2017年1月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(狼、去年今年、鏡餅)

狼や贅肉(ぜいにく)のなき詩を愛す
大森健司
狼や奈落に星を拾ひたる
菅城昌三
遮断機の向かふより来る去年今年
西川輝美
舞妓らのうなじまぶしき五日かな
速水房男
虎落笛答えを出せと我身さす
森千花
大文字も比叡もそこに羽子日和
渡辺新次郎
去年今年父の遺影の白き髭
河本かおり
木枯しやうわさらしきの通り過ぐ
武田誠
マフラーの端を持つ掌の嬉しさよ
松浦美菜子
去年今年水に浮くもの沈むもの
山本孝史
煮凝りの夢は化石となりにけり
池上加奈子
鏡餅土間に静けさ過ぎにけり
白川智子
冬苺若きを摘んでしまひけり
前川千枝
冬菫まだ見つかってほしくない
臼田はるか
寒椿小さき嘘の重さかな
柴田春雷

狼や奈落に星を拾ひたる
菅城昌三
奈落とは仏教用語であるが、地獄を指す。
またどうしようもないさま、どん底を指す。
奈落は俳人が
時として使用する単語でもある。
上句は「森」中央支部での特選。
席題である狼であるが、今回の席題の中で最も創作しにくい席題であることは違いない。
昌三のこの作品は、まず広大な夜の闇の広がりの映像がはっきりとイメージ出来る。
また十七文字の中での陰と陽、マイナスとプラスのバランスも非常に良い。
星を拾う様、そこには希望があるのか、希望を待っているのか、虚構の希望なのかは不明である。
そこがまた昌三らしい。
もはや作者は俳句の骨。
つまり俳句の骨格を得ているように思われる。
絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄
狼や贅肉のなき詩を愛す 大森健司

遮断機の向かふより来る去年今年
西川輝美
「森」中央支部での特選。
遮断機の向かふより来る、という措辞が非常に良い。
個人的には遮断機といえば、アニメーションの『秒速五センチメートル』のワンシーンが鮮烈である。
しかし、その感情を抜きにして客観視点で見ても秀でた作品。
去年今年の季語もさりげなく効いている。
輝美の俳句の良さは良い意味で「地に足がついていない」所に特徴があるように思われる。
本人が生き方を彷徨っている証拠かもしれない。
しかし、それがまた良さでもある。

大文字も比叡もそこに羽子日和
渡部新次郎
「森」洛中支部での特選。
まず、大文字も比叡もそこに、というダイナミックなスケールから羽子板をしているというみにスケールの比重の移ろいが面白い。
大文字も比叡もそこに見えて羽子板をする場所といえば京都御所、出町柳辺りであろうか。
作者ならではの京都らしい風土性も顕著に出ている。
非常に親しみのある作品でもある。
作者は「見たものしかまだ詠めない」と語っているが、それで良い。
花鳥諷詠とは本来は、大きな意味での写生であり、ただの自然詠ではない。
作者独特の視点がそこにあれば、それは大きく存在するのである。
豆腐売り小路を曲がるしぐれかな (2016.12)
滴りて方丈石の語りだす (2016.6)
書を置けば比叡の山は寒の雨 (2015.12)
もののふや鍵屋の辻の初しぐれ (2013.11)

木枯しやうわさらしきの通り過ぐ
武田誠
「森」祇園支部での特選。
うわさらしきの通り過ぐ、という措辞が良い。
また木枯しの季語も非常に効いている。
これが春風になってしまうとかなり甘くなる。
喧騒の中にいる孤独、もしくは独り身の寂しさを感じさせる一句。
都会的な叙情句でもある。
誰かのいない孤独を感じる若者が多いが、作者はむしろ誰かいることの孤独の辛さを詠んでいる。
評価すべき作品。

