2017年10月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 月、梨、藤袴(大原野吟行実施)

藤袴いくつの声を忘れきし
大森健司
藤袴ひとりあそびの果てに咲く
菅城昌三
指で追ふ活版印刷色鳥来
西川輝美
雨音の湖まで続く秋の鮎
速水房男
鵲(かささぎ)の落とした切符銀河行き
河本かおり
藤袴抜け殻に似た昼を抱く
武田誠
かのひとの残り香を踏む藤袴
松浦美菜子
名月や手に乗るほどの靴のあり
山本孝史
蜘蛛の囲に月のでられぬ都会かな
池上加奈子
いにしへの比叡を見るや藤袴
白川智子
梨むくや夕べの喧嘩置き去りに
前川千枝
手折りてはためらうばかり藤袴
臼田はるか
月の夜ねこの森にはかえれない
中谷翔
何もかもうまくいくわと秋日傘

大陸の男(ひと)の香りや巴里の秋
しのぶ
恥じらひて化粧落とせし藤袴
柴田春雷

藤袴ひとりあそびの果てに咲く
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この句の成功は作者の存在せぬ立ち位置に存在する。
「ひとりあそびの果てに咲く」の措辞が、非常に幻想的で幽玄な世界である。
この不安定な措辞によって、季語である「藤袴」の様が、逆に有り有りとリアルに浮かび上がる。
サラリーマン作品の多い作者の中では珍しい手法である。
今月は、「藤袴吟行」として、大原野に向かったが、その中でも特に素晴らしかった即吟である。
流石、名だたる俳人達と句座を囲み空気感を体感しているだけに、俳句の系譜は深い。
感銘に値する作品。
私、大森健司の「藤袴吟行」の俳句作品は以下である。
藤袴いくつの声を忘れきし
大原女の背なも暮れたり藤袴 大森健司
参考にして頂きたい。

指で追ふ活版印刷色鳥来
西川輝美
「森」中央支部秀逸。
この作品はとにかくリズムが全て、である。
「活版印刷色鳥来ーかっぱんいんさついろどりく」と、非常に心地よいリズムで収められている。
また「指で追ふ」と具体的な作者の動きを入れたことによってより映像が復元出来、また「色鳥来」で色彩感が豊かでもある。
少女趣味とも言える輝美の作品は分かり易く、女性人気も高い。
これはこれで良い。
色鳥とは秋に渡って来る小鳥の総称であり、花鶏(あとり)、鶸(ひわ)、尉鶲(じょうびたき)など色彩の美し鳥が多いことから色鳥と呼ばれる。
そして、色鳥には以下の例句がある。
参考にして頂きたい。
色鳥や森は神話の泉抱く 宮下翠舟
色鳥の来てをり晴のつづきをり 森澄雄
雨の庭色鳥しばし映りゐし 中村汀女
色鳥や買物籠を手に持てば 鈴木真砂女

藤袴抜け殻に似た昼を抱く
武田誠
「森」祇園支部特選。
これも、「藤袴吟行」による作品。
乾いた叙情世界観がそこにある。
又、不思議と異性と無機質に肌を重ねても埋まらない寂しさの様なものを、その根底に感じさせる作品でもある。
輝美の彩りのある作品とは真逆のモノクロームの世界。
都会的な作品であり、季語の「藤袴」がそこに絶妙に位置している。
愛の渇きを彷彿とさせる作品。

月の夜ねこの森にはかえれない
中谷翔
「森」祇園支部特選。
この作品はアニメージュの良さである。
「ねこの森」とは一体どんな森であろうか。
詠み手に様々な想像を膨らませる完成された作品。
現代社会の生きにくさ、そのものを象徴しているようにも思える。
月の灯りをたよりに暗い森から出たのはいいが、かえって迷ってしまうというパラドックス。
作者はもはや道を見失っているかもしれない。
完成された大人になったのかもしれない。
この「ねこの森にはかえれない」というのは、かのユニークな谷山浩子の曲名であるが、それはさして問題ではない。
大人になると却って見えなくなる物は数多く存在する。
特選に値する一句である。
此れまでの作者の中で、代表作品とも言える。

