2018年3月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 : 雛、春眠、猫の恋

くもる日はこころに蝶を昇らせし
大森健司
白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
春眠や脈絡もなくたどりつく
西川輝美
春眠のゴッホの色に覚めてをり
速水房男
ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
花冷えや雨に泊まりし柳が崎
武田誠
まったりと彼と酒酌む花の月
松浦美菜子
早暁のそおろとかえる猫の恋
山本孝史
ぼんさんも寝過ごす京の春日かな
池上加奈子
桜見や孫とかきたる床几台(しょうぎだい
白川智子
花の昼イケズな母と住みにけり
前川千枝
夜桜やはんなりとした着物きて
臼田はるか
風ふいていらちな桜散りにけり
中谷かける
潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
つばめの巣愛したことを思出す
栗山千教
隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
ホーリー祭月夜を照らす牛の列ーインドにて
村田晃嗣
ひらがながふわり浮かんで春の海
石田穂實
春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷

白昼や雛(ひいな)残して鳴る電話
菅城昌三
「森」中央支部特選。
これは兼題の雛の中でも、最も優れた作品。
電話が鳴ることによって雛が取り残されている映像が、見事な「静」の世界観であり、その一方で電話に出ている人間の「動」の世界観があり、そのコントラストが見事な作品。
「白昼や」という切れ、も良い。
作者の巧みな力量を発揮している作品である。

ざらざらと夜舐めつくす恋の猫
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
恋猫が「夜を舐めつくす」という措辞が大変面白い。
ある種の不気味さもあり、入江たか子の怪猫シリーズを連想してしまった。
癒しを求めての猫ブームの中、化け猫のイメージから毛嫌いする人間も多い。
夜な夜な油を舐めるのは各家庭に行燈のあった時代の話だが、猫の夜行性と神秘性を孕んだ、恐怖とエロスの狭間を描いた作品でもある。
こういった作品は河本かおりの真骨頂。

潮騒を背負ひし宿の吊し雛
上田苑江
「森」中央支部特選。
これもまた格別に優れた兼題 雛の作品。
句に格調があり、映像の復元が見事に為されている。
江戸も今でも雛人形は高価なものであり、裕福でない一般家庭で、子供の幸せを願い、手作りの人形をたくさんまとめて吊るしたことが「吊し雛」の由来である。
他に五穀豊穣を祈るなど、郷土色の強い「吊し雛」が寂れた漁村の宿をより一層鮮やかに連想させる。
潮騒にうたれて、色も剥げ落ちたであろう吊し雛が哀しくもあり、旅愁を誘う抒情的な一句。

隠れ家の春土白き目覚めかな
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
これは季語が「春土」でありながら、兼題である「春眠」を強くイメージさせる力量のある作品。
「春土白き目覚めかな」は虚と実の中間にあり、しっかりとした描写でありながらもどこか危うさを感じさせる。
ぼんやりとした春の特徴を見事に捉えている。
不思議な魅力、魔力のある一句。
同時作として、
熱き湯にいのち沈めて春の月
があり、こちらも秀吟。

春雷の響き道真還りくるー桑原町にて
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
前書きにある桑原町とは京都御所と向かいの簡易裁判所の間にある、人の住まない道路だけの不思議な区画のことを指す。
かつて菅原道真が京都から太宰府に左遷された時、落雷が道真の怨霊の仕業と恐れられたのだが、道真の屋敷のあった桑原町だけは、落雷が落ちなかったそうである。以来、災害時など、くわばらくわばらと手を合わせることが習慣となったらしい。
京都の歴史や自然に対する畏敬の念に、「春雷」という季語の効いた格調ある作品である。


今回は雑誌掲載に「森俳句会」から私大森健司他、菅城昌三、西川輝美の2名を輩出した。
句会事前に原稿を皆が目にしたせいか、非常に良い刺激になり、いつも以上に作句への情熱を感じとれた。

柴田春雷が特選句の京都桑原町を詠んだ作品の他、京都弁や京料理に絞って作句してきたのだが、
雀の子おまっとさんと駆け寄りぬ
に祇園支部会員が反応して、急遽、京都弁俳句の「袋回し」をとり行なったことは非常に面白い出来事であった。
俳句は本来、即興、挨拶の文芸であり、大いなる遊び心が必要であると考えている。
今回村田晃嗣氏は旅先のインドにて、
ホーリー祭月夜を照らす牛の列
という秀吟を詠まれている。
これもまた、即興の極みである。
話は「袋回し」に戻り、
句暦の長い白川智子が机をかく※持ち上げる、運ぶ をさらりと詠み、前川千枝のイケズ※意地悪、中谷かけるのいらち※せっかち いずれも京都弁独特の言い回しであり、他府県の人からすれば、何のことか理解出来ない。
また、まったりはんなりそおろと、は京都の柔らかいイメージへの憧れを世間に定着させた、美しい京言葉であり、ゆっくりとした時間の流れを感じさせる。
ぼんさん※坊主 のように、「さん」をつけるのは可愛らしくもあり、京都ならではの上品さである。
京都には路地が多く、「ろおじ」と読むのが正しい。
村田晃嗣氏との雑談の中で、京都には遊郭の名残がいたるところにあり、足抜け出来ぬ様、道をわざと複雑にしていて、路地が多い一因であるという話題になった。
あの世と繋がる場所、振り向いてはいけない橋、迷宮への恐怖や抑えきれない探究心も人々が京都に惹かれ、何度も訪問したくなる理由ではないだろうか。
どんつきや振り向けば花肩にあり 大森健司
朧な春の日、何の気なしに歩いていて、気づけばどんつき※行き止まり の袋小路に迷い込んだようである。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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雑誌掲載

『俳句スクエア』20周年特別記念号(4月8日発売)に特別招待作品として「花影」15句を寄稿しています
澄む空に前世の記憶たどりけり
いざよひや哀しきいのち箸に置く 「花影」より

また、『俳句界』5月号(4月25日発売)にも大森健司作品掲載されておりますので、是非ご覧ください

『俳句界』5月号には弟子の西川輝美、4月号には菅城昌三も作品掲載されておりますので、併せてご覧ください

「森俳句会」に良い風が吹いて来ました

大森健司
俳句スクエアー
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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