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永六輔氏と三橋敏雄氏と

もう十数年前になるだろうか。
永六輔氏と初めて会ったのは、永六輔氏の事務所の渋谷のマンションの一室であった。
そのときの言葉は今でも鮮明に記憶している。
「現在の俳句の世界は小さい。まるで村社会だ、俳壇なんて無視して自分の道を進みなさい」
そのあと、ラジオ番組の収録連れていって頂き、今はなき赤坂プリンスホテルでコーヒーを飲んで帰った。
思えば、当時俳句の重鎮であった三橋敏雄氏も全く同じことを言われていた。
三橋敏夫氏は小田原に住んでおられて毎月小田原まで遊びに伺っていた。
戦争や無季俳句、自身の俳句の歴史について様々な俳句の話をさせて頂いた。共に骨太な方達であった。
SNSで繋がりのある池田澄子氏はその系譜を継がれている。
今の俳壇、俳句雑誌には余り関心がない。
廃刊となった過去の角川「俳句研究」での山本健吉、森澄雄、飯田龍太、中上健次、角川春樹氏等そうそうたる感性と知識、知恵の斬り合いなどはもはや全く存在しない。
外からのスパイラルがない限り革新は不可能と思われる。
俳句をより本来の姿で後世に残す為にも、
良い作品を創りつづけること
外からのスパイラルで世界観を変えること
このふたつは避けては通れない。

大森健司
2016040715411157f.jpg
写真は2016年4月、京都市左京区 京都大学にて撮影
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2016年1月、2月句会報

句会報の一部を紹介します。

春一枚大和の海のしづかなり
大森健司
去年今年濁点つけて生きてゐる
菅城昌三
永き日をくわえて戻る仔猫かな
西川輝美
節分や湖には湖の鬼がゐる
速水房男
今更に齢かさねて去年今年
渡部新次郎
髪切りて無言で帰る二月尽
森千花
日脚伸ぶあしたに透ける爪をとぐ
河本かおり
春光や遠き昨日のかき消さる
高木憂
ストーヴに今日をかざして息を吐き
井納佳子
紅梅や白梅や妻愛しをり
篠田和
指切りや春夕焼の過ぎてゆく
池上加奈子
在りし日のかくも短き春の風
佐藤美奈子
きさらぎや袂にすがる花扇
白川智子
春光に翳して透けるいのちかな
柴田春雷

去年今年濁点つけて生きてゐる
菅城昌三
「森」中央句会での特選。
濁点をつけて生きる、という表現に非常に感銘した。
季語の「去年今年」も非常に効いている。
濁点をつけて生きてゐる、ということはつまり俯瞰的に自分自身を見つめているという証拠である。
俗サラリーマン社会に汚れながらも、純真さを失わない昌三の特徴がよく出ている。
素晴らしい一句。
他に、

白菜の夕日を洗ひ落としけり
父よ母よ肺の底より寒の来る
春待つや枕の上の通過駅


これらも秀作ではあるが、
去年今年濁点つけて生きるゐる
の一句が圧倒的に佳吟。

永き日をくわえて戻る仔猫かな
西川輝美
これは、「森」中央句会での高得点句であった。
輝美の句は非常に誰もが分かりやすい、万人受けするのが特徴である。
文学的に解析すると魂を彫り下げる作業にまだ欠けている点はあるが、一般的には非常に分かりやすい良さがある。
それは等身大の女性ひとりの俳句として良いことだと思っている。
この句もイメージが復元しやすく、女性ならではの柔らかさがある。
また、永き日をくわえて戻る、という措辞も微笑ましくよく出来ている。
輝美は等身大の句を作ったとき、成功する。

蝿の子の愚直に生きてまだ飛べず
これも佳吟。

節分や湖には湖の鬼がゐる
速水房男
これも「森」中央句会での特選。
この湖は近江であろう。
近江は淡海ともよぶ。
この句には民族性と宗教観がかなり含まれている。
深く探れば、柳田國男や釈迢空の世界である。
現代には、自然に対する脅威というものが大変薄れてしまっている。自然への尊敬の念である。
この鬼は悪ではなく、尊敬の念の象徴なのである。
近江を詠んだ俳句は森澄雄氏はじめ角川春樹氏など多くの有名な俳人に存在する。
歌人の河野裕子氏の次の短歌の一首も思い出される。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
ゆっくりと噛み締めて鑑賞して頂きたい。

ストーヴに今日をかざして息を吐き
井納佳子
まだ新人と呼べる段階であるが、素直な日常が一句に表れている。
何気ない日常の一コマ。ワンシーンを、今日をかざして、という表現によって詩歌に変えている。
句には人柄、人格、性格、価値観、全てが露呈される。
つまり「裸の文芸」である。
技巧は大変重要であるが、
いつまでも素直な感性を忘れてしまっては、その技巧も全く意味を成さない。

指切りや春夕焼の過ぎてゆく
池上加奈子
今回の「森」句会での全くの新人である。
初めての俳句、初めての句会で若々しさがある。
僕は個人的に、
アニメの『時をかける少女』の川辺の主人公ふたりのシーンを思い出した。
指切り。約束。夕焼。
青春、、、
いつまで青春の概念とするかは、分からない。むしろ人それぞれであると考えている。本人の感覚の問題であるからである。
まだまだ若いゆえ、これからに期待したい。

春光に翳して透けるいのちかな
柴田春雷
これは「いのちかな」の部分を添削している。翳しては、かざして、と読む。
春はこれから全てが芽生えていく季節である。それゆえの刹那もある。
いのちかな、の方が句のスケールが俄然大きくなる。
春の光にいのちが透けるというのは、まさに詩でしか表現し得ない世界である。
カメラに写るものをそのまま作品にしても、それはつまらない。
それを詩歌に昇華させるには、更に高度な技量、そして創造力が要求されるのである。

大森健司
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「角川春樹賞 受賞のことば」より

昨夜、処女句集『あるべきものが…』を読んでいると、あとがきに角川春樹氏が僕の受賞のことばを引用されていて、現在の自分の意志と全く変わっていないことに驚き安堵しています。

それをここに転載致します。

俳句は一行詩です。詩のよさは、老若男女問わず、その中に「少年」が住み「少女」が生き続けることです。
映画「ハウルの動く城」で少女ソフィーは魔法使いによって老婆になります。
しかし、魂は少女のままなのです。
年を重ねるということは、同じ坂を上ることが以前よりきつくなるということだと、ある女性に言われました。
自分にとって生きていく中で大事なことはひとつだけです。
「自分の人生を好きになること」
今の自分、今の時間、今の景色、そして身近なものひとつひとつが好きであることです。
俳句は賭けです。賭けるものは命と魂。すなわち自分自身です。
賭けるものが自分自身なら誰しもがオールインせざるを得ないはずです。
裸になっても、それを選択したならば、最高に幸せと信じて俳句を続けます。
以上(平成17年 「受賞のことば 」より)


シンプルであり続けたいです。
今の世界観や創造する力、生きている匂い、目に映るもの全てを受け入れ、吸収して、毎日を楽しみたいとおもっています。俳句と出逢えて本当に幸せです。
大森健司

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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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