大陸の男の香りや巴里の秋
しのぶ
作者は今月から「森」俳句会に入会された全くの新人。
しかし、短歌を既に嗜まれていて数々の受賞もされている女性である。
驚くべきことに「俳句の骨格」が既に為されている。
この作品はまず気品に満ち溢れていて、女性特有の巴里かぶれは少々鼻につくが、彼女の場合巴里は大変身近にある。
俳句とは言葉を自分の物にすることである。
饒舌でなくとも、自分の言葉を持ってしてこそ、俳句は自分の物になる。
又、「大陸の男(ひと)の香り」、この様な措辞は此れまで見たことがない。
ウィットにも満ち溢れた表現が素晴らしい。
実際にこの作品からは何故か、するはずが無いのに香りがしてくるのである。
「巴里の秋」の着地点も見事である。
文句なしの特選である。
他に感銘を受けた作品として、
ペディキュアの赤ゆらめきて秋湯殿
この作品も俳句の根本である、「晴と褻」「陽と陰」がしっかりと際立っている。
湯気でぼやけている筈の視界に飛び込んでくる強烈な赤。
これは、春・夏・冬ではなく、決定打はやはり秋である。
このまま鋭い感性と気品、骨格を維持して頂きたい。

恥じらひて化粧落とせし藤袴
柴田春雷
「森」洛中支部特選。
これも秋の野に咲く「藤袴」の本質を捉えている。
錦繍の秋も良いが、野ざらしの可憐な花を愛でるのも又格別である。
「恥じらひて化粧落とせし」の措辞が大変素晴らしい。
男性では決して描くことの出来ない世界観を持っている。
「恥じらひて化粧を落とす」という奥ゆかしさと虚飾を捨てて残る上品さが、季語の「藤袴」と絶妙にマッチングしている。
これも句歴は違えど、昌三の
藤袴ひとりあそびの果てに咲く
に匹敵する作品である。
藤袴は準絶滅危惧種であり、現在京都市が再生プロジェクトに取り組んでいる。
万葉時代に歌人が愛でた藤袴というものを、俳句同様、後世に受け継ぎたいと願うばかりである。

俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」名古屋支部、東京支部も開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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2017年9月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 萩、野分、台風

萩に風ことばの距離を測りをり
大森健司
萩の花浮かぶ世に雨もたらしむ
菅城昌三
秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
灰皿に過ぎし台風うづくまる
武田誠
エデンより堕天使来たる秋真昼
松浦美菜子
道化師が野分さなかにタクト振る
山本孝史
灯を待ちて秋の小路の二年坂
池上加奈子
萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
萩の花柱時計の不意に鳴る
前川千枝
チャペルの音(ね)露をたばねて萩に置く
臼田はるか
野分過ぐ交響曲の第ニ章
中谷翔
古(いにしえ)の舟人も居り秋の海

おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷

秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
「森」中央支部特選。
この句の成功は、「膝頭」というポイントに焦点が定まったことにある。
「泣いて笑つて」から「膝頭」までの着地点が非常に良い。
又、季語の「秋風」も平明でさりげなく、その世界観を更に深めているといえよう。
輝美らしい作品であり、誰もが共感出来る良さがそこにある。

多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
「森」中央支部秀逸。
この作品ほ実に速水房男らしいユーモアもあり、さらりとしていながら見逃せない一句。
台風圏の中というのは一種の比喩とも理解できる。
男女間の心に吹き荒れる嵐とも取れるし、世間の何かしらの渦中を「台風圏」に表しているとも言える。
ある意味のふてぶてしさ、飄々と世を眺めているところが非常に面白く、作者の中で形を潜めている骨太さが非常に良い。

風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
「森」中央支部特選。
「風の盆」とは、越中の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する祭りである。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、多くの見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。
それは非常に幻想的でありながら、非日常な光景である。
措辞の「いるはずのない人探す」は正に、風の盆の真髄を突いてをり、核心的な作品。
作者は実際に「風の盆」を訪ねてをり、更に思いの深まった真実味のある作品となっている。
風の盆わたしと死んでくれますか 角川春樹

萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
「森」祇園支部特選。
兼題の「萩」での特選。
兼題の「萩」はとても難題だったようだが、この作品は見事。
秋は草花が一度散りゆくのを惜しむ時期であるのに、女が何かを咲かそうという特有発想が面白い。
古来より女性は家を守り、出産の痛みを経て子育てを慈しむ、たくましい存在であるというのを再認識出来る句である。
男は年齢を重ねるごとに自信を無くしていく生き物であるのに対して、女性はしたたかに、そしてしなやかに生きることのウィットに富んだ作品。
萩に風ことばの距離を測りをり 大森健司

古(いにしえ)の舟人も居り秋の海

「森」中央支部特選。
作者の新たな引出しを感じた作品である。
まず俯瞰的であり、情景が目にはっきりと浮かぶ。
つまり、映像の復元が出来ているということである。
平明ながら、奥行きがあり、情緒も感じられる作品。
他に感銘した作品に、
酔芙蓉月を仰ぎて詩を吟ず
がある。
こちらも季語の「酔芙蓉」が絶妙であり、作者は「俳句の骨」のやうなものを見出した様に感じられる。
五感を刺激すると共に、男性特有のフェロモンが出でいて、作者の上達に感銘を受けた。

おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
「森」中央支部特選。
この方は入会されてから、初めての句会で特選を採られた。
「おほかたは夢と思ふに」という措辞が見事に素晴らしい。
また、季語の「稲びかり」も絶妙である。
「おほかたは夢と思ふ」という、幻想文学に対してからの「稲びかり」への現実のインパクトへの移行、転換が見事としか、言い様がない。
まるで泉鏡花文学を彷彿させる作品。
今月の特選の中でも最も優れた作品。
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす 桂信子

垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
垂れ絹とは今でいうカーテンとは少し異なる。
上からたれ下げて目隠しや仕切りに用いた布のことである。
「夜にはぐれる後野分」が少し具象化に欠けるが、その空想の発想は面白い。
まるで1950年代の王朝映画に見られるような世界観である。
作者の真意は分からないが、少なくとも穏やかでないその心中と「垂れ絹」という小道具の使い方、比喩は面白いと感じたまでである。
今回、「森」俳句会の兼題である、「萩」「野分」「台風」は難しいこともあり、いつもより秀吟は少なかったようである。

俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2017年8月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 夏の海、夏怒涛、土用波、西瓜、晩夏

へその緒が天見上げをる団扇かな
大森健司
日帰りて海馬(かいば)に夏の海眠る
菅城昌三
晩夏光白いノートに紺の文字
西川輝美
白き家棲む夢にある晩夏光
速水房男
枯山水夏の光の流れけり
渡部新次郎
晩夏光あすにかけだす強き影
河本かおり
ゴーギャンや晩夏の海に色を足す
武田誠
時満ちて夜が滴(したた)るメロンかな
松浦美菜子
夏椿うしろ振り向きざまに落つ
山本孝史
夏の海重きこころを浮かせをり
池上加奈子
空豆や若き香りにむせかえる
白川智子
梧桐(あおぎり)を持つて埋まらぬ庭の空
前川千枝
夏の海白い帆先に夢があり
臼田はるか
八月の水に触れゆく鳥の影
中谷翔
十七歳君がいた夏めぐり来ぬ

土用波荒ぶる魂の叫びかな
上田苑江
立秋やシャツに染み込む陽の薄き
柴田春雷

日帰りて海馬に夏の海眠る
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この句を見たときに、ある名句を瞬時に思い浮かべた。
大野林火の代表句である、
ねむりても胸の花火の胸にひらく
大森家の俳句の始めの師は大野林火先生である。
この作品も何度、読み直してみても素晴らしい。
同意見なので、山本健吉氏の素直な講評を引用すると、「旅先で見たある町の花火の美しさが、何時までも胸に残っている。闇の中にその花火が見え、胸の中にパッと花開く」
昌三の作品も同様。
大野林火ほどの華や彩りはないが、日帰りで行った海の波の煌めき、水際での声が、帰ってきた今でも記憶を司る海馬に残っているといるというもの。
また最後の「海眠る」という措辞が大変良い。
これは俳句独特の瞬間的な切り取りではなく、叙情的な詩が根源にある。
文句なしの特選作品である。

