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2019年 夏ー大森健司俳句作品

2019年 夏大森健司俳句作品

青春の新緑どこか濡れてをり
蝶白く生まれて前世忘じけり
ひつじぐさ妻は突然告白す
かたつむりけふまで睡(ねむ)りけふ覚むる
夕さればをんな睡蓮から生まる
母棄てて我眠らせぬ螢かな
螢籠己も夜に飼わるるか
抱き寄せてこころあらずや白日傘
あをすだれひとつの息を息づけり
夕立きぬをんなの息と息の間に
天空の梯子錆びれしプールかな
イカロスや入日の中に金魚死す
青葉木兎(づく)ゴツホの耳を借りてゆく
天瓜粉舞妓きのふの匂ひ消す
天道虫爪で彈(はじ)きて星を出す


「森俳句会」代表 大森健司作
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2019年12月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 風花、冬眠、マスク、花八つ手

花八つ手風のもつれは風がとく
大森健司
劇場や冬夕焼を持ち帰る
菅城昌三
白菜やたましひ冷えたまま帰る
西川輝美
冬木道先行く女(ひと)に追ひつかぬ
速水房男
地下鉄を出れば風花鼻先きに
上田苑江
花八つ手黄昏にふとひとりなり
武田誠
花八つ手寄り添ふことのたしかさよ
松浦美菜子
寒燈や客去りし後なほ白く
山本孝史
同窓会息苦しくてマスクせり
池上加奈子
子がはなれ孫もはなれて風花す
白川智子
マスクして最終電車駆け込みぬ
前川千枝
真つ白なことばを冬に眠らせる
臼田はるか
風花や振られる前に身を還す
中谷かける
狐火やをみならあをき夜を流る
三谷しのぶ
冬光の裸身つきぬけ透きとほる
やまだふゆめ
白鳥やナースの服は白ならず
柴田春雷

白菜やたましひ冷えたまま帰る
西川輝美
「森」中央支部特選。
まさしく、飯田龍太の述べる「季語の恩寵(おんちょう)」をもたらした作品。
これが季語「白菜」なくしては、ただの観念作品として終わったであろう。
「たましひ」が「冷えた」というのは、現代人の空虚な日常生活を的確に象徴している。
「たましひ冷えたまま帰る」に何故、季語の「白菜」が絶妙に効いているのか。
これは白菜の日常的な買い物帰りの作者を連想させる事、つまり映像の復元性がひとつにある。
そして、ふたつめに白菜の形と重さがある。
白菜は赤子ぐらいの重さであり、作者はそれをまるで抱きかかえるかのようにして帰路につく。
そこに「季語の恩寵」が生まれるのである。
白菜を、そして冷え切ったたましいまでもを守るように抱きかかえながら、会社帰りの買い物から自身の孤独な部屋へ帰宅する作者の悲哀、哀歓が集約され、見事に表現されている。

地下鉄を出れば風花鼻先きに
上田苑江
「森」中央支部秀逸。
この句はまるでつぶやきのようである。
「風花」とは、晴天の空から風にのって雪片が舞ってくること。
何気ない句であるが、情景が目に浮かび、触れた途端に溶けてしまう風花そのものの本質をしっかりと捉えている。
下五の「鼻先きに」という終わり方も良い。
日常を大切にする作者独自の世界観が全く嫌味なく、さりげなく表現されている。
発見から観察、感動へ。
俳句の原点をしっかりと踏まえた作品。
風花のかかりて青き目刺買ふ 石原舟月
この作品も参照して頂ければ、わかりやすいと思う。

真つ白なことばを冬に眠らせる
臼田はるか
「森」祇園支部特選。
「真つ白なことば」とは何であろうか。
混じりっ気無しの白のような清らかさや澄んだ心を、温存しておきたい気持ちの表れであると私は感じとった。
春になったら咲き誇る白い花も心に浮かび、春を待ち望む冬の季節を毎日丁寧に過ごしている作者の姿が非常に愛らしい。
また兼題である「冬眠」を「冬に眠らせる」と噛み砕いた表現も鋭い。
実に素直な作品。
ふと心に浮かんだ気持ちを素直な言葉で詠むという俳句の原点に立ち返させられた思いである。