冬菫まだ見つかってほしくない
臼田はるか
「森」祇園支部での特選。
これは現代仮名遣いの口語俳句に当たる。
実に女性らしい作品。
自分の存在自体を隠したいのか、ほのかな恋心なのかは分からないが、後者であるような気がする。
冬菫(すみれ)の季語が実に慎ましく可憐で愛おしい。
現代女性に失われがちな美学である。
やはり男性はこういった女性に惹かれるものである。
口語でありながらも、古風な一面を持った魅力ある豊かな作品である。

俳句は何度も言うように、全世界から一瞬を切り取る作業である。
そこには感受性、知性、品性、生き方、宇宙観、哲学等すべてが必要になってくる。
近年、若手作家としてメディアに出ている作品をみても、目はひくがすぐに飽きる。
それは人間性の脆弱(ぜいじゃく)さにある。
俳句とは文芸とは文化とは、入り口は浅く奥は限りなく深い。
僕は日々を自由に楽しく生きている。
いまの若者にももっと自由でいいんだよ、自分を大切にするんだよ、ということを伝えていきたい。


大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉で人にインパクトを残すことが出来るか、ということです。それは仕事で最も大切な事であると感じます。又川柳や短歌にはない俳句独特の「季語」を勉強することによって言語の引出しは確実に増えていきます。人として大切な感受性も高めることが出来ます。自然とそうなります。
また句会とともに進めてまいります。
句会の参加、セミナー等、詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お気軽にお問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
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2016年12月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(水鳥、裸木、外套、手套)
外套や篠(しの)つく雨の夜となりぬ
大森健司
外套の釦も空も琥珀かな
菅城昌三
その夜のドアの向かふはクリスマス
西川輝美
枯野ゆく瞼の奥の枯野かな
速水房男
虎落笛答えを出せと我身さす
森千花
豆腐売小路をまがるしぐれかな
渡辺新次郎
水鳥や群れて孤独の餌を食む
河本かおり
裸木に花を点(つ)けるが如く生き
井納佳子
水鳥や吾子(あこ)の小さき肩に触る
武田誠
外套の寄り添っている夜明けかな
松浦美菜子
身にまとふもののなかりし冬薔薇(そうび)
山本孝史
押入れに今年も眠る聖樹かな
池上加奈子
寒椿冷たき雨のふりそそぐ
白川智子
顔見世や漫(ぞぞ)ろこころに席を立つ
前川千枝
足早にポインセチアを胸に抱き
臼田はるか
冬晴や置いてけぼりの猿回し
柴田春雷

外套の釦も空も琥珀かな
菅城昌三
昌三のこの一句は誰も採らなかったが、特選にした。
作者が昌三であると分かりつつ、新しい境地を垣間見た気がしたからである。
「琥珀かな」という措辞が非常に良い。
また釦も空も、と言うことで虚無感の様なものも感じ得る。
しかしそれは得てして希望かもしれない。
この本意は詠み手に委ねるとしても席題の「外套」でこの様な作品を生み出したことだけでも見事である。ある種のシュールな空間がそこに存在する。
他に同時作の佳吟として、
日向ぼこ人であること思ひ出す
黄落や拾ひし人も過客なる


その夜のドアの向かふはクリスマス
西川輝美
これも長年に渡り、作者を知っているだけに、作者らしい作品。
まず、起こしが巧みである。
起こし、とはそこから物語を連想させるきっかけとなるような要素を含む作品である。
「クリスマス」という季語はその内容からも作品が甘くなりがちであるが、これは程よくクリスマスの良さが出ている。
且つさりげない。
それは上五、中七による「その夜のドアの向かふは」という抽象的な措辞にあると言える。作者はまだクリスマスの空間にいないということになる。暗闇の中である。
実に巧みにクリスマスというファンタジィな空間が伝わる作品となった。