晩夏光白いノートに紺の文字
西川輝美
この句ははじめ、秀逸で選んでいた作品である。
むしろ、特選であったのは、
くろぐろと人影動く原爆忌
である。作品の完成度で言うと、こちらの作品の方が上かも知れない。
しかし、作者が分かればそれは逆転することもある。
晩夏光白いノートに紺の文字
の方が「西川輝美の俳句作品」としては、俄然上である。
これは永遠の青春性を謳ったものである。
その青春は、そして存在しない。
これは描写でも実写でもない。
西川輝美の「欲望」である。
フランソワ・オゾンの『スイミングプール』というフランス映画がある。
ある低迷している人気中年女性の作家がヴァカンスに行って、そのさきで若い奔放な美少女と出会い、虚構を彷徨うという物語であるが、これも原点にあるのは「欲望」である。
輝美の中に「青春性」が存在しないからである。
無い物ねだりを全身で詠っているところが等身大で非常に良い。
「白いノートに紺の文字」
この措辞は青春性の代名詞なのである。
晩夏光をもってしても、それは少しも失われてはいない。
西川輝美の新たな、素晴らしい代表作品とも言える。

白き家棲む夢にある晩夏光
速水房男
「森」中央支部秀逸。
これも、兼題の「晩夏」を用いた晩夏光。
これは、作者が白い家にいつか住みたいという願望。
その願望にまで「晩夏光」が射しているというもの、である。
作者は常々、海の側の白い家に憧れている。
この句も昭和の良き時代、カドカワ映画の片岡義男などの陰影が作者にある。
晩夏光までが夢の中に存在するという発想自体が面白く、作者らしい自然体の等身大の作品である。

枯山水夏の光の流れけり
渡部新次郎
「森」中央支部秀逸。
まず、「枯山水」と持ってきて、その後夏の光の動きを持ってくるあたりが巧みである。
枯山水で京都で特に有名なのは、龍安寺であるが、それは特定しなくとも良い。
むしろ、このに「枯山水」は、龍安寺でなく、手付かずの寺であった方が良いかも知れない。
非常に纏まりがあり、美しい作品。
「夏の光」というあたりに作者のまだまだ男として、人としてみなぎる力のエネルギーを感じざるを得ない。
これが兼題の「晩夏」だと「枯山水」との組み合わせが臭くなりすぎてしまうのである。
男として、一人の人間として筋の通った作品。

晩夏光あすにかけだす強き影
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
兼題の「晩夏」。
この句の成功は、焦点を光でなく影に当てた事にある。
「あすにかけだす」という陽と「強き影」という陰のバランスが非常に良い。
季語として持ってきた「晩夏光」も決してそれを妨げてはいないところに鍵がある。

時満ちて夜が滴るメロンかな
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
メロンの例句として、
籐椅子にペルシャ猫をるメロンかな 富安風生
青メロン運ばるるより香に立ちぬ 日野草城
があるが、この二つの作品よりエロティシズムに溢れているのが、作者の作品である。
メロンの昼と夜では貌が異なる。
この作者は夜のメロンに焦点を当てている。
そこが面白く、妙である。
「時満ちて夜が滴る」と措辞も非常にエロティックでユーモラスがある。

そら豆や若き香りにむせかえる
白川智子
「森」祇園支部特選。
これは「そら豆」の持つ若さの象徴を逆手にとった、非常にユーモラスな作品。
そら豆の青臭さは非常に美味しくもあるが、鼻につく。
作者には、この洗練されていない若さへの賛美と、そこから一歩引いた視線で「むせかえる」のである。
心象風景を見事に昇華させた作品。
参考までに細見綾子の作品を挙げておく。
そら豆はまことに青き味したり 細見綾子