狐火やをみならあをき夜を流る
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
鬼火とも呼ばれる「狐火」の正体はまだはっきりと解明されていない。
冬の夜、遠くに見える原因不明の光のことである。
これを古来から人々は狐の妖術と感じているようだ。
もちろん、光を発見するには、周りには漆黒の闇を必要とする。
それに対し、この「をみならあをき夜を流る」という措辞は実に幻想的であり、虚と実の合間を行ったり来たりしている。
「をみな」とは、女性、特に若い女性を指す。
をみなとはかかるものかも春の闇 日野草城
この作品と比べても、「狐火やをみならあをき夜を流る」は俳句独自の切れがそこに存在する。それは女性でありながら男性的な視点での切れである。
尚、格調性も高い。
「狐火」に象徴される危険な者にあえて吸い寄せられる作者の気質が垣間見え、そこに身を委ねながら夜を揺蕩う様子が実に色気を感じさせる。
いずれにせよこの耽美的な世界観は作者でしか言葉に出来ないと感じざるを得ないのである。

冬光の裸身つきぬけ透きとほる
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
冬の光は薄く弱々しい。
が、逆に鋭く厳しい。
この作品から感じ取れるのは、芯のしっかりとした一筋の光である。
「裸身をつきぬけ」て光が鋭い力を持つのか、それとも、薄い光ですら吸い込み力にする作者の芯の強さなのか、この幻想的な世界に詠み手が吸い込まれるような不思議な感覚の作品である。
静謐な冬が美しく描かれ、冬にきらめく作者の純度の高い魂を感じられた。
ただただ美しい。
作者の優れた作品には、共通して第五感の上の第六感が表れているように私は感じる。
稲妻の走り去る夜の鏡かな やまだふゆめ

白鳥やナースの服は白ならず
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
「ナース」を白衣の天使とよく言ったものだが、これほど過酷な仕事は無い。
人の死に、いちいち泣いて感情に流されていたら身が持たない。強靭な肉体と精神が必要とされる職業であり、敬意を表する。
聞くところによると作者は病院の世話になることが多く、人は体が弱ると得てして要求が増えることになる。
しかし病院にとって患者はみな同等であり、ピシャリとした対応への恨み節、皮肉ともとれなくはない。
その要因を私は季語の「白鳥」に感じる。
一見優雅に水に浮かぶ「白鳥」が水面下では必死に足をバタつかせて、もがいているように、人の内情は推し量ることは出来ない。
物事の表面に惑わされず、内面を掘り下げて見る作者特有の視点で描かれた作品である。
以前の師である、以下の作品も参照して頂きたい。
白鳥の胸を濡らさず争へり 吉田鴻司

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員数も増え、さらに充実した句会となっている。

今年、「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、相手の心に突き刺さる言葉がひとつあればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。

あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻(ケ)の言葉で良いのである。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司

2019年11月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 秋の暮、落花生、稲妻

名の月や跣足(はだし)であるくけものみち
大森健司
木の実雨いくつの駅を過ぎしかな
菅城昌三
いなびかり上司の傘を拝借す
西川輝美
湖(うみ)に死す斜陽の長(おさ)や稲光
速水房男
稲光さびしき夜を貫きぬ
上田苑江
落花生結末見えてしまひけり
武田誠
来世でも同じを願ふ落花生
松浦美菜子
落花生よりを戻してまた離る
山本孝史
いなびかり我に返りて靴を履く
池上加奈子
柚子の香の手に立ちこめる夕餉かな
白川智子
脇役の名前わすれし夜寒かな
前川千枝
星月夜留守のテープが回りけり
臼田はるか
秋の暮シャワーの圧に負けてをり
中谷かける
土瓶蒸し覗けば母のおわしけり
村田晃嗣
確として父老ひにけり桃の種
三谷しのぶ
稲妻の走り去る夜の鏡かな
やまだふゆめ
木犀や胸をちりりと焦がしたり
柴田春雷

木の実雨いくつの駅を過ぎしかな
菅城昌三
「森」中央支部特選。
サラリーマンである作者は共に出張も多い。
日々、全国を駆け巡り、日々の満員電車に揺られている。
その目は虚ろであるに違いない。
季語の「木の実雨」が、そのさらの悲哀性を更に引き出し、胸を打つ。
また共感を覚える人も多いのではなかろうか。
空虚な心に次々と落ちる「木の実」は現代人の虚無感の現れと言っても過言ではない。
過去の2008年昌三の作品に以下があるが、それよりもさらに季語の恩寵を感じさせる作品に仕上がっている。
短日やいくつの駅を通過する 菅城昌三

