまえ」とは聞き捨てならぬ寒雀
前川千枝
お降りのときに優しき別れあり
臼田はるか
御降りや遠回りして帰りたし
中谷かける
人の香はしばらくつけず初鏡
三谷しのぶ
お降りに打たれて五十路顧みぬ
村田晃嗣
寒雀けんけん足でお隣りに
柴田春雷

寒すずめ人の後ろに人の音(ね)よ
西川輝美
「森」中央支部特選。
兼題のひとつである「寒雀」のなかでも最も感銘を受けた作品。
中七下五の「人の後ろに人の音(ね)よ」の「人」リフレインがこの上なくよい。
これは人の生活音かも知れないし、もしくは道を行く人の様かもしれない。
いずれにせよ、「人」という言葉を二度繰り返しすような稚拙な表現がかえって良く、おもしろさが、そこにある。
ありふれた日常用語の使用と軽い口語的発想は輝美の特徴のひとつと言えよう。
いずれにせよ、「寒すずめ」の季語が絶妙に後ろの措辞に掛かっていて、正に俳句の本質である、「付かず離れず」を実践して成功した例。
そこには、輝美の住む世界の大小は問わず、一人の人間の豊かさ、艶やかさ、見事さを表現し尽くしている。
この生命を詠った作品は輝美の代表作のひとつとなるであろう、と思われる。

初東風(はつこち)や湖(うみ)にとどまる黒い舟
速水房男
「森」中央支部特選。
今月は、速水房男氏の独断場であった。
この作品の他に、兼題である、
お降りや一本松の濡れ始む
七草の粥に加へし湖の色

もあり、「お降り」も同じく特選として採らせて頂いた。
房男氏の良き作品は、ただうっとりとその美しい情趣にひたっていれば足りると言った作品が多く見られる。
それはもちろん、作者の選択された題材の美しさにもよるが、正に水墨画に豊かな静かな風が過ぎたような感覚に包まれる。
作者の唯美的な感覚はその作品にも顕著に現れている。
初東風や湖にとどまる黒い舟
この句は今月の全ての「森」俳句会の作品の中で群を抜いて素晴らしい。
悠久な大自然、特に淡海(近江)を題材とした彼の作品は只々、映像が鮮明であり、美しい。
悠久と永遠の違いは、さほど大きくはない。
永遠も時間を超越して、限りなく持続することを意味する。また哲学では、そのもの自体は時間という枠にありながら、限りなく、決して途絶えることなく続いていくとされるもののことを指す。
作者の場合は、後者であろうと思われる。
お降りや一本松の濡れ始む
山吹の袈裟通り過ぐ遊糸かな(2018年5月)
過ぐる後湖に色づく蜆舟(2018年4月)
百年の薄れし屋号冴へかえる(2018年2月)
花街の恋猫とほる我とほる(2017年3月)
枯野ゆく瞼の奥の枯野かな(2016年12月)
水澄んで呼ばれるままに行きにけり(2016年10月)
これらの作品群は正しく、房男氏の代表作であり唯美的で悠久な大自然、風景を詠んだものが多い。
際立った個性ではないが、人目に目立たない地味な日常を過ごしながら、いつの間にか独自の風格を築き上げている。
このような作家は珍重するに値する。

日だまりに幼児(おさなご)がゐて寒雀
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
全てが不思議と自然に丸きものが集約されている作品。
人は丸いものが飽きずに愛着が湧く。
全ての真理は「円」つまり丸にある故ではないか、と思われる。
「日だまり」という寒い冬の日にありがたい、大きく包む存在の中、それに守られる幼子、そしてさらに小さき存在である寒雀という、仏教的世界観が顕著に現れている。
作者らしい素直で暖かな作品。

