FC2ブログ

2018年9月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 月全般、かなかな(蜩)、吾亦紅

ゆうだちや女羽衣脱ぎ棄てぬ
大森健司
秋の蚊に背中刺されて引越しぬ
菅城昌三
吾亦紅一方通行かもしれず
西川輝美
名の月に車椅子押し帰りけり
速水房男
夜泣き子と行きつ戻りつ月の道
河本かおり
長生きを零(こぼ)し過ぎゆく母の夏
上田苑江
薄くなるこころに秋の風が吹く
武田誠
吾亦紅言ひたきことは穂のなかに
松浦美菜子
煌々と名月青き今宵なり
山本孝史
満月に窓の硝子をきよめたる
池上加奈子
名月や小さきわが家待つてをり
白川智子
しなやかに無月のすすきそよぎけり
前川千枝
満月や無慈悲な夜が待っている
臼田はるか
名月の静かな海の底にいる
中谷かける
放たれし精子烟(けぶ)りて銀河かな
三谷しのぶ
名月や湯の香にかすむ山の奥
村田晃嗣
寂しさやくらげ飲み屋の戸をたたく
柴田春雷

秋の蚊に背中刺されて引越しぬ
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この作品には、川柳にある「穿ち(うがち)」、ユーモア、そして滑稽が溢れている。
また昌三の大きく丸まった背中を知っている私にとっては非常に愉快さが増す作品である。
秋の蚊は、夏を超えてその姿は弱々しいが、子孫繁栄の為の執念は凄まじい。
作者は大きななりで及び腰なのである。
その秋の蚊に背中、つまり届かない部位を刺されて引っ越すという行為そのものが非常に面白味のある作品。
因みに参考までに、椎名誠の「蚊」という短編小説があるが、この男性は6畳一間で命をかけて蚊と格闘するという話であるが、昌三は全く逆の創り方をしているように感じる。

名の月に車椅子押し帰りけり
速水房男
「森」中央支部秀逸。
「名の月」とは勿論、名月の別名。
月の人のひとりとならむ車椅子 角川源義
源義先生の番頭で右腕でもあった吉田鴻司氏と句座を囲んでいた作者がこの名句を知らない筈はない。
作者が押していた車椅子は亡き父かもしれない。
現実的に考えると介護の仕事をしている患者かもしれない。
しかし名月に照らされて車椅子を押す、という映像の復元はやはり美しい。
決して辛い状況ではなく、ロマンティックで美しい映像である。

長生きを零し過ぎゆく母の夏
上田苑江
「森」中央支部特選。
零しているのは母なのか、自身なのかはわからないが、母となり、子育てを経て、自身の生き方をしっかり見つめているしなやかな女性らしさが実に心地の良い作品。
ギラついた夏の陽射しが「長生きを零し過ぎゆく」という措辞に対して、少しの寂寥感も持たせている。
一見静かに季節が過ぎゆくようでありながら、とても力強い作品。
文句なしの特選であった。

吾亦紅言ひたきことは穂のなかに
松浦美菜子
「森」祇園支部秀逸。
吾亦紅のイメージを良く捉えた作品。
言わぬが花という言葉があり、女性らしい視点と言える。
思ったことをすぐに口に出すと、時として人を傷つけたり、場の空気を悪くすることがある。
自身の中でよく熟成し、発する言葉には重みがある。
是非この感覚を俳句の境地に活かし続けていただきたい。

放たれし精子烟りて銀河かな
三谷しのぶ
「森」祇園支部特選。
この作品の映像の復元は、海外の抽象画に置き換えてした方が良い。
成功は精子が「烟る(けぶる)」というところにある。
作者のダイナミックかつ大胆な、そして生々しくも美しい世界観がそこに存在する。
これは、私 大森健司のこの作品への相聞歌とも言える。
母胎よりあまたの星の流れけり 大森健司
作者はこの作品をギリシャ神話をモチーフとした画家クリムトの「ダナエ」ようであると表現している。
女性は何故か、クリムト好きな人が多い。
「ダナエ」を未見の方は是非観て頂きたい。
受胎は女性にとって喜びであり、絵画の中の女性の顔は幸せに満ち溢れている。
またこの絵の中での、両足から流れる黄金の雨はゼウスの象徴なのである。
この「放たれし精子烟りて銀河かな」も又同じ世界観である。
性別を超越して宇宙世界、精神世界へと迷い込んでいく作品であることは確か、である。

