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2017年8月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 夏の海、夏怒涛、土用波、西瓜、晩夏

へその緒が天見上げをる団扇かな
大森健司
日帰りて海馬(かいば)に夏の海眠る
菅城昌三
晩夏光白いノートに紺の文字
西川輝美
白き家棲む夢にある晩夏光
速水房男
枯山水夏の光の流れけり
渡部新次郎
晩夏光あすにかけだす強き影
河本かおり
ゴーギャンや晩夏の海に色を足す
武田誠
時満ちて夜が滴(したた)るメロンかな
松浦美菜子
夏椿うしろ振り向きざまに落つ
山本孝史
夏の海重きこころを浮かせをり
池上加奈子
空豆や若き香りにむせかえる
白川智子
梧桐(あおぎり)を持つて埋まらぬ庭の空
前川千枝
夏の海白い帆先に夢があり
臼田はるか
八月の水に触れゆく鳥の影
中谷翔
十七歳君がいた夏めぐり来ぬ

土用波荒ぶる魂の叫びかな
上田苑江
立秋やシャツに染み込む陽の薄き
柴田春雷

日帰りて海馬に夏の海眠る
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この句を見たときに、ある名句を瞬時に思い浮かべた。
大野林火の代表句である、
ねむりても胸の花火の胸にひらく
大森家の俳句の始めの師は大野林火先生である。
この作品も何度、読み直してみても素晴らしい。
同意見なので、山本健吉氏の素直な講評を引用すると、「旅先で見たある町の花火の美しさが、何時までも胸に残っている。闇の中にその花火が見え、胸の中にパッと花開く」
昌三の作品も同様。
大野林火ほどの華や彩りはないが、日帰りで行った海の波の煌めき、水際での声が、帰ってきた今でも記憶を司る海馬に残っているといるというもの。
また最後の「海眠る」という措辞が大変良い。
これは俳句独特の瞬間的な切り取りではなく、叙情的な詩が根源にある。
文句なしの特選作品である。

晩夏光白いノートに紺の文字
西川輝美
この句ははじめ、秀逸で選んでいた作品である。
むしろ、特選であったのは、
くろぐろと人影動く原爆忌
である。作品の完成度で言うと、こちらの作品の方が上かも知れない。
しかし、作者が分かればそれは逆転することもある。
晩夏光白いノートに紺の文字
の方が「西川輝美の俳句作品」としては、俄然上である。
これは永遠の青春性を謳ったものである。
その青春は、そして存在しない。
これは描写でも実写でもない。
西川輝美の「欲望」である。
フランソワ・オゾンの『スイミングプール』というフランス映画がある。
ある低迷している人気中年女性の作家がヴァカンスに行って、そのさきで若い奔放な美少女と出会い、虚構を彷徨うという物語であるが、これも原点にあるのは「欲望」である。
輝美の中に「青春性」が存在しないからである。
無い物ねだりを全身で詠っているところが等身大で非常に良い。
「白いノートに紺の文字」
この措辞は青春性の代名詞なのである。
晩夏光をもってしても、それは少しも失われてはいない。
西川輝美の新たな、素晴らしい代表作品とも言える。

白き家棲む夢にある晩夏光
速水房男
「森」中央支部秀逸。
これも、兼題の「晩夏」を用いた晩夏光。
これは、作者が白い家にいつか住みたいという願望。
その願望にまで「晩夏光」が射しているというもの、である。
作者は常々、海の側の白い家に憧れている。
この句も昭和の良き時代、カドカワ映画の片岡義男などの陰影が作者にある。
晩夏光までが夢の中に存在するという発想自体が面白く、作者らしい自然体の等身大の作品である。

枯山水夏の光の流れけり
渡部新次郎
「森」中央支部秀逸。
まず、「枯山水」と持ってきて、その後夏の光の動きを持ってくるあたりが巧みである。
枯山水で京都で特に有名なのは、龍安寺であるが、それは特定しなくとも良い。
むしろ、このに「枯山水」は、龍安寺でなく、手付かずの寺であった方が良いかも知れない。
非常に纏まりがあり、美しい作品。
「夏の光」というあたりに作者のまだまだ男として、人としてみなぎる力のエネルギーを感じざるを得ない。
これが兼題の「晩夏」だと「枯山水」との組み合わせが臭くなりすぎてしまうのである。
男として、一人の人間として筋の通った作品。

晩夏光あすにかけだす強き影
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
兼題の「晩夏」。
この句の成功は、焦点を光でなく影に当てた事にある。
「あすにかけだす」という陽と「強き影」という陰のバランスが非常に良い。
季語として持ってきた「晩夏光」も決してそれを妨げてはいないところに鍵がある。

時満ちて夜が滴るメロンかな
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
メロンの例句として、
籐椅子にペルシャ猫をるメロンかな 富安風生
青メロン運ばるるより香に立ちぬ 日野草城
があるが、この二つの作品よりエロティシズムに溢れているのが、作者の作品である。
メロンの昼と夜では貌が異なる。
この作者は夜のメロンに焦点を当てている。
そこが面白く、妙である。
「時満ちて夜が滴る」と措辞も非常にエロティックでユーモラスがある。

そら豆や若き香りにむせかえる
白川智子
「森」祇園支部特選。
これは「そら豆」の持つ若さの象徴を逆手にとった、非常にユーモラスな作品。
そら豆の青臭さは非常に美味しくもあるが、鼻につく。
作者には、この洗練されていない若さへの賛美と、そこから一歩引いた視線で「むせかえる」のである。
心象風景を見事に昇華させた作品。
参考までに細見綾子の作品を挙げておく。
そら豆はまことに青き味したり 細見綾子

土用波荒ぶる魂の叫びかな
上田苑江
「森」中央支部特選。
まだ二度目にして、この実力には驚きを隠せない。
まさに土用波とは、夏の土用の頃に太平洋沿岸に打ち寄せてくる、うねりの高い大きな波のことを指す。
それを作者は素直に「魂の叫び」と措辞している。
女性の句はともすれば「承認要求」に陥りやすいが、作品の句には自然への畏敬の念や慈愛の心が感じられ、詠み手に自然の美しさを思い起こさせる。
俳句は詰め込みすぎでも、物足りすぎでもいけない絶妙なバランスで成立する。

立秋やシャツに染み込む陽の薄き
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
今年の立秋は例年より少し早かった。
秋に入り、心象的にも暑さが弱まってきた候の作品。
この「シャツ」を着ているのは、恐らく男性だと感じる。
夏の終わりとともに、少しの寂しさとまた来る夏の思いをもそこに感じさせる心象風景の写生作品。
また言葉、措辞共にシンプルで非常に平明ながら、素直な作品である。

夏の海帆先に白い夢があり
臼田はるか
十七歳君がいた夏めぐり来ぬ

このふたつの作品からも、夏独特の青春性を感じられる。
青春の煌めきとその後に来る影、人生には憧憬と後悔が付き纏うのである。
人の一生は、長い。
だからこそ青春を謳歌することは素晴らしく、肉体の衰えがあっても情熱は冷めない。

俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会はさらに充実した句会となっている。
以下、参考までに大森健司、2017年夏の主な俳句作品を挙げておく。
風薫る天に祭りのあるごとし
とある日の水に夕日や健吉忌
青田風身の寄る辺なく光りけり
うすものや先に暮れたる尾骶骨
水打つて夕空に径つづきをり
短夜の月へと爪を切りにける
人波やひとを金魚の横切りぬ
神に嫁(か)すをんなが夏の沖にあり
さきの世は貝となりたる暑さかな
あをぞらのあのあたりかな草田男忌



俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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