寒すずめふたつの枕並びをり
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
兼題である「寒雀」とは、冬になると餌が少なくなるので人家付近に近づいてくる雀のことを指す。屋根や軒にくる姿は厳しい寒さ軒中で誰もが目にしたことのある光景であろう。
それに対しての措辞の「ふたつの枕並びをり」は、外の「寒雀」に対して家の内の世界観。
ふたつの枕が並ぶのは、まず夫婦である。(同棲している場合もそうかも知れないが、作者は新婚である)
この対比が温かく好感が持てる作品に仕上がっている。
枕辺で窓の外の寒雀の鳴き声を聞きながら、またふたりで休日にゆっくりと寝室で朝を過ごしているであろう、光景。
平明な言葉を用いながら、豊かな情景を描いた技量は特選に値する。

結納やふくら雀のふくらみて
白川智子
「森」祇園支部秀逸。
この作品は一昨年、孫娘の結納に立ち会った際に手帳に書きとめた俳句だと伺った。
慶ばしい「晴(ハレ)」の日に、素直に浮かんだ気持ちや情景を日記のように筆をはしらせる行為は、俳句を親しむ中で非常に大切な行為である。
リズムも良く、詠み手も何か柔らかい、幸せな気持ちになれる秀作といえよう。

お降りのときに優しき別れあり
臼田はるか
「森」祇園支部秀逸。
優しき別れとは何か、とまず色々な想像が膨らむ。
円満な別れ、依願退職、大往生、等。
ただこの作品の場合は、別れは優しくなかったのでは無かったのではないだろうかとも思える。
作者に降る「お降り」が、静かな時間の中で悲しい思い出を優しいものに変えた、「季語の恩寵」と言える作品である。
ちなみに「お降り」という季語は新年の季語であり、「おさがり」と読む。
元日や三が日の間に降る雨や雪のことを指す。
めでたさを敬して「御降り(おさがり)」と言うのである。


お降りに打たれて五十路顧みぬ
村田晃嗣
「森」中央支部秀逸。
雪の降る町を 雪の降る町を
息吹と共に こみあげてくる
雪の降る町を 誰もわからぬわが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か 祈らん
新しき光ふる 鐘の音

昭和からいまもなお語り継がれる名曲『雪の降る町を』の抜粋である。
正月三が日、仕事から離れ、静かに「五十路」を内省する作者の姿にこの歌のフレーズが一番に思い浮かぶ。
冷たく厳しい雪もあるが、「お降り」という目出度い雨雪が作者の心に染み入り、温かく優しい雪、もしくは雨が作者に降る。
歌の締めくくりにある、「哀しみをほぐし むなしさを新しき光降る鐘が祈り 思い出をいつの日にか包むであろう」ものが作者にとっては「お降り」なのかもしれない。

寒雀けんけん足でお隣りに
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
こちらも兼題の「寒雀」。
素直で慈愛に満ちた作品であり、普段警戒心の強い雀が冬になり、無防備な愛くるしさが現れている作品。
「けんけん足」という表現が少年時代を思い出し、懐かしく、寒雀への「小さきものいとをかし」の世界観。
愛情に溢れた伸び伸びとした作品であるのが秀逸。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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2018年12月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 寒雷(冬の雷)、焚火、柚子湯

手をのべて髪触るまじき冬の雷
大森健司
マフラーに異国のことばからまりぬ
菅城昌三
薔薇色に掌ひろげ焚火の子
西川輝美
コルトレーン醒めし音して十二月
速水房男
冬の雷越えてもさらにまだ遠く
武田誠
喧嘩して柚子湯に沈むこころかな
松浦美菜子
寒雷の過ぎ去るまでの想ひかな
山本孝史
荷をほどきふるさと浮かぶ柚子湯かな
池上加奈子
愛憎の途方にくれし夜の焚火
白川智子
鳴らせども留守電ばかり冬の雷
前川千枝
夜焚火やこの火をこえる勇気なく
臼田はるか
風吹けば音の明るき焚き火かな
中谷かける
いつか死ぬでも今日じやないうる目焼く
三谷しのぶ
黒髪を柚子湯に咲かすおみなごよ
村田晃嗣
夜半過ぎてぬるき柚子湯を抜けられず
柴田春雷