名月や湯の香にかすむ山の奥
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
この作品は一言で言ってしまえば、解することをもちいない。
遠近法を用いた奥行きのある作品。
山の上に昇る名月と、名月のさらに奥にある山とでは俄然後者の方が雄大な自然を感じられ、作者の視野の広さが現れた自己投影と言える。
誰でも素直に鑑賞される作品。
「名月」の季語の重さがどっしりと姿を構えている。
また「湯の香にかすむ」という措辞も何気ないようで逆に効いている。
これによって、煌々と光る月の美しさが際立ち、コントラストが良い。
これは世界各地を巡る作者の日本のとある地方での挨拶句であると思われる。
なんとも風情、情緒があって良いではないか。
言葉は平明で、思いは深く を芯に捉えている作品と言える。

寂しさやくらげ飲み屋の戸をたたく
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
飲みに行くのは癖のもので、一度出だすとまた次の日も行きたくなるのが人間の性(さが)である。
つい足がそちらを向くというのは最近の草食系と言われるタイプとは違う人種なのであろう。
「くらげ」という軟体動物が硬き扉を叩くと述べる行為そのものに滑稽味がある。
一種のユーモアと寂寥感を帯びた作品。
埋まらない寂しさを転換した例句にない新たな視点の作品である。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
スポンサーサイト

京都市国際交流センター 講演「俳句を楽しむ」 第1回

京都市国際文化協会からの依頼で前期、後期2回にわたり、講演を行いました。
受講生の皆様に俳句を実作していただくことで、日本の四季の移り変わりを肌で感じ、その感動を十七文字で表現する楽しさを知ってもらえたらという思いで、初回は【月】にテーマを絞りました。
俳句の歴史、俳諧の成り立ち、二十四節、俳句における「切れ」。
日本語の繊細さと、文法【てにをは】の使い方の理解が深まった良い機会になったのではと思います。
京都市国際文化協会の理事長は、我が母校の偉大な師であられます 村田晃嗣先生です。
理事長は国際政治学者の権威、とりわけアメリカ外交に精通されているイメージですが、日本の美を愛し、最も美しい日本語を話される方でいらっしゃいます。
素直な心で、言葉は平明に、そして「切れ」。
つまり言い切りの文芸俳句は感動を伝えるツールとして、面白いと興味を持っていただけると幸いです。

2018年9月17日 京都市国際交流センターKICA
俳句を楽しむー京都の四季と俳句ー 大森健司
にて
(以下 添削含む)
◉天賞
人の目が満月の頬食べてゆく 喜久子
◉地賞
名月のあそこに出でよ東山 成り
◉人賞
我が影のあざやかなりや今日の月 初衣
家路行く足音のする良夜かな 菜々子




大森健司 2018年8月俳句作品群


夏扇女に夢を貸してやり
ひぐるまや哀しき砂利の音がする
じゆんさいや酢を落としゐる夕ごころ
遠き日の日暮にゐたり白扇
ひまわりや切り絵のごとく夜を覇(は)る
遠泳や鳥は記憶をなくしたり

大森健司 「森」俳句会

2018年8月「森」中央支部より


2018年7月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 蝿、日傘、ソーダ水
白日傘息を殺してすれ違ふ
大森健司
第二幕日傘の人のあらはれぬ
菅城昌三
青梅雨や貌のない絵に囲まれて
西川輝美
湖暮れて赤から青へソーダ水
速水房男
ソーダ水はじけあの日の渚へと
河本かおり
文春に小蝿一匹滲(にじ)みたる
武田誠
改札や日傘をさして彼待ちぬ
松浦美菜子
気の抜けたソーダの瓶も暮れるかな
山本孝史
二年坂日傘失くして昼下がり
池上加奈子
腕を這ふ小蝿に五分の息づかひ
白川智子
ビールグラス心変わりの紅拭ひ
前川千枝
夏の雲ヨットの先に泡立ちぬ
臼田はるか
ソーダ水作り笑いを飲み干せり
中谷かける
放たれしひかりの彼方ソーダ水
三谷しのぶ
於母影を日傘の奥に透し見る
村田晃嗣
白日傘女の顔の母出でぬ
柴田春雷

