2017年9月句会報
句会報の一部を紹介します。
兼題 : 萩、野分、台風
萩に風ことばの距離を測りをり
大森健司
萩の花浮かぶ世に雨もたらしむ
菅城昌三
秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
灰皿に過ぎし台風うづくまる
武田誠
エデンより堕天使来たる秋真昼
松浦美菜子
道化師が野分さなかにタクト振る
山本孝史
灯を待ちて秋の小路の二年坂
池上加奈子
萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
萩の花柱時計の不意に鳴る
前川千枝
チャペルの音(ね)露をたばねて萩に置く
臼田はるか
野分過ぐ交響曲の第ニ章
中谷翔
古(いにしえ)の舟人も居り秋の海
裕
おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷
秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
「森」中央支部特選。
この句の成功は、「膝頭」というポイントに焦点が定まったことにある。
「泣いて笑つて」から「膝頭」までの着地点が非常に良い。
又、季語の「秋風」も平明でさりげなく、その世界観を更に深めているといえよう。
輝美らしい作品であり、誰もが共感出来る良さがそこにある。
多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
「森」中央支部秀逸。
この作品ほ実に速水房男らしいユーモアもあり、さらりとしていながら見逃せない一句。
台風圏の中というのは一種の比喩とも理解できる。
男女間の心に吹き荒れる嵐とも取れるし、世間の何かしらの渦中を「台風圏」に表しているとも言える。
ある意味のふてぶてしさ、飄々と世を眺めているところが非常に面白く、作者の中で形を潜めている骨太さが非常に良い。
風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
「森」中央支部特選。
「風の盆」とは、越中の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する祭りである。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、多くの見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。
それは非常に幻想的でありながら、非日常な光景である。
措辞の「いるはずのない人探す」は正に、風の盆の真髄を突いてをり、核心的な作品。
作者は実際に「風の盆」を訪ねてをり、更に思いの深まった真実味のある作品となっている。
風の盆わたしと死んでくれますか 角川春樹
萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
「森」祇園支部特選。
兼題の「萩」での特選。
兼題の「萩」はとても難題だったようだが、この作品は見事。
秋は草花が一度散りゆくのを惜しむ時期であるのに、女が何かを咲かそうという特有発想が面白い。
古来より女性は家を守り、出産の痛みを経て子育てを慈しむ、たくましい存在であるというのを再認識出来る句である。
男は年齢を重ねるごとに自信を無くしていく生き物であるのに対して、女性はしたたかに、そしてしなやかに生きることのウィットに富んだ作品。
萩に風ことばの距離を測りをり 大森健司
古(いにしえ)の舟人も居り秋の海
裕
「森」中央支部特選。
作者の新たな引出しを感じた作品である。
まず俯瞰的であり、情景が目にはっきりと浮かぶ。
つまり、映像の復元が出来ているということである。
平明ながら、奥行きがあり、情緒も感じられる作品。
他に感銘した作品に、
酔芙蓉月を仰ぎて詩を吟ず
がある。
こちらも季語の「酔芙蓉」が絶妙であり、作者は「俳句の骨」のやうなものを見出した様に感じられる。
五感を刺激すると共に、男性特有のフェロモンが出でいて、作者の上達に感銘を受けた。
おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
「森」中央支部特選。
この方は入会されてから、初めての句会で特選を採られた。
「おほかたは夢と思ふに」という措辞が見事に素晴らしい。
また、季語の「稲びかり」も絶妙である。
「おほかたは夢と思ふ」という、幻想文学に対してからの「稲びかり」への現実のインパクトへの移行、転換が見事としか、言い様がない。
まるで泉鏡花文学を彷彿させる作品。
今月の特選の中でも最も優れた作品。
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす 桂信子
垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
垂れ絹とは今でいうカーテンとは少し異なる。
上からたれ下げて目隠しや仕切りに用いた布のことである。
「夜にはぐれる後野分」が少し具象化に欠けるが、その空想の発想は面白い。
まるで1950年代の王朝映画に見られるような世界観である。
作者の真意は分からないが、少なくとも穏やかでないその心中と「垂れ絹」という小道具の使い方、比喩は面白いと感じたまでである。
今回、「森」俳句会の兼題である、「萩」「野分」「台風」は難しいこともあり、いつもより秀吟は少なかったようである。
俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。
