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2019年1月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 御下り(おさがり)、寒雀、七日粥

あをぞらを女跨(また)ぎて初化粧
大森健司
去年今年油残りし手を洗ふ
菅城昌三
寒すずめ人の後ろに人の音(ね)よ
西川輝美
初東風(はつこち)や湖(うみ)にとどまる黒い舟
速水房男
日だまりに幼児(おさなご)がゐて寒雀
上田苑江
御降りのしづかに移る祇園かな
武田誠
寒すずめふたつの枕並びをり
松浦美菜子
枕辺に遠き支度の七日粥
山本孝史
着ぶくれて着替えの服を迷ひたり
池上加奈子
結納やふくら雀のふくらみて
白川智子
「おまえ」とは聞き捨てならぬ寒雀
前川千枝
お降りのときに優しき別れあり
臼田はるか
御降りや遠回りして帰りたし
中谷かける
人の香はしばらくつけず初鏡
三谷しのぶ
お降りに打たれて五十路顧みぬ
村田晃嗣
寒雀けんけん足でお隣りに
柴田春雷

寒すずめ人の後ろに人の音(ね)よ
西川輝美
「森」中央支部特選。
兼題のひとつである「寒雀」のなかでも最も感銘を受けた作品。
中七下五の「人の後ろに人の音(ね)よ」の「人」リフレインがこの上なくよい。
これは人の生活音かも知れないし、もしくは道を行く人の様かもしれない。
いずれにせよ、「人」という言葉を二度繰り返しすような稚拙な表現がかえって良く、おもしろさが、そこにある。
ありふれた日常用語の使用と軽い口語的発想は輝美の特徴のひとつと言えよう。
いずれにせよ、「寒すずめ」の季語が絶妙に後ろの措辞に掛かっていて、正に俳句の本質である、「付かず離れず」を実践して成功した例。
そこには、輝美の住む世界の大小は問わず、一人の人間の豊かさ、艶やかさ、見事さを表現し尽くしている。
この生命を詠った作品は輝美の代表作のひとつとなるであろう、と思われる。

初東風(はつこち)や湖(うみ)にとどまる黒い舟
速水房男
「森」中央支部特選。
今月は、速水房男氏の独断場であった。
この作品の他に、兼題である、
お降りや一本松の濡れ始む
七草の粥に加へし湖の色

もあり、「お降り」も同じく特選として採らせて頂いた。
房男氏の良き作品は、ただうっとりとその美しい情趣にひたっていれば足りると言った作品が多く見られる。
それはもちろん、作者の選択された題材の美しさにもよるが、正に水墨画に豊かな静かな風が過ぎたような感覚に包まれる。
作者の唯美的な感覚はその作品にも顕著に現れている。
初東風や湖にとどまる黒い舟
この句は今月の全ての「森」俳句会の作品の中で群を抜いて素晴らしい。
悠久な大自然、特に淡海(近江)を題材とした彼の作品は只々、映像が鮮明であり、美しい。
悠久と永遠の違いは、さほど大きくはない。
永遠も時間を超越して、限りなく持続することを意味する。また哲学では、そのもの自体は時間という枠にありながら、限りなく、決して途絶えることなく続いていくとされるもののことを指す。
作者の場合は、後者であろうと思われる。
お降りや一本松の濡れ始む
山吹の袈裟通り過ぐ遊糸かな(2018年5月)
過ぐる後湖に色づく蜆舟(2018年4月)
百年の薄れし屋号冴へかえる(2018年2月)
花街の恋猫とほる我とほる(2017年3月)
枯野ゆく瞼の奥の枯野かな(2016年12月)
水澄んで呼ばれるままに行きにけり(2016年10月)
これらの作品群は正しく、房男氏の代表作であり唯美的で悠久な大自然、風景を詠んだものが多い。
際立った個性ではないが、人目に目立たない地味な日常を過ごしながら、いつの間にか独自の風格を築き上げている。
このような作家は珍重するに値する。

日だまりに幼児(おさなご)がゐて寒雀
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
全てが不思議と自然に丸きものが集約されている作品。
人は丸いものが飽きずに愛着が湧く。
全ての真理は「円」つまり丸にある故ではないか、と思われる。
「日だまり」という寒い冬の日にありがたい、大きく包む存在の中、それに守られる幼子、そしてさらに小さき存在である寒雀という、仏教的世界観が顕著に現れている。
作者らしい素直で暖かな作品。

寒すずめふたつの枕並びをり
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
兼題である「寒雀」とは、冬になると餌が少なくなるので人家付近に近づいてくる雀のことを指す。屋根や軒にくる姿は厳しい寒さ軒中で誰もが目にしたことのある光景であろう。
それに対しての措辞の「ふたつの枕並びをり」は、外の「寒雀」に対して家の内の世界観。
ふたつの枕が並ぶのは、まず夫婦である。(同棲している場合もそうかも知れないが、作者は新婚である)
この対比が温かく好感が持てる作品に仕上がっている。
枕辺で窓の外の寒雀の鳴き声を聞きながら、またふたりで休日にゆっくりと寝室で朝を過ごしているであろう、光景。
平明な言葉を用いながら、豊かな情景を描いた技量は特選に値する。

結納やふくら雀のふくらみて
白川智子
「森」祇園支部秀逸。
この作品は一昨年、孫娘の結納に立ち会った際に手帳に書きとめた俳句だと伺った。
慶ばしい「晴(ハレ)」の日に、素直に浮かんだ気持ちや情景を日記のように筆をはしらせる行為は、俳句を親しむ中で非常に大切な行為である。
リズムも良く、詠み手も何か柔らかい、幸せな気持ちになれる秀作といえよう。

お降りのときに優しき別れあり
臼田はるか
「森」祇園支部秀逸。
優しき別れとは何か、とまず色々な想像が膨らむ。
円満な別れ、依願退職、大往生、等。
ただこの作品の場合は、別れは優しくなかったのでは無かったのではないだろうかとも思える。
作者に降る「お降り」が、静かな時間の中で悲しい思い出を優しいものに変えた、「季語の恩寵」と言える作品である。
ちなみに「お降り」という季語は新年の季語であり、「おさがり」と読む。
元日や三が日の間に降る雨や雪のことを指す。
めでたさを敬して「御降り(おさがり)」と言うのである。


お降りに打たれて五十路顧みぬ
村田晃嗣
「森」中央支部秀逸。
雪の降る町を 雪の降る町を
息吹と共に こみあげてくる
雪の降る町を 誰もわからぬわが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か 祈らん
新しき光ふる 鐘の音

昭和からいまもなお語り継がれる名曲『雪の降る町を』の抜粋である。
正月三が日、仕事から離れ、静かに「五十路」を内省する作者の姿にこの歌のフレーズが一番に思い浮かぶ。
冷たく厳しい雪もあるが、「お降り」という目出度い雨雪が作者の心に染み入り、温かく優しい雪、もしくは雨が作者に降る。
歌の締めくくりにある、「哀しみをほぐし むなしさを新しき光降る鐘が祈り 思い出をいつの日にか包むであろう」ものが作者にとっては「お降り」なのかもしれない。

寒雀けんけん足でお隣りに
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
こちらも兼題の「寒雀」。
素直で慈愛に満ちた作品であり、普段警戒心の強い雀が冬になり、無防備な愛くるしさが現れている作品。
「けんけん足」という表現が少年時代を思い出し、懐かしく、寒雀への「小さきものいとをかし」の世界観。
愛情に溢れた伸び伸びとした作品であるのが秀逸。


十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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