枯野ゆく瞼の奥の枯野かな
速水房男
「森」中央支部での第一の特選句。これには非常に感銘を受けた。
枯野のリフレインも非常に効いている。
また自己の投影もしっかりと為されている。
上五の「枯野ゆく」、それに従い、「瞼の奥の枯野かな」という措辞が非常に素晴らしい。
まさに俳句のルーツが訴えるという詩(うた)であることを証明して見せしめた作品。
枯野の例句は多い。その中でも代表的な作品に以下の様なものがある。
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎
枯野はも縁の下までつづきをり 久保田万太郎
速水房男の「枯野ゆく瞼の奥の枯野かな」はこれらの歴史的代表作品にひけをとっていないレヴェルである。
次の作者の代表作と並んで素晴らしいのひと言に尽きる。
水澄んで呼ばれるままに行きにけり

虎落笛答えを出せと我身さす
森千花
虎落笛(もがりぶえ)とは、冬の烈風が電線や柵などに吹きつけて、笛のような音を発することからきている冬の季語である。
この句の良さは力強い一句一章にある。
作者の芯の強さとこれまでの一筋縄ではいかない人生を物語っている。
そして、その物語は今も続いているのである。

豆腐売小路をまがるしぐれかな
渡辺新次郎
これも、森千花の虎落笛の句と並んで、「森」洛中支部での特選。
言葉は平明ながら、叙情的である。
正に、新次郎調といっても、過言ではない。
小路は露地に繋がる。小路をまがる、ということによって露地の存在を暗に示している。
季語の「しぐれ」がそれをより鮮明に映像化している。
作者と話している際、久保田万太郎の話になった。作者は好きであろう、と感じた。
私も久保田万太郎は非常に好きな俳人である。言葉は平明ながら、言葉と言葉の間の空間が豊かである。
また久保田万太郎全集を読み返したいと思っている。作者とも語り合いたい。

水鳥や群れて孤独の餌を食む
河本かおり
「森」中央支部での秀逸。
河本かおりの良さは「安全装置を外した俳句」と前回書いたが、それは違いない。
この句の成功は、しっかりとした観察にあるとともに、席題の水鳥の背景をしっかりと捉えている。
「群れて孤独の餌を食む」という措辞に惹かれた。これは人間社会にも当て嵌まるのではないだろうか。
集合体にいながらひとり、孤独であるというのはつまり寂寥感。詩の根源的なテーマでもある。

裸木に花を点(つ)けるが如く生き
井納佳子
「森」中央支部での特選。とともに高得点句でもあった。
井納佳子の作品のレヴェルはやはり圧倒的に上がったことを証明する作品。
「裸木」は席題であったが、葉も全て枯れて枝や幹があらわになったことの状態を想定して私も皆も創作していたが、この作品の着眼点には驚かされた。
その「裸木」に、「花を点(つ)けるが如く生き」というチャーミングさと謙遜さとを両立している作者の美学が現れている。
等身大の作品が非常に奥ゆかしいのである。
詠み手の心に火を灯す作品。
私の出した席題の「裸木」の個人作品よりも好きな作品である。
裸木や手紙みぢかきほど恋し 大森健司

押入れに今年も眠る聖樹かな
池上加奈子
「森」祇園支部での秀逸。
作者の年齢的なもの、背景を知ることによってより一層響いてくる作品である。
押入れに聖樹が眠るということは、今年もひとりのクリスマスを迎えたことになる。
また家族と過ごすにはいささか恥じらいのある年齢でもある。
自虐との紙一重であるが、季語の「聖樹」によってしっかり陽の世界に転換されている。
時代が移ろい変わろうが、このような女性の感覚は普遍である。もほや現代的なユーモアすら感じられる作品でもある。

冬晴や置いてけぼりの猿回し
柴田春雷
この作品は、ハレとケのバランスが良い。
「置いてけぼりの猿回し」とは想像すると、人間模様の描写であるように思われる。
それを作者は俯瞰的に見ている気がするのである。
季語の「冬晴」がほのかな寒さの中にある暖かな光を持っていて良い。
からりと現代の人間模様を謳った現代的な叙情詩に仕上がっている。
啓蟄やなんだかんだの猿芝居 速水房男

