スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016年3月、4月句会報

句会報の一部を紹介します。

夢売りの夢売りにくる遅日かな
大森健司
ふらここや家族の数を足して引く
菅城昌三
紫雲英野をきていつのまに戻れない
西川輝美
啓蟄やなんだかんだの猿芝居
速水房男
空拭きの膳積みあげて春の宵
渡部新次郎
山笑ふあといくたびや暗き底
森千花
夕桜をんなの芯の狂ふ音
河本かおり
花の闇電話ボックス灯るなり
高木憂
ひとひらの桜紛れた荷を解く
井納佳子
まだ寒き春のコートを椅子に掛け
篠田和
春雨やみぢかき橋をわたりつつ
池上加奈子
夕衣や見果てぬ胡蝶の夢ばかり
佐藤美奈子
消え残る在りし日燃やす花篝(はなかがり)
白川智子
花衣昼行燈の我が身かな
柴田春雷
大地から揺れた大地の鳥渡る
平智之

ふらここや家族の数を足して引く
菅城昌三
「森」中央句会での特選。
他の作品に、
北窓を開けトランプの裏返る
西行や手に取る水の温みたる
鳥雲に入りて出口の閉ざさるる

があり、どれも良い。
昌三の作品の特徴としては基礎が出来ている事は前提として、名詞や記号や数字など技巧の使い方がさりげないことにある。
代表作である、
香水を夜に落とせし堕落論
これも坂口安吾短編小説『堕落論』からの転換であるが、言葉が浮いていない。
又、過去に角川春樹先生も高く評価された十数年前の「河」作品であるが、
白き靴水曜といふしづけさに
これも「水曜日」という名詞が主張しすぎずも動かない。
これはひとえに言葉の、大きく言えば人としてのセンスであると思われる。
今回のふらここの一句も、
家族の数を足して引く
この言葉自体は非常に抽象的である。
本人にも句の真意は聞いていない。
しかし、「家族」を数字に転換することによって現代社会を表現しているこのセンスは評価に値する。
『魂の一行詩』・角川春樹著にも掲載されているが、家というモチーフに以下の俳句がある。
炎天や生き人形が家を出る 大森健司
秋高し積木の家の建ちにけり 松下千代
鰤起し家族といふは悲の器 角川春樹

これらの延長戦上の作品といえる。
平成以降、現代社会の抒情性のひとつに「渇いた抒情」というものがあるが、それに当たる。
現代の俳壇はこういった感性の作者をもっと取り上げるべきである。

紫雲英野をきていつのまに戻れない
西川輝美
俳句には4種類の作り方しかない。
*歴史的仮名遣いで文語
*歴史的仮名遣いで口語
*現代的仮名遣いで文語
*現代的仮名遣いで口語
皆、このどれかに当てはまって作っている。
西川輝美句集『それでも夏が大好きで』の中にも口語作品は多く見受けられる。
紫雲英(げんげ)というものが、フィクションの紫雲英野であることは間違いない。
その場所は華やかでありながらも哀しき場所なのだろうか。
中七、下五の「いつのまに戻れない」という心象と紫雲英野のいう季語が絶妙であり、幻想感を生んでいる。

啓蟄やなんだかんだの猿芝居
速水房男
これも「森」中央句会での特選。
この句は僕以外、並選でも誰も採っていない。
しかし、この句は作者の代表作にも匹敵するレベルの作品である。
現代を象徴する比喩の「なんだかんだの猿芝居」が可笑しくも哀しい。
また啓蟄という季語が、正に二句一章であり、これは理解されにくい感性かもしれない。
啓蟄とは陰暦二月の節である。土の中に冬眠していた虫が穴から出てくることを指す。
むしろ今後動き出す春に向けての季語なのである。この句には自虐や寂寥とはまた違った何か。真のシュールレアリズムを感じたので採った迄である。

空拭きの膳積みあげて春の宵
渡部新次郎
「森」洛北支部での特選。
作者は某有名料亭で働いている。
それ故の写生句であろうが、まさに映像の復元が立派な作品。
この膳は漆と捉えたい。
季語の「春の宵」が絶妙に効いている。
まだ電気をつけるほどではないが、なんとも余韻のある春の暮れてゆく薄暗い映像が目に映る。
さりげなくも叙情のある作品である。
仲居さんのいじらしく春の宵に膳を拭く姿に色気を感じる、作者ならではの着眼点、世界観がこの句の成功の鍵となっている。