いなびかり上司の傘を拝借す
西川輝美
「森」中央支部特選。
雷と稲妻の違いは音が聞こえるか聞こえないか。放電現象とそれに伴う音をひっくるめて雷であるのに対して、空中電気の放電する時にひらめく火花が稲妻である。
犯罪は満月の時に起こりやすいとか、空には魔力が潜んでいるのかもしれない。
急な雨、傘を忘れ、つい魔がさして人様の物を拝借した瞬間、閃光が走り、スポットライトが当たったような、犯罪ドラマの冒頭シーン的な映像が見事に描かれている。
光だけで音が無い方がより映像は鮮烈に浮かびあがり、罪のの色が濃くなるような感覚にとらわれる。
季語を稲妻ではなく、「いなびかり」としたことで、作品により鋭さが出ているのが見事。

湖(うみ)に死す斜陽の長(おさ)や稲光
速水房雄
「森」中央支部秀逸。
ここでの「斜陽の長」とは人間なのか動物を指すのか、分からない。
いずれにせよ、「湖に死す斜陽の長」という措辞は類型もなく、近江を深く知る作者ならではの観点だと感じる。
湖は海とは全く違う循環を起こす。
初春にかけて、酸素を豊富に含む表層の水が冷やされて底に沈み、湖底の水と入れ替ることで湖全体に酸素が供給される。
つまりこの時期に湖底が息を吹き返すのである。
湖の年に一度の循環の時、敢え無く破れて死すのは何か。
対して、稲光は温存しながら再び大きな力となり、空で幅をきかせて轟く。
作者の自然への畏敬と、輪廻転生感が作品に満ちており、直立した一行詩として仕上がっている。

稲光さびしき夜を貫きぬ
上田苑江
「森」中央支部特選。
非常にシンプルな作品である。
だからこそ、「稲光」がより鮮明に走り衝撃を受ける。
「稲光」のせいで不安になり寂しくなると解釈するのは凡庸であり、作者は「稲光」に動じずにどっしりと構えている。
暮れるのが早く、長い夜を耐える強さやしなやかさを備え、さびしさも正面から受け止める作者の姿勢が「貫きぬ」に集約されているようである。
秋の夜の冷たくなってきた空気のように、心地よい緊張感があり、大変清々しい作品でもある。

落花生結末見えてしまひけり
武田誠
「森」祇園支部特選。
この作品の成功の鍵は、季語の「落花生」にある。
「結末」が見えたのは、小説のラストシーンなのか、他人の次に発する言葉なのか、もしくは自身の行く末である。
この解釈は読み手それぞれによって異なるが、それがこの作品の妙であり、余白であり、面白さでもある。
「落花生」という身近な季語の存在がありきたりとも言える中七、下五の措辞をぐっと奥深く読者に引き寄せている。
パターン化した日常がひどくつまらないと感じるある種の絶望感を、季語の「落花生」が和らげ、着地点を持たせている。
作者の成長を思わせる一句である。

脇役の名前わすれし夜寒かな
前川千枝
「森」祇園支部特選。
「夜寒」という季語を自身で感覚的に捉えた成功例。
夜が深まるにつれて次第に冷え込んでくる程に、込み上げてくる空虚感が読み手に伝わる。
忘れ去られたのは「脇役」なのか、それとも自分自身を否定しているのか、じわじわと襲ってくる何か穴が空いたような感覚は、持て余す時間の中に起こりうる衝動であり、秋の底知れぬ夜の長さを巧く表現している。

稲妻の走り去る夜の鏡かな
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
今月の「森俳句会」の中で最も秀でた作品。
「稲妻」の視覚に訴えかける衝撃を瞬間的に捉え、吸収される事なく、いつまでもエネルギーを放っている。
つまり俳句の骨、本質を掴んでいるのである。
「走り去る夜」で躍動感がさらに生まれ、この感性は実に見事。
「鏡」というモチーフが「稲妻」という季語に呼応し、良く効いている為、句が最後まで失速しないのである。
まるで鏡に心まで写されるのではないかと恐怖を覚える。
「稲妻」のパワーは鏡を使って人の気までも吸い取り、ますます強大な存在を知らしめているようである。
文句の付け所のない特選作品。

木犀や胸をちりりと焦がしたり
柴田春雷
「森」祇園支部秀逸。
「木犀」は控えめな花でありながら、強烈な香りを辺りに充満させる。
秋の深まりと共に、芳しいと感じ、香りのする方へ引き寄せられるものだが、どうも作者は苦手なようである。
「胸をちりりと焦がす」のは、嫉妬や無い物ねだりの域にも満たず、イラっとしながら抵抗出来ない、ごまめの歯ぎしり的な作者の滑稽な姿が不思議と浮かび上がる。
何故か愛着の湧く作品でもある。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
「森」鴨川支部が新たに開設された。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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