第二幕日傘の人のあらはれぬ
菅城昌三
「森」中央支部特選。
これは「第二幕」で一旦、切れが入っている。
そして、「日傘の人のあらはれぬ」という場面転換を巧みに表現した作品。
「第二幕」という何気ない語をさらりと詠みあげた作者は流石としか言いようがない。
個人的には、私大森健司の好きな作品のひとつでもある溝口健二監督「祇園の姉妹」を思い浮かべた。
山田五十鈴とその姉が日傘をさして、八坂神社に訪れる。
山田五十鈴はワンピースで、姉役の梅村蓉子は着物姿で非常に艶かしい、好きな場面のひとつでもある。
作者の意図は別にあると思われるが、非常に個人的には好きな昌三作品に仕上がっている。

青梅雨や貌のない絵に囲まれて
西川輝美
「森」中央支部秀逸。
マグリットの絵画を彷彿とさせる作品。
青林檎で顔を隠された「人の子」など、一度は目にしたことのある絵画だと思うが、人は隠された向こう側を見たいという衝動がある。
今見えている世界も、実は見えていないのかもしれない。
人の心はわからない。
一見不安な空間に居る作者は本心を探られたくないのか、または自信をなくしているのか、様々な想像をかき立てる作品。
またその措辞に対しての「青梅雨」の季語が絶妙である。
この季語が例えば「長梅雨」では作品は全く魅力を失くしてしまう。
女性ならではの視点でもある。面白い作品。

湖暮れて赤から青へソーダ水
速水房男
「森」中央支部秀逸。
京都のカフェ文化は奥深い。
かつて有名カフェのオーナーであった作者であることを知っていれば尚、この作品の良さが光る。
ここでいう湖は近江を指すが、気持は京都にある、も言っても良い。
外資の参入により様変わりしてゆく一方で、レトロカフェ文化の需要は高く、有名どころで築地、ソワレ、惜しまれつつ閉店したミューズに至ってはいまだに多くのファンが存在する。
赤や青の人工的な色で着色されたソーダ水に心踊らせ、大正浪漫に想いを馳せるのもまた酔狂である。
作者の失いたくない青春性がキラキラと光る作品。

夏の雲ヨットの先に泡立ちぬ
臼田はるか
「森」祇園支部秀逸。
夏の雲が泡立つという素直な措辞に好感が持てる作品。
これがソーダ水になると、当たり前になり、凡句。
ただの描写となるところを、夏の雲を持ってくることで、一気に青春性が広がる。
俳句は背伸びせず、平明な言葉で、素直なこころで素直に気持ちを述べるのが心に残る、良い例である作品。

於母影を日傘の奥に透し見る
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
ここでの「於面影」は当て字である。
森鴎外関係の「於母影」とは全く関連ないとの事。
この作品が「面影」であると魅力は半減する。
「於面影」は母親であっても初恋の人でもまた良い。
きっと凛とした女性であろうと、思われる。
似た後ろ姿を見つけて思わずかけより顔を覗きこむという男性特有の心理をうまく捉えている。
そして、やっぱり違うかとがっかりする瞬間の失望が目に浮かび、笑みがこぼれる。
初恋の人は美化されるし、また母親に女性の理想像を重ねるのが男のロマンなのかもしれない。
チャーミングであり、心にぽっかり空いた喪失感が入り混じった、余韻の残る作品、格調もある。

白日傘女の顔の母出でぬ
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
女性は母親になる瞬間、女を捨てなければならないのか。
これは永遠に答えの出ない不毛な論題である。
母性と女の両立は男性にとっては理想でも、女性にとってはそうではないこともあるらしい。
否定するほどにかえって色気が匂う作品である。
女の顔した母親に否定的なスタンスをとる作者の寂しさがわずかに垣間見えるのも良い。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2018年6月句会報

句会報告一部を紹介します。
兼題 : 蓮、泉、梅雨

白蓮やわが息と知りしづかにす
大森健司
ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
蓮の葉に乗りてこの世の果てにをり
速水房男
喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
蓮の葉のゆりかご揺らす朝日かな
武田誠
青田なる傘から去年(こぞ)の蛙降る
松浦美菜子
株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
投石やトレビの泉に思い消ゆ
池上加奈子
露地ぬけて踏み石濡らす梅雨入(ついり)かな
白川智子
あの頃の思い出さがす金魚草
前川千枝
猫眠る椅子にさみだれ近くして
臼田はるか
缶麦酒ケチりて靴を捨てにけり
中谷かける
日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
胸の内明かすものかと冷奴