土用波荒ぶる魂の叫びかな
上田苑江
「森」中央支部特選。
まだ二度目にして、この実力には驚きを隠せない。
まさに土用波とは、夏の土用の頃に太平洋沿岸に打ち寄せてくる、うねりの高い大きな波のことを指す。
それを作者は素直に「魂の叫び」と措辞している。
女性の句はともすれば「承認要求」に陥りやすいが、作品の句には自然への畏敬の念や慈愛の心が感じられ、詠み手に自然の美しさを思い起こさせる。
俳句は詰め込みすぎでも、物足りすぎでもいけない絶妙なバランスで成立する。

立秋やシャツに染み込む陽の薄き
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
今年の立秋は例年より少し早かった。
秋に入り、心象的にも暑さが弱まってきた候の作品。
この「シャツ」を着ているのは、恐らく男性だと感じる。
夏の終わりとともに、少しの寂しさとまた来る夏の思いをもそこに感じさせる心象風景の写生作品。
また言葉、措辞共にシンプルで非常に平明ながら、素直な作品である。

夏の海帆先に白い夢があり
臼田はるか
十七歳君がいた夏めぐり来ぬ

このふたつの作品からも、夏独特の青春性を感じられる。
青春の煌めきとその後に来る影、人生には憧憬と後悔が付き纏うのである。
人の一生は、長い。
だからこそ青春を謳歌することは素晴らしく、肉体の衰えがあっても情熱は冷めない。

俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会はさらに充実した句会となっている。
以下、参考までに大森健司、2017年夏の主な俳句作品を挙げておく。
風薫る天に祭りのあるごとし
とある日の水に夕日や健吉忌
青田風身の寄る辺なく光りけり
うすものや先に暮れたる尾骶骨
水打つて夕空に径つづきをり
短夜の月へと爪を切りにける
人波やひとを金魚の横切りぬ
神に嫁(か)すをんなが夏の沖にあり
さきの世は貝となりたる暑さかな
あをぞらのあのあたりかな草田男忌



俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2017年7月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 巴里祭(パリー祭)、打水

人波や人を金魚の横切りぬ
大森健司
巴里祭の夜に金星を見失ふ
菅城昌三
裏窓に唄ごゑありて巴里祭
西川輝美
水打つて黒いドレスの通り過ぐ
速水房男
打水を浴びて始まる恋のあり
河本かおり
週末の花火に濡れてかえりけり
武田誠
花火見る大きな指に抱かれて
松浦美菜子
夕立きて心も傘も折りたたむ
山本孝史
遠青嶺道は真っ直ぐありにけり
池上加奈子
戸惑いしうなじの汗を拭いたり
白川智子
蝉時雨両手に掬ふ朝の水
前川千枝
影にきて影に消えたる庭の蝶
臼田はるか
ところてん女に裏と表あり
中谷翔
鋼鉄の貴婦人も居り夏の空

海いろを目にとどめをり祭鱧(まつりはも)
上田苑江
でで虫や描かれなかったクロニクル
柴田春雷

巴里祭ふと金星を見失ふ
菅城昌三
「森」中央支部特選。
巴里祭とは、1989年、パリ市民がバスティーユ牢獄を解放して打倒する火蓋を切った7月14日。この日はフランスの祝祭日となり、一晩中、飲み、歌い、踊りあかす。
巴里祭の名前の由来はフランス映画「ル・カトルズ・ジェイエ」より。
作者は巴里祭の騒ぎの高揚によって、金星を見失ったのか、もしくは 金星=VENUS(女性の意)を見失ったのかは定かではない。
そこは詠み手の想像に任せるとする。
どちらにせよ、非常に発想の着眼点が面白く、巧みな作品。
映像やイメージの復元が出来る作品。
他にも、
夜店には星の欠片も売られたる
も佳吟である。

裏窓に唄ごゑありて巴里祭
西川輝美
「森」中央支部特選。
この発想は私、大森健司の巴里祭の発想に非常に似ている。

私が兼題の巴里祭で出した作品はこれである。
裏窓を開けてひとりの巴里祭 大森健司

この輝美の作品も映像の復元がしっかりと為されている。
パリの京都にも似た細い路地の裏窓を想像させる一句である。
他にも、
パリ祭や窓のかたちに日の暮れむ
むらさきに空のかたむくパリー祭
が同時作にあったが、前作はこれらを凌ぐ物語性のある作品となっている。