日常のいたるところに詩は存在する。
それを作者ならではの視点で掴めるか、否か、によって人間の感動の世界は大きく変わる。
つまりそれを創作する作品も変わるということである。
俳句をして最も大切なことは日常の中に非日常が潜んでいるということ、またそれの逆も知ることにある。
それを日々繰り返すことが俳句の大切さ、と言える。
物事を考えるにあたり、かの有名編集者である、みすず書房の代表から以下のことを学んだ。
①立ち止まり考える
②歩きながら考える
③走りながら考える
この三つが三つとも大切になってくる。
立ち止まり、考えるだけでは頭でっかちな知識だけの世界で留まってしまいがちである。
俳句は大自然から繋がる、ごく小さな小宇宙である。
つまり、それは、宇宙というスピリチャルな存在を身近に感じることの出来る「こころ」そのものである。
2016年、「森」会員全員が身心ともに健康であり、「森」俳句会にいることを幸せであると述べてくれたこと。
心から感謝したい。
大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp

2016年11月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(ゆく秋、銀河、柚子)

ゆく秋の脱皮骨から始まりぬ
大森健司
空港や銀河ゆく人混ざりたる
菅城昌三
秋惜しむマトリョーシカのがらんどう
西川輝美
コスモスやふらふら君に会いにゆく
速水房男
柚子転ぶ日影の先のひかりかな
森千花
行秋や肺は呼吸を拒みたり
河本かおり
銀杏散る日々に踵(きびす)を返すごと
井納佳子
銀河の下豆腐一丁買ひに出る
武田誠
星河にて我ら見守る先祖かな
松浦美菜子
柚子ひとつ結婚記念日過ぎにしも
山本孝史
青柚子よ眩しき朝に目が覚めて
池上加奈子
山茶花や小さき爪に灯がともる
白川智子
庭先の命はかなき柚子を見し
前川千枝
アグネスの煌めきとどけ銀河まで
臼田はるか
彼方より途切れてもなほ銀河かな
柴田春雷

空港や銀河ゆく人混ざりたる菅城昌三
この昌三の作品は以前にあった単なるサラリーマン的な俳句のペーソスとはまるで異なる。
空港は様々な人々、文化が交差する場所である。
そこに「銀河ゆく人」が混ざるというフィクションが非常に面白い。
またこの作品の中には言葉もすべて平明に使用している為、メディアによく見られる駄作の「作った感」、つまり作為も感じられない。
昌三の中では、特別優れた作品ではないが、微笑ましくもあり、昌三の崇拝する俳人・森澄雄氏のこころ説にも通じる作者の俳句に対しての重い対峙も同時に感じられる。
俳句には、従来より物に託する「もの説」。
事柄に託す「こと説」が存在する。それに対して森澄雄氏は心を詠む、「こころ説」に重きを置いた。
私、大森健司の原点もここにある。
脱皮は本来皮から始まるもので、骨から始まることは常識ではあり得ない。
あり得ないからこそ、そこに作品の存在の意味がある。
ゆく秋の脱皮骨から始まりぬ 大森健司

秋惜しむマトリョーシカのがらんどう
西川輝美
この一句だけでも、作者西川輝美の歩んできた人生の濃淡の深さ、重みを感じさせる作品となっている。
2008年、西川輝美出版句集『それでも夏が大好きで』の中では、
冷奴寄り寄り添ふことを怖れつつ
はまぐりや誰かを想ひ焼く夕べ
柿若葉午後のカフェーで書く手紙
夜濯ぎやそれでも夏が大好きで

