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2015年5月、6月句会報

句会報の一部を紹介します。

木下闇より縄文人のはしりだす
大森健司


夕立きて部屋に記号の横たはる
菅城昌三


オーデコロン父のやさしさまだらなり
梶田紘子


絵の中の街に雨降る晩夏かな
西川輝美


地球儀を回しきつたる夏夕べ
速水房男


花菜雨彼岸今岸を分かず降る
西尾ゆう子


風薫るどなたかおわす御本殿
渡辺新次郎


梅雨の間のいたづら心の水すまし
森千花


月涼し五臓六腑のひとつ欠く
古田左千夫


夏シャツを吊るせばこぼる海の砂
中原恵美


夏座敷いるべき人のいない場所
高木憂


ブラックライト浴びて海月は泣きにけり
河本かおり

追伸

4月の下旬に、野村幸男氏が逝去されました。心より御冥福をお祈りいたします。

しばらく、幸男氏の句会は休会とさせて頂きます。


まず、菅城昌三の、

夕立きて部屋に記号の横たはる

これは句会で僕が特選に唯一、採っただけで、他は並にも採られていなかった。

選句は、創作より大切である。

この句の良さを噛み締めてほしい。

まず、部屋に記号のよこたはる、という措辞が素晴らしい。

それを夕立きて、という季語が実にさりげなく、ぴたりと嵌っている。

この記号は自身を表すのか、時間を表すのかは、分からない。

いずれにしても詠み手に様々な想像を掻き立てる素晴らしい一句である。

昌三の代表作のひとつにいれても良い。

この句が理解できなければ、詩ごころは理解できないであろう一句。


絵の中の街に雨降る晩夏かな

この西川輝美の句は添削した。

原句は、

絵の中の街に雨降る芒種かな

である。

芒種では、広がりがまったくなく、非常に狭い句となってしまう。

芒種とは、二十四節季のひとつ。六月六日頃にあたり、芒のある穀物を蒔く時期の意、である。

芒種という季語によって、句が死んでしまっていた。

晩夏とはどういう季語なのか、

角川春樹氏の例句を挙げてみる。

豆腐屋のこぼせる水も晩夏かな

存在と時間とジンと晩夏光


俳句は季語によって、善し悪しが決まるといっても過言ではない。

それほどに季語は推敲を繰り返して、付けなければいけない。

十七字をひとつの物語に変えるのは、やはり季語なのである。


驚いたのが、全くの新人の河本かおり。

俳句は初めてだとのこと。

祖父が正岡子規と句座を囲んでいて、父が俳句をしていた、とのことである。

初めての句会には発行者、角川春樹の角川書店の俳句歳時記を持参していた。

ブラックライト浴びて海月は泣きにけり

これは非常に渇いた現代の一行詩である。

例句をみても、このような現代的な海月の句はない。

僕は何度も述べているように、花鳥諷詠を否定はしない。

しかし、この渇いた現代社会社会において、正岡子規、高浜虚子の檻からもう脱却すべき時期なのでないか、と思っている。

この初めての作品は秀逸に頂いた。

僕もたまたま海月の句をその句会で出した。

ネカフェにて海月の如く光りけり   健司

根底は同じようであると思われる。

また、

引力の尻尾を振って浮いて来い

生き方は死に方となる走馬灯


これらも初めてとは思えない程のレベルである。やはり家系的な遺伝子が受け継がれているので、あろうか。

益々、今後が楽しみである。


俳句は生き方そのものであり、丸裸の文芸であることを決して忘れてはいけない。

頭でっかちで作った句や技巧のみに走った句、自己陶酔の句にはなんの魅力も感じない。

森 も設立してから三年経った。

実力のあるメンバーも固まってきた。

そろそろ本格的に活動する時期だと思っている。次なるステージの段階に来ている。

情熱は人を集め、夢を叶わせる。

大森健司
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Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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