マフラーに異国のことばらかまりぬ
菅城昌三
「森」中央支部特選。
作者の得意とする異国を焦点とした作品であり巧みな一句。
昌三はアジアを主に沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れて様々な国を旅している。
その時の作品として、
人といふノイズの中の熱帯夜
花火打つなんの祝いもなき日にも
髪洗ふ亜細亜に赤き夜の来る
風鈴の国を選ばす鳴りにけり

等を記憶している。
「マフラーに異国のことばからまりぬ」は、異国の作品であっても成立するが、ここでは拠点を日本として、昨今の海外からの観光客と捉えた方が良いかと思われる。
サラリーマンである作者が師走に、「異国のことば」を聞き、また漂泊したい姿が等身大に表現されている。
「マフラー」というさりげない季語を新しく自分の物として取り入れた巧妙なテクニックを持つ昌三ならではの作品。

薔薇色に掌ひろげ焚火の子
西川輝美
「森」中央支部特選。
この作品の成功は、「焚火の子」という着地点にある。
勿論、「薔薇色に掌ひろげ」という措辞も素晴らしいのであるが、俳句は着地点を誤るとその作品は台無しとなる。
「焚火の子」という具体的に映像の復元が出来る下五を持って来たことによって、作品がぐっとコンパクトに焦点が絞られている。
この作品を見たときに真っ先に浮かんだのは次の石田波郷の作品である。
寒卵薔薇色させる朝ありぬ 波郷
大人にとっては寒くて外に出るのがおっくうな1冬の屋外であるが、元気いっぱいの子供にとっては寒い中に出るのが楽しい情景が、「薔薇色」という措辞で表現されており、色鮮やかに描かれている。

コルトレーン醒めし音して十二月
速水房男
「森」中央支部秀逸。
コルトレーンは遅咲きながらも晩年に素晴らしい作品を傑出したモダンジャズ界のサックスの巨人である。
時期がちょうど年末に録音された名曲「至上の愛」の制作意図は全知全能の神へ祝福を捧げる組曲である。
ジャズの名曲には全て物語があり、私はこの曲はまた男の生き様と捉えている。
承認、決意、追求、から賛美へと転換する終盤の静かな余韻が作者の生き様となんとなく重なるような気がするのである。
慌ただしく過ぎた十二月にこれまでの過去を振り返り、内省し、ああいった時代もあったなと静かに回想する作者の姿が映し出されている。

いつか死ぬでも今日じやないうるめ焼く
三谷しのぶ
「森」中央支部秀逸。
「うるめ」とは潤目鰯(うるめいわし)の事であり、暦の上では冬の季語となる。
これが、例えば、
いつか死ぬでも今日じやない秋刀魚焼く
では凡句となる。
作者の大胆でダイナミックな一面を感じさせる作品。
どこかあっけらかんとしていて、清々しい。
センチメンタルな感情に流されつつも、どこか流されまいとする女性のしなやかさがシュールに描かれており、最後に笑みがこぼれる作品。
「死」という言葉を使っていながら不思議と滑稽さがある作品でもある。
「うるめ焼く」という季語がこの上ない働きをしている。

黒髪を柚子湯に咲かすおみなごよ
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
おみなごとは女児、または若い女性のことだが、この作品の場合は後者であろうと思われる。
この作品を見たときに、三好達治の「甃のうへ」の一節が真っ先に浮かんだ。

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ


もののあはれを謳い、乙女特有の純潔性を美しく捉えた詩である。
室生犀星の「春の寺」の本歌取りの詩であるという説があり、それなら作者のこの句もまた三好達治の世界観を見事に継承した作品ではないだろうか。
「黒髪を柚子湯に咲かす」がまず大変美しい措辞。
豊かな黒髪は古来からの若い女性の象徴であり、甘酸っぱい柚子の香りやくっきりとした黄色が映像として鮮やかに浮かびあがる。
おみなごよと語りかけることで、いつまでも清らかであって欲しいという思い、そしてそれは永遠ではないことも詠みとれる。
一見、古きよき時代の世界観を現代的にアレンジした温故知新の作品といえよう。