とまだ初々しさとともに作品の甘さがそこにあり、それが輝美の当時の良さでもあったが、まだ俳諧から俳句としての昇華までには至っていない。
ここ数年、私が指導して以来、輝美の作品は俳句として深く成長を遂げている。
これが席題の「ゆく秋」ならば、特選では採っていない。席題の「ゆく秋」から更に推敲して、「秋惜しむ」にしたことに成功の鍵がある。
虚無感、寂寥感がさりげなく淡々と詠われている。淡々と詠われている良さが素晴らしい。この句はゆっくりと噛み締めて頂きたい。
他に、
声たてて自販機秋の夜を吐けり 輝美

コスモスやふらふら君に会いにゆく
速水房男
これも実に作者、速水房男らしい作品。
ふらふらとした作者の行為と季語の「コスモス」の取り合わせが絶妙。
前回の代表作ともいえる、
水澄んで呼ばれるままに行きにけり
には及ばないが、非常に微笑ましく好感の持てる作品である。

行秋や肺は呼吸を拒みたり
河本かおり
「森」中央支部での秀逸。
河本かおりの良さは「安全装置を外した俳句」というようなものであろうか。
どこか常に危うさを秘めている。
河本かおりは、これまで大病や病気を繰り返して力強く生きてきた。
その人生観は当然作品にも露呈される。
呼吸を拒むのは、「自然な肺の現象なのか」、「作者の意図として呼吸を拒んでいるのか」。これは読者の想像に任せる。どちらでも差し障りがない。
この作品を出したという事実だけが真実である。
席題のゆく秋(行秋)も非常に作品を際立たせている。

銀杏散る日々に踵(きびす)を返すごと
井納佳子
「森」中央支部での特選。
これは圧倒的に井納佳子の作品のレヴェルが上がったことを証明する作品。
季語の「銀杏散る」が素晴らしく良い。
これが「紅葉散る」では駄作となる。
銀杏の黄の世界が目の前に広がる。まだ樹々にふさふさとある銀杏。そして、道いっぱいに散った黄金の銀杏。
ここで、「踵を返す」という瞬間的な動の行為が入ることによって、この作品には伸びやかさ、素直さと共に意志の強さを感じさせる。
俳句の原点である、
①映像の復元
②リズムの良さ
③自己の投影
これれらがすべて揃った作品と言える。

銀河の下豆腐一丁買ひに出る
武田誠
新しく今月より開設された「森」祇園支部での特選。
俗である日常的な行為の「豆腐を買いに出る」というものと、聖なる「銀河」のコントラストが絶妙。
また映像も復元できる。
銀河の下は字余りであったが、そのままにした。少しばかり雄々しさのある、なんとも味のある作品となった。
今後、期待したい新人である。

アグネスの煌めきとどけ銀河まで
臼田はるか
「森」祇園支部に来てくれた新人女性。勿論、俳句は初めてとのこと。その場で席題の銀河の作品を創作したものである。
京都では冬の風物詩として、平安女学院のアグネス教会のイルミネーションがある。
放課後遅くまで残って飾り付けをする女学生達の姿が目に浮かんでくる。
少女の気持ちを忘れずにいたいのか、それとも懐かしんでいるのか、それは作者の心中だけで良い。
微笑ましく初々しいデビューとなった。

彼方より途切れてもなほ銀河かな
柴田春雷
確実に力をつけているひとり。
途切れたのは、思いなのか、人間(じんかん)なのか、銀河なのか。
そこは明確でなくとも良い。
が、しかしそこは思いである方が、季語の「銀河」の本質を捉え恩寵があり、良い。
陰と陽のバランスが良いのである。
切ない作者の刹那な思いを銀河が包む。
しかしながら、銀河も永遠ではない。
そこにまた新たな刹那が存在する。