子宮(ウテルス)やをんなに七つ泉あり
三谷しのぶ
白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷

ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
「森」中央支部特選。
まず、「ひとごとのやうに梅雨来て」という措辞が巧みである。
ここでいう「ひとごとのやうに」は、季語である「梅雨」にも「電話」にもかかっている。
そして、下五で「電話鳴る」という具象的な日常を詠んだところに作者の俳句的素養を感じさせる作品。
「電話鳴る」という措辞を持ってきたことによって、突然聴覚を刺激するところも非常に良い。

六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
「森」中央支部特選。
これは季語の「六月」が一見、大雑把であるようで非常に効いている。
例えばこれが、
十月や手にのるだけの贈り物
となれば、これはこれで通用するのであるが俳句的になりすぎて、面白味に欠ける。
六月という季語が絶妙である。
又、「手にのるだけの贈り物」という措辞が大変、輝美らしく好感が持てる。
言葉が平明で処女性がある。
良い意味でチマッとした作品は愛おしい。
個人的に今月の中で一番好きな作品。
六月の例句の好きな作品としてひとつ挙げる。
六月の女すわれる荒筵(あらむしろ) 石田波郷

喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
「森」中央支部特選。
これは兼題の「泉」の中でも非常にダイナミックな作品。
勿論、「喉ならす龍のこゑ」というのは想像の虚像の世界であるが、それが良い。
もし作者が、実際に龍の口から泉が出ている情景を、詠んだとしたら凡句、駄句である。
この作品は、作者独自の感性が鋭く光っている。

株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
「森」祇園支部特選。
ついりとは、勿論、梅雨入りの意である。
6月の日本の風物詩と言える株主総会の情景が色々な音の表現により鮮明に浮かび上がる。
ヒートアップした空気をクールダウンさせるついりの転換が見事。
口は災いの元とよく言ったものだが、自然賛美の力で己の奢りを反省し、謙虚さを取り戻す、まさに男の生き様が現れているような作品。

日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
「森」中央支部特選。
この句は、私大森健司以外句会では誰も並選にも採っていない。
しかし、この言い切り、切れ字は使っていないが「切れ」こそが俳句の本質である。
静かな日常を詠みあげながらも、そこには生活の断定がある。
それは季語の「日々草」からも読み取れる。
日々草とは決して派手な花ではない。
しかし、日々草を植えて「本日善き日なり」と言い切るところに作者の人間力としての豊かさ、大きさを感じるのである。

胸の内明かすものかと冷奴

「森」名古屋支部特選。
これは、作者の思いと季語の「冷奴」がしっかりとリンクしている。
胸の内を明かすものか、という思いは男女共にあるが、季語に「冷奴」を持ってきたことによって男性的な視点俳句だと分かる。
また「冷奴」によって作品そのものがしまっている。
男性ならではの意地と追想を感じさせる作品。
女性なら「冷奴」は、こういった創り方になる。
冷奴寄りそふことをおそれつつ 西川輝美
俳句は微妙な季語の付け方や措辞によって、人間性が露わに見えてくる。
そこが面白味でもある。

子宮(ウテルス)や女に七つ泉あり
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
子宮をウテルスと詠んだ句は始めてである。
また、「女に七つ泉あり」という措辞が色々な解釈を詠み手に広げる。
七つというと、まず想像するのはキリスト教、カトリックの七つの大罪である。
七つの大罪に関しては様々な解釈が現在もあるが、高慢・物欲・嫉妬・憤怒・色欲・貧食・怠惰の七つである。
作者がこの七つの大罪から「七つの泉」としたか、どうかは定かではない。
全く別の「七つ」であっても良い。
そこは詠み手の解釈による。
どちらにせよ感性が鋭く、「泉」の使い方がこれまでの例を見ない作品であることは違いない。

白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
あえてルビはふってないが、私の以下の作品と同じで、白蓮は(びゃくれん)と読む。
白蓮やわが息と知りしづかにす
この作品からは輪廻転生の仏教観を感じる。
また「天に召される音ひとつ」が絶妙。
蓮が開花する時にはポンと音が鳴る、この真偽は分からないとされている。
天に召されたのが、一体何であるかは全く詠まれていないが、それがかえって俳句の本質である省略の文芸の基本であり、広がりと余韻を持たせている。
昌三の
電話鳴る、と同じく 「音ひとつ」の下五の表現の転換が見事。
当然、特選に値する作品。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR