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2019年4月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 桜(花 全般)、朧

朧よりをとこのにほひ濃く戻る
大森健司
灯をつけしまま春泥に眠りけり
菅城昌三
灰皿に春愁二、三消しにけり
西川輝美
後ろ髪追へども追へども朧かな
速水房男
花群れを透かして若き月登る
上田苑江
花明り青磁の筒に水を挿(さ)す
武田誠
花冷や読みかけの本並びをり
松浦美菜子
花見酒清濁あはせ呑み干せり
山本孝史
打ちかけのラインを消して春寒し
池上加奈子
母なくて桜は未だ咲きにけり
白川智子
花冷えや人の残りて空低し
前川千枝
たんぼぽのやうな速度で逢いに行く
臼田はるか
朧夜や変わり者だといふ響き
中谷かける
とほき世のひとは隣りに花衣
三谷しのぶ
指で追ふ花のゆくえや高枕
村田晃嗣
モンシロチョウ遮断機降りて見送れず
柴田春雷

灯をつけしまま春泥に眠りけり
菅城昌三
「森」中央支部秀逸。
この場合の「春泥」は比喩と捉えた方が良いだろう。
部屋に帰ってひたすら「春の泥」のように眠る作者。
出張の多い作者だけにその映像は復元することが出来、自己の投影もされた作品。佳吟であるが、正直作者の力量を知るうえでは弱い作品。

花群れを透かして若き月登る
上田苑江
「森」中央支部特選。
若き月という措辞が、言葉は平明でありながら、生命力が漲り、今から登ろうとする月の映像の切り取りと復元が見事である。
花の群れを透かして見える月という、奥行きの技法も素晴らしい。
仄白い、春の色彩感が美しい作品である。
躍動感も脈々とあり、エネルギーに充ちた作品。

花明り青磁の筒に水を挿(さ)す
武田誠
「森」祇園支部特選。
青磁の器は唐代より文化人に愛され、貴族から重宝されており、大変美しい色彩を持つ。
華美な虚飾を持たず、飽きがこないのが素晴らしいのである。
外は春の花盛りであるのに、部屋で一人、花器に水を挿す行為が天邪鬼(あまのじゃく)的な行為であり、作者のメッセージが読み取れる作品。
「花明り」に勝る、青磁が放つ美しい色彩と光が作者の目を捕らえて離さないようである。

花冷や読みかけの本並びをり
松浦美菜子
「森」祇園支部秀逸。
「読みかけの本並びをり」という措辞に対して、季語の「花冷」が絶妙に効いている。
仕事帰りに夜、花見に行こうと浮かれ気分であるのが、出鼻をくじく「花冷」の寒さがあるように、春はスタートのエンジンがかかりにくい。
その少し鬱々とした気分が分かりやすく表現されている。
読みかけの本が並ぶという措辞からひとり暮らし、もしくは個の部屋であることが、想像することが出来る映像の復元力。(作者を知ると後者。)
「花冷」という季語そのものが、作者のつぶやきを大きく反映しているように思える。
春の歓びではなく、もう一方の春の寂しさを感じさせる作品に仕上がっている。

たんぼぽのやうな速度で逢いに行く
臼田はるか
「森」祇園支部特選。
「たんぽぽのやうな速度」とはどんな速度なのか?
作品そのものが問いかけのようで面白い。
「たんぽぽ」は朝日を浴びて花が開き、夜になると萎むのを繰り返し、ゆっくり一週間ほど咲き続ける。
そして一度花びらを落とし、再びゆっくり時間をかけて綿毛になる。
春という美しい時間をゆっくり楽しむように、恋も焦らずといった、少しの余裕と臆病さが入り混じった心豊かな作品と解釈して良いだろう。
実に作者らしい瑞々しく、手垢のついていない作品に仕上がっている。

とほき世のひとは隣りに花衣
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
この場合の「とほき世」は短歌的解釈ではなく、私なり解釈で捉えさせて頂く。
この現実に存在しないひとでも良いし、すでに自分から遠ざかったひと、どちらでも良いのだが、前者の方が作品としての膨らみは増すであろう。
現実に存在しないひとと並ぶのが、桜そのものの魔力であり、それが季語の「花衣」によって繊細に表現されている。
「花衣」とは、花見の時に着る女性の美しい着物のことを指すが、現代の季語における「花衣」は花見の為に着て行く御化粧(おめかし)の服装全般としての解釈で良いと思われる。
季語を「桜」そのものではなく、「花衣」と自身に引き付けているのが、成功例となった鍵である。

指で追ふ花のゆくえや高枕
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
村田晃嗣氏と、とあるバーで談笑した時に、即興で、
「北へ行く桜前線」と出された。
それでは説明句になるので、「花のゆくえ」に直しましょうということになり、「指で追ふ花のゆくえや」までが出来上がった。
下五に何を持ってくるかが鍵であるが、その場ですぐ作者は、「高枕」を持ってこられた。
これには大変驚かされたのを記憶している。
『俳句とは即興なり、挨拶なり、滑稽なり』と山本健吉氏は述べられている。
この山本健吉氏の言葉を正に俳句として、昇華させた瞬間であった。
春の昼は「霞(かすみ)」、夜は「朧(おぼろ)」であるが、「高枕」という言葉を持ってきたことで、その霞んで気だるい感を見事に払拭して、格調ある作品に仕上がっている。
それほどまでにこの「高枕」の下五は素晴らしい措辞である。
俳句は本当におもしろい、と私自身も感じた場であった。

モンシロチョウ遮断機降りて見送れず
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
踏切の遮断機が降り、電車が通り過ぎて、何かを見失う光景が映画の一コマのようであり、映像の復元がしっかりなされている。
「見送れず」で終わることで、悲しみや寂しさが込み上げる。
「モンシロチョウ」が漢字の「紋白蝶」ではなく、片仮名であるのも面白く、現代的。
電報のようなぎこちない文体が、他人事のように突き放した感があり、春に出遅れたような、作者の虚しさを強めている。
優れた作品で特選に値する。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
今月より「森」鴨川支部が新たに開設された。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問等につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
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森俳句会「鴨川支部」開設!

「森俳句会」にたくさんのお問い合わせ、誠にありがとうございます。
新たに「鴨川支部」を毎月 第2金曜日もしくは第2日曜日に開設する運びとなりました。
場所は京阪電車 祇園四条駅より徒歩1分 の店舗をお借りして、会社帰りや土日がお休みでない方もお気軽にお越しいただければと思います。

お問い合わせは大森健司 森ホームページもしくは、
morihaikunokai@gmail.com
迄。
(月謝5000円、入会費無料)
今後とも「森俳句会」何卒よろしくお願い申しげます。



代表 大森健司
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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