夜半過ぎてぬるき柚子湯を抜けられず
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
「夜半過ぎて」がこの句をただ風呂から出られないという単なる行為にしていない。
作者の中でシンデレラの0時は過ぎてしまっているのだが、抜けられないのはこの場合否定ではなく、もう少しこの場の余韻に浸っていたいという思いであろう。
柚子湯は、12月22日つまり冬至の日の風物詩であり、ゆっくり風呂を楽しむことへの小さな幸せ、また年の瀬も押し迫った頃、過ぎゆく一年を思い出し惜しむ思い、様々なことを思い浮かべながら風呂に浸かるのも一つの楽しみ方である。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2018年11月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 雁(かり、かりがね)、栗、釣瓶落し

栗の飯褪せてはならぬいのちあり
大森健司
藤袴けふを忘れししろさかな
菅城昌三
宛先の行間にある秋思かな
西川輝美
秋深む昨日のやふに逢ひにけり
速水房男
ー朝鮮街道ー
下街道(しもかいどう)釣瓶落しに終息す
上田苑江
栗茹でて母の時間をもて余す
武田誠
待ち人よ釣瓶落としの空港に
松浦美菜子
虚栗(みなしぐり)こころの傷の奥の奥
山本孝史
イタリアの栗甘からず首すくむ
池上加奈子
栗落つや財布忘れて舞戻り
白川智子
返信がまさかの釣瓶落しかな
前川千枝
かりがねや月の声するほうへゆく
臼田はるか
いなびかり出逢ひし頃のふたりかな
中谷かける
紅葉かつ散りてこの世のことば編む
三谷しのぶ
いわし雲将軍塚に遊びをり
村田晃嗣
繋いだ手冷えゆく釣瓶落しかな
柴田春雷

藤袴けふを忘れししろさかな
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この作者は「藤袴」の季語を扱わせると格別に巧い。
第一回の「森」俳句会藤袴吟行(大森健司「森」ブログ2017年10月号参照)では、
藤袴ひとり遊びの果てに咲く
と名句を詠んでいる。
この作品は歳時記に並ぶ以下の作品に引けを取らない。
藤袴手に満ちたれ友来ずも 橋本多佳子
藤袴白したそがれ野を出づる 三橋鷹女
重なりて木の暮れてをり藤袴 永田耕一郎
また、今年の2018年10月14日、「森」俳句会祇園支部 藤袴吟行の作品も佳作である。
藤袴ミサを遠くに咲きにけり
宮中の夕焼紅し藤袴
菅城昌三
そして、今回は「けふを忘れししろさかな」である。
実に見事である。
「藤袴」の本質をしっかりと見抜き、捉え、自分の物にしている。
「きのふ」ではなく、「けふを忘れし」という措辞に、「藤袴」の本質でもある湿気を帯びた抒情性があり、「しろさかな」と言い切ることにより、その哀しさは一層深みを帯びたようである。

秋深むきのふのやふに逢いにけり
速水房男
「森」中央支部秀逸。
この作品で作者は、永らく会わなかった友人もしくは恋人とまるで昨日のように再会したか、実際にその「逢いにけり」との人物とは逢っていないのかも知れない。
それは幻想的な世界、もしくは夢かもしれないのである。
詠み手に委ねられる作品で「秋深む」という季語がその曖昧な世界観に導くにあたって絶妙な働きをしている。

ー朝鮮街道ー
下街道(しもかいどう)釣瓶落しに終息す

上田苑江
前書きにある朝鮮(人)街道とは、織田信長が安土城を築いた時代に整備された道であり、徳川時代は将軍上洛の際通る縁起の良い道。
そして朝鮮と国交回復の際、朝鮮から来た使者が異文化をもたらす道として栄えた道である。
しかし、一般的に下街道とは、宿場町が設けられ、商人が通行税を払って行き来した中山道に対して、庶民が行き来した脇道を指す。
起伏の激しかった中山道よりなだらかで歩きやすかった下街道、庶民の文芸である俳句を詠むのに相応しい道と言える。
そして「釣瓶落しに終息す」という措辞が大変良い。
作者の心の豊かさと、仏教観を主軸とした世界観、感謝のこころを何より重んじる生き様がありありと俯瞰的に映像復元されていて見事である。