俳句はたった17文字しかない最短詩である。
そこには作者の人生の瞬間を切り取りする行為によって、各々の人間の小宇宙世界がそこに存在する。
今、私は肉体、精神ともに非常に充実している。右脳と左脳とのバランスも人間は大切である。「晴耕雨読」とはよくいったものである。
俳句を通して多くの方々に本来、人間の持つ感受性の豊かさ、そして言葉の持つ本来の力を知って頂きたい。
そして何より人生を豊かに実りあるものにして頂きたい。
人生を豊かに実りあるものにするのは、お金でも地位でも名誉でもなく、まずは「幸せを、感じることの出来る心」を培うべきである。
それを俳句を通して実感して貰いたい。
つまり、意志でしかない。
大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
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「森」MORI
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2016年10月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(桔梗、十六夜(いざよひ)、水澄む)

いざよひや哀しきいのち箸に置く
大森健司
老夫婦無月に赤き花咲かす
菅城昌三
こころだけとほくにありて水の澄む
西川輝美
水澄んで呼ばれるままに行きにけり
速水房男
右ポッケなごりの秋をつめ込みて
森千花
十六夜や少しはみ出す紅拭ふ
河本かおり
天の川星なき我に汽笛鳴り
井納佳子
早朝の銀河が去りし枕元
松浦美菜子
光秀の面影追ひし桔梗かな
山本孝史
手をつなぎ銀河の下に影ふたつ
池上加奈子
あきかぜや行くも戻るも紙一重
白川智子
庭先の桔梗の影に苔茶伏す
前川千枝
鹿鳴くや夜の青きを見てゐたり
柴田春雷

老夫婦無月に赤き花咲かす
菅城昌三
無月とは、十五夜の名月が曇り空の為、見えないことを指す。
この句は虚構の中に真実がある。
この作品自体は作者のフィクションであろう。
しかし、「老夫婦」「無月」と「赤き花」との陰と陽のコントラストが良い。
良い作品というものは、陰と陽、文学的に言うと「ケ」と「ハレ」の交差の中に成立する。
そういった意味でこの「赤き花咲かす」というセンテンスが、月は見えなくとも満月の夜であることをアンニュイに感じさせる作品に仕上がっている。

水澄んで呼ばれるままに行きにけり
速水房男
これは「森」中央支部での昌三の並んでの特選の一句。
昌三よりも更に平明で素直で、且つ、季語の本質を捉えていて素晴らしい。
これは自己投影以上に作者の人柄を感じる作品。
微笑ましくもあり、手垢の全くない作品。
席題の「水澄む」とは、台風や長雨の過ぎた秋の深まりに、川、池、沼、水かめの水。そして台所の器の水までが澄んだ感じがすること。
澄んだ自然の摂理に逆らうことなく、導かれるままに歩んでゆく作者の生き方が全面にみえる素晴らしい作品である。
他に、
川越へて釣瓶落しの花街(かがい)かな
陽も月も届かぬ星の曼珠沙華


右ポッケなごりの秋をつめ込みて
森千花
他に、
風つよし金糸銀糸のすすきかな
秋時雨秋を深めて仕上げけり
結梗咲き我欲なき色美(うま)しけれ

がある。
高得点句は、
桔梗咲き我欲なき色美(うま)しけれ
桔梗は結梗とも書く。
まず美(うま)しけれ、という表現が良い。
桔梗の紫の格調の高さを女性ならではの憧れの視点と共に柔らかくも大胆に表現している。
いつも色とりどりイメージのある作者だが、これは秋の紫一色が際立つ作品。
また、
右ポッケなごりの秋をつめ込みて
秋は実りとそれが去る相反する季節。それを初心を忘れることなく創作している。
こういった奇を衒うことなく、初心のこころでつくり続けることは簡単なようで容易ではない。

十六夜や少しはみ出す紅拭ふ
河本かおり
これも「森」中央支部での秀逸。
限りなく特選に近い。
この「紅」は具体的な女性の口紅、もしくは女性が持つ「紅」そのものであっても良い。
季語の「十六夜」とその後の措辞が絶妙であり、映像の復元もしっかりと為されている。
拭いとった布、もしくは紙、そして掌。
月明りだけの薄暗い闇。
それを明確にイメージさせる。
これもまた女性のアンニュイな色気ある一面を切り取った作品。
この作者は言葉というより、センテンスの組み合わせの巧みさは秀でている。
「森」の中では、菅城昌三の創作の方法に少し似ていると言えるだろう。

