寺山修司の虚の世界

これまでに影響を受けた作家のひとりに寺山修司がいる。
彼は俳句から短歌へ、短歌から映像へ、映像から演劇へと移っていった。
俳句の代表作を挙げるとすれば、

十 五 歳 抱 か れ て 花 粉 吹 き 散 ら す
目 つ む り て い て も 吾 を 統 ぶ 五 月 の 鷹
便 所 よ り 青 空 見 え て 啄 木 忌
  修司


これらは寺山修司の青春俳句といって良い。
また、

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
  修司


短歌では俳句以上にその言葉の虚、つまりフィクションの言語空間を縦横に活かしている。
寺山修司は俳句、短歌、詩の中で何度も母を殺す。
それは母への愛憎の表現でもある。
また風土、青森三沢であるが、それに対する愛憎であるように思える。
寺山修司は俳句より短歌、短歌よりエッセイが秀でている。
それは散文になればなるほど、彼のもつフィクションの空間というものを発揮しやすい場所であったからであろう。
寺山修司の詩人としての魂は僕の俳句にも大きな影響を与えた。
言語に対しての感覚が非常に鋭い。
最後に寺山修司の中で好きな詩を挙げる。


昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかつて
完全な死体となるのである。
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町橋本の
小さな陽あたりのいい家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかなかったことを知っていたのだ
「懐かしのわが家」


大森健司


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2013年新年句会報

句会報の一部を紹介致します。

ケ バ ブ ー を ほ お ば る 冬 の 赤 さ あ り  大森健司

ピ カ ソ の 目 三 つ 四 つ 数 へ 春 を 待 つ  夏目華絵子

水 だ け の 花 瓶 に 春 の 来 た り け り  西川輝美

初 景 色 猫 の 遠 く で 動 き た り  西尾ゆう子

冬 耕 の 三 坪 ば か り に 春 の 夢  梶田紘子

寒 明 け て 人 の 焼 か る る 煙 か な  菅城昌三

久 女 の 忌 月 ふ と り ゆ く 寒 の 入 り  秋山しづ子

姫 椿 散 り し 月 夜 の 石 畳  前田壽登

欲 ば り て 元 旦 日 記 文 字 多 し  森千花

我 が 胸 に 闇 お し 寄 す る 寒 の 夜  野村幸男

大 寒 や 湖 な ほ 濃 く て 比 良 白 し  速水房男

侘 助 の 散 り し あ た り の 日 だ ま り や  野村美穂子

立 春 や 鏡 の 中 に 誰 も ゐ ず  中原恵美

何 か 掌 に 掴 ん で ゐ た き 雪 女 郎  高木憂



今月の特選の夏目華絵子の、

ピ カ ソ の 目 三 つ 四 つ 数 へ 春 を 待 つ

が素晴らしい。
他にも、

粥 柱 い の ち の 揺 ら ぎ あ り に け り

ふ さ が つ た ピ ア ス の 穴 に 大 寒 波


これらも実に秀品である。

また高木憂の、

何 か 掌 に 掴 ん で ゐ た き 雪 女 郎

も実に実感のある秀品である。
自分しか見えない風景を詠んでもらいたい。
それは虚でも実でもいい。
飯田龍太の言葉をかりる。

あるがままの自然、などという言葉は、文芸の上ではあり得ないことだ。
人間に対する関心なくして、自然だけ独立して存在するということはあり得ない。
自他を含めて人間に対するおもいを失って見事な俳句が生まれるとは思えない。

この言葉をもって新年の句会とする。
結社「森」は益々成長してゆくであろう。

大森健司

俳句の秘密

俳句を上達するにはどうすれば良いですか?
よくある質問だ。
はっきりいって答えはある。
しかしそれはここでは明かさない。
ひとつ挙げるとすれば、だれかの秀作をつねに心にとどめておくことである。
それも出来るだけたくさんのなかから数句で良い。
僕自身、つねに頭のなかにある句が、何句かある。
それを超えるために創作をしていることがある。
だが、大切なことは上達する俳句、つまり、上手な俳句をつくる方法はあるが、
立派な俳句をつくる方法は教わりようがないということ。
飯田龍太の言葉をかりるとすれば、

「それをみずからのこころのなかに捜し求めているひと。
 そのひとが、俳句の秘密を知ったひとだ。」

そこにある風景をひとりのものにできるひとは良い句をつくる。

大森健司


息が足りない

歌人、河野裕子氏が2010年8月12日に亡くなられた。
永田和宏氏と河野裕子氏の長女である永田紅は偶然、同志社中学校からの同級生であったが、社会人になるまで互いに俳句、短歌をしていたことは知らなかった。
しばらくして永田紅から歌集『日輪』が贈られてきた。
何度も何度も読んだ。同級生にこのような存在がいることは非常に嬉しかった。


20130209_01


僕が俳句現代賞を受賞した際には心から喜んでくださり、この句はいい、この句はダメね、と仰ってくださった。
「京都に帰った際には必ず遊びに来てね、健ちゃん。」
それが裕子さんと最後に交わした会話であった。そのとき僕はまだ東京にいた。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつては行つてはくれぬか 河野裕子

たつぷりと真水を抱きてしづもらる昏き器を近江と言へり

また次の一首は、裕子氏が京大研究所にて診察を終えて、迎えにきた永田和宏氏と直面した際の歌である。このとき既に裕子氏が末期の乳がんであることは、ふたりとも知る逃れようのない事実であった。裕子氏はそんな和宏氏にこう詠っている。

何といふ顔をしてわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない

そして、辞世の一首。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

読んだ瞬間に胸があつくなる一首である。言葉にできない。
作品のすべてに言えることは独特の言語感覚の鋭さ、そして歌の大らかさ、のびやかさ、品位の高さである。
感銘するばかりである。
残念ながら俳壇には河野裕子氏に匹敵する女流俳人は今いないであろう。


20130209_02_大森健司


大森健司



プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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