栗茹でて母の時間をもて余す
武田誠
「森」祇園支部特選。
「母の時間をもて余す」というフレーズが非常に軽妙で良い。
夫、もしくは子供の帰りを待ちわびているのか、それとも家事が一段落して休息をとっているのかは分からない。
季語に「栗」を持ってきたことで、もて余した時間が柔らかいものになり、決して後ろ向きでない作品。
心のゆとりと、母としての貫禄を備えたある種理想の母親像を男性視点で描いた作品でもある。

虚栗(みなしぐり)心の傷の奥の奥
山本孝史
「森」祇園支部秀逸。
作者の得意とする渇いた叙情性のある作品。
虚栗とは、中身の無い殻だけの栗のこと。
作者の心情を現しているのか、今置かれている環境を指すのか。
一見殻に籠って社会と遮断しているようでいて、剥いてみないとわからない栗の様に、誰もが抱えているだろう心の傷の奥まで敢えて触れて欲しいと願う悲痛な叫びが聞こえてくるようである。

返信がまさかの釣瓶落しかな
前川千枝
「森」祇園支部秀逸。
「釣瓶落とし」という言葉を現代で見かけることは無くなった状況で、秋の日没は「釣瓶落し」のごとであると句座に於いて説明した。
現代で「釣瓶落し」に変わるものは何かと祇園支部で話題になった時に生まれた即吟の作品である。
これも句座を囲む楽しみと言えるだろう。
SNS時代となり、ポケットベルが遂に生産終了した。ポストに手紙が来ていないか何度も見に行ったり、固定電話の前で待ち構えることも無くなった。
一瞬で既読されたかが分かり、スタンプひとつで、文字すら不要のLINE文化に対する皮肉や寂しさも入り混じった、諧謔やユーモアのある現代的な佳作。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
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大森健司

映画時々、読書徒然

現在、生島治郎の「夢なきものの掟」を読んでいる。
ハードボイルドの条件とは、
第一に、自分のルールを守り抜いていること
第二に、どんなに痛めつけられても泣き言を言わないこと
第三に、他人に対する優しさを失わず、自分の傷を他人に見せないこと

である。
私、大森健司がハードボイルド小説を好むのは、これが原点である。
レイモンドチャンドラーの「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない
これは座右の銘と迄はいかないが、常に心に置いている。
生島治郎の小説は奇をてらっておらず、非常に読み易い。
松田優作主演の「蘇る金狼」「野獣死すべし」でカドカワ映画でヒットした大藪春彦や「新宿鮫」の大沢在昌、近年は時代小説寄りの北方謙三、以下云々、生島治郎の存在なくしては、今のハードボイルド小説は無い。
幼き頃からの愛読書、松本清張や横溝正史、江戸川乱歩も同じくである。
今、横溝正史の珍しくアンドロイドのストーリーである「鬼火」をAmazonで取り寄せているところである。
最近、読んで最も感銘を受けたのは、泉鏡花の「化鳥」である。これは母への愛憎と少年の通過儀礼が見事に幻想的に描かれている。
世の男性と男の行動原理が知りたい女性には是非読んでいただきたい。
大森健司
kenji2018

国枝克一郎先生と

京都市会議長・上京区を中心に京都の街づくりを本気で構築なさっていた国枝克一郎先生のお宅へ妻とお邪魔しました。
国枝先生は、祖父大森明の葬儀委員長もして下さいました。
先生の構想の一つであった、今出川線が実現していたら、京都の観光も混雑なく楽に行けた、人の流れも変わっていたと思うと、残念でなりませんし、現在からでもどなたかが引き継いでいただきたいと切に思います。
今でも母子共々気にかけて下さり心強いです。
京都の中でも上京区は文化発祥の町です。
町衆のパワーや精神を引き継いでいきたいと思います。

kunieda.kenjiomori
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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