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2018年12月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 寒雷(冬の雷)、焚火、柚子湯

手をのべて髪触るまじき冬の雷
大森健司
マフラーに異国のことばからまりぬ
菅城昌三
薔薇色に掌ひろげ焚火の子
西川輝美
コルトレーン醒めし音して十二月
速水房男
冬の雷越えてもさらにまだ遠く
武田誠
喧嘩して柚子湯に沈むこころかな
松浦美菜子
寒雷の過ぎ去るまでの想ひかな
山本孝史
荷をほどきふるさと浮かぶ柚子湯かな
池上加奈子
愛憎の途方にくれし夜の焚火
白川智子
鳴らせども留守電ばかり冬の雷
前川千枝
夜焚火やこの火をこえる勇気なく
臼田はるか
風吹けば音の明るき焚き火かな
中谷かける
いつか死ぬでも今日じやないうる目焼く
三谷しのぶ
黒髪を柚子湯に咲かすおみなごよ
村田晃嗣
夜半過ぎてぬるき柚子湯を抜けられず
柴田春雷

マフラーに異国のことばらかまりぬ
菅城昌三
「森」中央支部特選。
作者の得意とする異国を焦点とした作品であり巧みな一句。
昌三はアジアを主に沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れて様々な国を旅している。
その時の作品として、
人といふノイズの中の熱帯夜
花火打つなんの祝いもなき日にも
髪洗ふ亜細亜に赤き夜の来る
風鈴の国を選ばす鳴りにけり

等を記憶している。
「マフラーに異国のことばからまりぬ」は、異国の作品であっても成立するが、ここでは拠点を日本として、昨今の海外からの観光客と捉えた方が良いかと思われる。
サラリーマンである作者が師走に、「異国のことば」を聞き、また漂泊したい姿が等身大に表現されている。
「マフラー」というさりげない季語を新しく自分の物として取り入れた巧妙なテクニックを持つ昌三ならではの作品。

薔薇色に掌ひろげ焚火の子
西川輝美
「森」中央支部特選。
この作品の成功は、「焚火の子」という着地点にある。
勿論、「薔薇色に掌ひろげ」という措辞も素晴らしいのであるが、俳句は着地点を誤るとその作品は台無しとなる。
「焚火の子」という具体的に映像の復元が出来る下五を持って来たことによって、作品がぐっとコンパクトに焦点が絞られている。
この作品を見たときに真っ先に浮かんだのは次の石田波郷の作品である。
寒卵薔薇色させる朝ありぬ 波郷
大人にとっては寒くて外に出るのがおっくうな1冬の屋外であるが、元気いっぱいの子供にとっては寒い中に出るのが楽しい情景が、「薔薇色」という措辞で表現されており、色鮮やかに描かれている。

コルトレーン醒めし音して十二月
速水房男
「森」中央支部秀逸。
コルトレーンは遅咲きながらも晩年に素晴らしい作品を傑出したモダンジャズ界のサックスの巨人である。
時期がちょうど年末に録音された名曲「至上の愛」の制作意図は全知全能の神へ祝福を捧げる組曲である。
ジャズの名曲には全て物語があり、私はこの曲はまた男の生き様と捉えている。
承認、決意、追求、から賛美へと転換する終盤の静かな余韻が作者の生き様となんとなく重なるような気がするのである。
慌ただしく過ぎた十二月にこれまでの過去を振り返り、内省し、ああいった時代もあったなと静かに回想する作者の姿が映し出されている。

いつか死ぬでも今日じやないうるめ焼く
三谷しのぶ
「森」中央支部秀逸。
「うるめ」とは潤目鰯(うるめいわし)の事であり、暦の上では冬の季語となる。
これが、例えば、
いつか死ぬでも今日じやない秋刀魚焼く
では凡句となる。
作者の大胆でダイナミックな一面を感じさせる作品。
どこかあっけらかんとしていて、清々しい。
センチメンタルな感情に流されつつも、どこか流されまいとする女性のしなやかさがシュールに描かれており、最後に笑みがこぼれる作品。
「死」という言葉を使っていながら不思議と滑稽さがある作品でもある。
「うるめ焼く」という季語がこの上ない働きをしている。

黒髪を柚子湯に咲かすおみなごよ
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
おみなごとは女児、または若い女性のことだが、この作品の場合は後者であろうと思われる。
この作品を見たときに、三好達治の「甃のうへ」の一節が真っ先に浮かんだ。

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ


もののあはれを謳い、乙女特有の純潔性を美しく捉えた詩である。
室生犀星の「春の寺」の本歌取りの詩であるという説があり、それなら作者のこの句もまた三好達治の世界観を見事に継承した作品ではないだろうか。
「黒髪を柚子湯に咲かす」がまず大変美しい措辞。
豊かな黒髪は古来からの若い女性の象徴であり、甘酸っぱい柚子の香りやくっきりとした黄色が映像として鮮やかに浮かびあがる。
おみなごよと語りかけることで、いつまでも清らかであって欲しいという思い、そしてそれは永遠ではないことも詠みとれる。
一見、古きよき時代の世界観を現代的にアレンジした温故知新の作品といえよう。

夜半過ぎてぬるき柚子湯を抜けられず
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
「夜半過ぎて」がこの句をただ風呂から出られないという単なる行為にしていない。
作者の中でシンデレラの0時は過ぎてしまっているのだが、抜けられないのはこの場合否定ではなく、もう少しこの場の余韻に浸っていたいという思いであろう。
柚子湯は、12月22日つまり冬至の日の風物詩であり、ゆっくり風呂を楽しむことへの小さな幸せ、また年の瀬も押し迫った頃、過ぎゆく一年を思い出し惜しむ思い、様々なことを思い浮かべながら風呂に浸かるのも一つの楽しみ方である。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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