鹿鳴くや夜の青きを見てゐたり
柴田春雷
森「洛中」支部特選の作品。
夜の青きを見ているのは、鹿なのか作者自身なのか?
そこは明確にすべきではない。
詠み手に委ねて良いだろう。
季語の「鹿鳴くや」と中七、下五の組み合わせが絶妙。夜の青という措辞も良い。
確実に実力をつけているひとりでもある。
他に、
秋晴れや履き慣れた靴捨てきれず
十六夜や手を振れど父振り向かず

があり、全て秀吟。

小林秀雄の対談集で大岡昇平との中に以下の内容があった。
ー以下、小林
ぼくはとにかく人を説得することをやめて25年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ。人をほめることが、道が開ける唯一の土台だ。このごろ人にはそれだけの道しかないように思っているんだけれども、何でもいいから僕の好きなものは取る。人から取るの。そうゆう道はあるよ。だから、説得をやめてというのは無関心になったわけじゃないんだ。取れるものは取ろうと思いだしたんだよ。ずいぶん昔のことだけれど、サント・ブーヴの「我が毒」を読んだときに、黙殺することが第一であるという言葉にぶつかったが、それがあとになって分かったな。お前は駄目だなんていくら論じたって駄目なことなんだよ。全然意味をなさないんだ。
自然に黙殺できるようになるのが、一番いいんじゃないかな。

「自然な黙殺」というのは、本来の俳句にも通じることではないか、と感じている。
今の世間や俳壇での俳句作品は無駄に饒舌すぎる。それでは余白が生まれない。
遊び心もない。
それはそれで楽しくないのではないか、飽きを早まらせるのではないか、と大いに感じる。


大森健司

2016年9月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(秋晴・秋めく・新豆腐・鬼灯)

新豆腐花影しづかにありにけり
大森健司
新豆腐はじらひ水に捨てにけり
菅城昌三
こころざし新たに檸檬懐(ふとこ)ろに
西川輝美
秋晴れの湖の向こうはなかりけり
速水房男
水澄みて蒼きばかりの空浮かぶ
渡辺新次郎
水澄みて衣ずれの音もすけるなり
森千花
陽だまりの記憶をたどり新豆腐
河本かおり
秋めいてセピアな映画に台詞(セリフ)あり
井納佳子
鬼灯や夕暮れに傘ひらくなり
高田真司
想い出をかきまぜ鳥の渡りくる
篠田和
新豆腐つらなる山の雫かな
池上加奈子
秋晴れや暮らしの手帖読んでいる
佐藤美奈子
柔肌に触れどつめたき新豆腐
白川智子
秋時雨夢のあとさき置き忘れ
柴田春雷

お知らせ
「森」ホームページ更新致しました。
まず、句会日程が変更致しました。
入会金:無料
月謝:月 5000円

いずれか月に1回です。

初心者クラス
第2金曜日 14:00〜17:00 京都大学,左京区 (満席)
第2日曜日 14:00〜17:00 烏丸五条,下京区(定員あと4名)
第3日曜日 14:00〜17:00 烏丸五条,下京区(定員あと4名)
最終金曜日 14:00〜17:00烏丸五条,下京区 (定員あと2名)

上級者クラス(初心者の方も大歓迎です)
第一日曜日 12:00〜15:00 千本一条,上京区(定員あと1名)

時間、日時等ご都合のつかない方はメール、又はお電話ください。
句会を流動的に移行させて頂きます。
「森」俳句会では本式ですので、基本出句は10句ですが、出来ない場合は1句でも構いません。
俳句は「座」の文芸です。
その場の空気をお楽しみください。

気軽にお問い合わせください。
morihaikunokai@gmail.com

大森健司
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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