追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
兼題 : 萩、野分、台風
萩に風ことばの距離を測りをり
大森健司
萩の花浮かぶ世に雨もたらしむ
菅城昌三
秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
灰皿に過ぎし台風うづくまる
武田誠
エデンより堕天使来たる秋真昼
松浦美菜子
道化師が野分さなかにタクト振る
山本孝史
灯を待ちて秋の小路の二年坂
池上加奈子
萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
萩の花柱時計の不意に鳴る
前川千枝
チャペルの音(ね)露をたばねて萩に置く
臼田はるか
野分過ぐ交響曲の第ニ章
中谷翔
古(いにしえ)の舟人も居り秋の海
裕
おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷
秋風や泣いて笑つて膝頭
西川輝美
「森」中央支部特選。
この句の成功は、「膝頭」というポイントに焦点が定まったことにある。
「泣いて笑つて」から「膝頭」までの着地点が非常に良い。
又、季語の「秋風」も平明でさりげなく、その世界観を更に深めているといえよう。
輝美らしい作品であり、誰もが共感出来る良さがそこにある。
多弁なる台風圏のふたりかな
速水房男
「森」中央支部秀逸。
この作品ほ実に速水房男らしいユーモアもあり、さらりとしていながら見逃せない一句。
台風圏の中というのは一種の比喩とも理解できる。
男女間の心に吹き荒れる嵐とも取れるし、世間の何かしらの渦中を「台風圏」に表しているとも言える。
ある意味のふてぶてしさ、飄々と世を眺めているところが非常に面白く、作者の中で形を潜めている骨太さが非常に良い。
風の盆いるはずのない人探す
河本かおり
「森」中央支部特選。
「風の盆」とは、越中の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する祭りである。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、多くの見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。
それは非常に幻想的でありながら、非日常な光景である。
措辞の「いるはずのない人探す」は正に、風の盆の真髄を突いてをり、核心的な作品。
作者は実際に「風の盆」を訪ねてをり、更に思いの深まった真実味のある作品となっている。
風の盆わたしと死んでくれますか 角川春樹
萩散るや女五十にして目覚む
白川智子
「森」祇園支部特選。
兼題の「萩」での特選。
兼題の「萩」はとても難題だったようだが、この作品は見事。
秋は草花が一度散りゆくのを惜しむ時期であるのに、女が何かを咲かそうという特有発想が面白い。
古来より女性は家を守り、出産の痛みを経て子育てを慈しむ、たくましい存在であるというのを再認識出来る句である。
男は年齢を重ねるごとに自信を無くしていく生き物であるのに対して、女性はしたたかに、そしてしなやかに生きることのウィットに富んだ作品。
萩に風ことばの距離を測りをり 大森健司
古(いにしえ)の舟人も居り秋の海
裕
「森」中央支部特選。
作者の新たな引出しを感じた作品である。
まず俯瞰的であり、情景が目にはっきりと浮かぶ。
つまり、映像の復元が出来ているということである。
平明ながら、奥行きがあり、情緒も感じられる作品。
他に感銘した作品に、
酔芙蓉月を仰ぎて詩を吟ず
がある。
こちらも季語の「酔芙蓉」が絶妙であり、作者は「俳句の骨」のやうなものを見出した様に感じられる。
五感を刺激すると共に、男性特有のフェロモンが出でいて、作者の上達に感銘を受けた。
おほかたは夢と思ふに稲びかり
栗山千教
「森」中央支部特選。
この方は入会されてから、初めての句会で特選を採られた。
「おほかたは夢と思ふに」という措辞が見事に素晴らしい。
また、季語の「稲びかり」も絶妙である。
「おほかたは夢と思ふ」という、幻想文学に対してからの「稲びかり」への現実のインパクトへの移行、転換が見事としか、言い様がない。
まるで泉鏡花文学を彷彿させる作品。
今月の特選の中でも最も優れた作品。
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす 桂信子
垂れ絹や夜にはぐれる後野分
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
垂れ絹とは今でいうカーテンとは少し異なる。
上からたれ下げて目隠しや仕切りに用いた布のことである。
「夜にはぐれる後野分」が少し具象化に欠けるが、その空想の発想は面白い。
まるで1950年代の王朝映画に見られるような世界観である。
作者の真意は分からないが、少なくとも穏やかでないその心中と「垂れ絹」という小道具の使い方、比喩は面白いと感じたまでである。
今回、「森」俳句会の兼題である、「萩」「野分」「台風」は難しいこともあり、いつもより秀吟は少なかったようである。
俳句は思いだけではいけない。
十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。
追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
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