水打つて黒いドレスの通り過ぐ
速水房男
「森」中央支部特選。
映像が鮮明に焼き付いてくる作品。
個人的なイメージとして、黒いドレスの女性の顔は見えない、様に思われる。
背中越しに真夏日の焼き付いた路地を遠ざかってゆく女性像を思わせる。
言葉が平明で素直でありながら、しっかりと映像の復元、リズムの良い心地よい一句。

打水を浴びて始まる恋のあり
河本かおり
「森」中央支部特選。
これも兼題の「打水」。
はじめ、この作品の目の当たりにしたとき、不思議な違和感を覚えた。
しかし、しばらくしてこれがフィクション、虚構であったとしても、ありえる話ではないか、と感じはじめた。
打水の水がかかり、そこから会話が生まれる。
「打水」で今までこの様な例句は無かったのではないだろうか。
恋の在り方として、アクシデントから起こることは少なくない。
個人的に非常に面白く気に入っている。

鋼鉄の貴婦人も居り夏の空

「森」句会支部特選。
まず、「鋼鉄の貴婦人も居り」という措辞が大変、面白い。また他に例を見ない類想のない作品。
ダイナミックな「夏の空」との対比も非常にコントラストが良い。
少しのユーモアもあり、詠み手の想像を膨らませる作品である。
他に、
この先に夕顔と呼ばれし女いて
白百合よ今宵汝が手に落ちる
もあり、秀作。
特に、
この先に夕顔と呼ばれし女いて
が俄然良い。
虚構と現実の世界観。
また映像も不思議と再現される。
良い意味で俳句らしくない良さがある。
夕顔といえば、『源氏物語』をまず思い浮かべるが、それを踏まえまくとも良い。
夕顔のはかなげさ、夢うつつ、非現実さが実に面白い。
個人的に好きな作品である。

海いろを目にとどめをり祭鱧
上田苑江
「森」中央支部に7月より、新しく入会された女性である。
同時作に、もうひとつ優れた作品がある。
祭鱧求めて店の奥の奥 苑江
「海いろを目にとどめをり」の方が格調があり、重みがある、そして普遍性を持った作品。
勿論、特選の作品である。
素晴らしい「感性、イメージの力」である。
俳句の三原則である、
①映像の復元
②リズムの良さ
③自己の投影
も見事に為されている。
季語の「祭鱧」が、作品全体を甘くしすぎず、程良い「詩の乾き」を作品にもたらしている。
また格調があるのもこの季語の恩寵。
素晴らしいの一言に尽きる。
祭鱧求めて店の奥の奥
これも個人的に大変、評価している作品。
京都人ならではである、店の情景も目に浮かぶ。
物事を観察し、切り取る着眼点が見事な作品。
個人的には「海いろを目にとどめをり」よりも、こちらの作品の方が好みである。
俳句はまず人品ありき、である。
「森」俳句会はさらに充実した句会となった。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司

2017年6月句会報告

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 短夜(明易し)、鮎

うすものや先に暮れたる尾骶骨(びていこつ)
大森健司
創世記七日目の明けやすきかな
菅城昌三
若鮎や人魚の型(けい)に横たはる
西川輝美
短夜の線路は西へと続きをり
速水房男
短夜や午前三時のスキール音
河本かおり
ズブロッカ短き夜を継ぎ足しぬ
武田誠
薄まった氷の底の水中花
松浦美菜子
白き靴夜に汚されゐたるかな
山本孝史
薔薇剪つて週末残る余白かな
池上加奈子
職退いて身のかるがると冷し汁
白川智子
短夜や人を待ちたる小さき灯
前川千枝
ハンカチを心の傷にあててをり
臼田はるか
愛憎の途方にくれし蛍の火
中谷翔
青き日の夜空を駆ける日向夏

冷めきつた鮎の苦味を玩(もてあそ)ぶ
柴田春雷

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、1の核心を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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