山笑ふあといくたびや暗き底
森千花
「森」洛北支部での特選。
山笑ふ、とは春の山のことを指す。
春になり、彩りはじめた山々の息吹き、生気のことを「山笑ふ」と表現する。
この季語と中七、下五の対比。これは年輪としか言いようがない。
「あといくたびや暗き底」には作者のこれまでの人生の艱難辛苦が全て詰め込まれているように思われる。
そこに「陽」である春の季語の使い方が非常に大胆であっけらかんとした秀吟となった。

夕桜をんなの芯の狂ふ音
河本かおり
「森」中央支部での特選。
また、これは4月「森」中央支部高得点句でもあった。
「をんなの芯」とは如何なるものなのか。
それを的確に表現することは出来ないし、またする必要性もない。
それが狂ふ音という下五によって、季語の「夕桜」が絶妙に活きてくる。
視覚、聴覚、そして五感の全てが十七文字という詩に詰め込まれている。
これが「をとこの芯」では成立しない。
乳房と子宮を持った「をんな」が狂う一瞬によって成立する優れた作品。
また暮れてゆく桜にそれがアンニュイにLINKしているのも非常に良い。
研ぎ澄まされた一句である。

ひとひらの桜紛れた荷を解く
井納佳子
真っ直ぐで素直な作品。
旅の帰りであろうか、それとも引越しであろうか。
他にも引越しの作品が見られたので、そうかも知れないが旅の終わりか家の整理している状況の方がより、良い。
それは読み手の自由である。
荷物を解く際に「ひとひらの桜」が紛れていた。
その桜の演出によって写生は大いに広がりを持つ。計算の全くない作品。さりげない日常の一コマを大らかに詠んでいる。
それで良い、むしろそれが良い。

大地から揺れた大地の鳥渡る
平智之
「森」洛中支部での特選。
名前は既に存じ上げていたが、春から「森」句会に入門された。
初めに、「俳句は地位、名誉、肩書き。すべて関係ありません。だから句会では皆、下のお名前で呼びます」とお伝えしたところ、笑顔で承諾された。
驚いたのは、その俳句の感性である。
席題を幾つか事前に出したのであるが、作品を句会で見て驚愕し、感銘した。
席題のひとつである「鳥渡る」に対して「大地から揺れた大地」というダイナミック且つ少年のような措辞が素晴らしい。
既に宇宙観があり、俳句の骨なるものを掴んでおられる気がしたのである。
他にも、
春雨に濡れ出でるものひとりふたり
これも「春雨」の絹のようでまだ左程温かくない、柔らかな雨の本質を捉えている。
「濡れ出でるものひとりふたり」という字余りでありながらも絶妙な措辞も素晴らしい。
抒情的であり、普遍性がある。
大森健司『あるべきものが…』の中にも以下の作品がある。
春雨に骨まで濡れてしまひけり 健司
作品だけでなく、ひとりの人としての人品、姿勢に感銘を受けた。
Googleにて 平智之 を一度検索して頂きたい。弱者の立場を考え、耳を傾け、真っ直ぐに己の利権に関係なく行動する。こういった本当の意味で反骨心のある方は現代社会では余り見かけない。
今後、ゆっくりと魂で対話させて頂き、共に現代社会に対して、発信したく思っている次第である。

他にも取り上げたい作品が沢山見受けられたが、会員が増え、句のレベルも上がっているのでさらなる飛躍を期待したい。

今、日本経済は貧窮している。世の中を動かすのはまず文化である。文化は経済をも動かすエナジーを持っている。
今こそ「真の文化」というものが必要な時である。
大正デモクラシーも然りである。
文化レベルを上げることは必ず国の経済、国政に繋がる。

大森健司
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村








スポンサーサイト

大衆文藝ムジカ04号 発売

本日より大衆文藝「ムジカ」、全国書店にて販売されます。
大森健司俳句作品も巻頭で出ておりますので、是非書店で御覧になってください。
今後ともよろしくお願い致します。

大森健司


プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。