2016年12月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(水鳥、裸木、外套、手套)
外套や篠(しの)つく雨の夜となりぬ
大森健司
外套の釦も空も琥珀かな
菅城昌三
その夜のドアの向かふはクリスマス
西川輝美
枯野ゆく瞼の奥の枯野かな
速水房男
虎落笛答えを出せと我身さす
森千花
豆腐売小路をまがるしぐれかな
渡辺新次郎
水鳥や群れて孤独の餌を食む
河本かおり
裸木に花を点(つ)けるが如く生き
井納佳子
水鳥や吾子(あこ)の小さき肩に触る
武田誠
外套の寄り添っている夜明けかな
松浦美菜子
身にまとふもののなかりし冬薔薇(そうび)
山本孝史
押入れに今年も眠る聖樹かな
池上加奈子
寒椿冷たき雨のふりそそぐ
白川智子
顔見世や漫(ぞぞ)ろこころに席を立つ
前川千枝
足早にポインセチアを胸に抱き
臼田はるか
冬晴や置いてけぼりの猿回し
柴田春雷

外套の釦も空も琥珀かな
菅城昌三
昌三のこの一句は誰も採らなかったが、特選にした。
作者が昌三であると分かりつつ、新しい境地を垣間見た気がしたからである。
「琥珀かな」という措辞が非常に良い。
また釦も空も、と言うことで虚無感の様なものも感じ得る。
しかしそれは得てして希望かもしれない。
この本意は詠み手に委ねるとしても席題の「外套」でこの様な作品を生み出したことだけでも見事である。ある種のシュールな空間がそこに存在する。
他に同時作の佳吟として、
日向ぼこ人であること思ひ出す
黄落や拾ひし人も過客なる


その夜のドアの向かふはクリスマス
西川輝美
これも長年に渡り、作者を知っているだけに、作者らしい作品。
まず、起こしが巧みである。
起こし、とはそこから物語を連想させるきっかけとなるような要素を含む作品である。
「クリスマス」という季語はその内容からも作品が甘くなりがちであるが、これは程よくクリスマスの良さが出ている。
且つさりげない。
それは上五、中七による「その夜のドアの向かふは」という抽象的な措辞にあると言える。作者はまだクリスマスの空間にいないということになる。暗闇の中である。
実に巧みにクリスマスというファンタジィな空間が伝わる作品となった。

枯野ゆく瞼の奥の枯野かな
速水房男
「森」中央支部での第一の特選句。これには非常に感銘を受けた。
枯野のリフレインも非常に効いている。
また自己の投影もしっかりと為されている。
上五の「枯野ゆく」、それに従い、「瞼の奥の枯野かな」という措辞が非常に素晴らしい。
まさに俳句のルーツが訴えるという詩(うた)であることを証明して見せしめた作品。
枯野の例句は多い。その中でも代表的な作品に以下の様なものがある。
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎
枯野はも縁の下までつづきをり 久保田万太郎
速水房男の「枯野ゆく瞼の奥の枯野かな」はこれらの歴史的代表作品にひけをとっていないレヴェルである。
次の作者の代表作と並んで素晴らしいのひと言に尽きる。
水澄んで呼ばれるままに行きにけり

虎落笛答えを出せと我身さす
森千花
虎落笛(もがりぶえ)とは、冬の烈風が電線や柵などに吹きつけて、笛のような音を発することからきている冬の季語である。
この句の良さは力強い一句一章にある。
作者の芯の強さとこれまでの一筋縄ではいかない人生を物語っている。
そして、その物語は今も続いているのである。

豆腐売小路をまがるしぐれかな
渡辺新次郎
これも、森千花の虎落笛の句と並んで、「森」洛中支部での特選。
言葉は平明ながら、叙情的である。
正に、新次郎調といっても、過言ではない。
小路は露地に繋がる。小路をまがる、ということによって露地の存在を暗に示している。
季語の「しぐれ」がそれをより鮮明に映像化している。
作者と話している際、久保田万太郎の話になった。作者は好きであろう、と感じた。
私も久保田万太郎は非常に好きな俳人である。言葉は平明ながら、言葉と言葉の間の空間が豊かである。
また久保田万太郎全集を読み返したいと思っている。作者とも語り合いたい。

水鳥や群れて孤独の餌を食む
河本かおり
「森」中央支部での秀逸。
河本かおりの良さは「安全装置を外した俳句」と前回書いたが、それは違いない。
この句の成功は、しっかりとした観察にあるとともに、席題の水鳥の背景をしっかりと捉えている。
「群れて孤独の餌を食む」という措辞に惹かれた。これは人間社会にも当て嵌まるのではないだろうか。
集合体にいながらひとり、孤独であるというのはつまり寂寥感。詩の根源的なテーマでもある。

裸木に花を点(つ)けるが如く生き
井納佳子
「森」中央支部での特選。とともに高得点句でもあった。
井納佳子の作品のレヴェルはやはり圧倒的に上がったことを証明する作品。
「裸木」は席題であったが、葉も全て枯れて枝や幹があらわになったことの状態を想定して私も皆も創作していたが、この作品の着眼点には驚かされた。
その「裸木」に、「花を点(つ)けるが如く生き」というチャーミングさと謙遜さとを両立している作者の美学が現れている。
等身大の作品が非常に奥ゆかしいのである。
詠み手の心に火を灯す作品。
私の出した席題の「裸木」の個人作品よりも好きな作品である。
裸木や手紙みぢかきほど恋し 大森健司

押入れに今年も眠る聖樹かな
池上加奈子
「森」祇園支部での秀逸。
作者の年齢的なもの、背景を知ることによってより一層響いてくる作品である。
押入れに聖樹が眠るということは、今年もひとりのクリスマスを迎えたことになる。
また家族と過ごすにはいささか恥じらいのある年齢でもある。
自虐との紙一重であるが、季語の「聖樹」によってしっかり陽の世界に転換されている。
時代が移ろい変わろうが、このような女性の感覚は普遍である。もほや現代的なユーモアすら感じられる作品でもある。

冬晴や置いてけぼりの猿回し
柴田春雷
この作品は、ハレとケのバランスが良い。
「置いてけぼりの猿回し」とは想像すると、人間模様の描写であるように思われる。
それを作者は俯瞰的に見ている気がするのである。
季語の「冬晴」がほのかな寒さの中にある暖かな光を持っていて良い。
からりと現代の人間模様を謳った現代的な叙情詩に仕上がっている。
啓蟄やなんだかんだの猿芝居 速水房男

日常のいたるところに詩は存在する。
それを作者ならではの視点で掴めるか、否か、によって人間の感動の世界は大きく変わる。
つまりそれを創作する作品も変わるということである。
俳句をして最も大切なことは日常の中に非日常が潜んでいるということ、またそれの逆も知ることにある。
それを日々繰り返すことが俳句の大切さ、と言える。
物事を考えるにあたり、かの有名編集者である、みすず書房の代表から以下のことを学んだ。
①立ち止まり考える
②歩きながら考える
③走りながら考える
この三つが三つとも大切になってくる。
立ち止まり、考えるだけでは頭でっかちな知識だけの世界で留まってしまいがちである。
俳句は大自然から繋がる、ごく小さな小宇宙である。
つまり、それは、宇宙というスピリチャルな存在を身近に感じることの出来る「こころ」そのものである。
2016年、「森」会員全員が身心ともに健康であり、「森」俳句会にいることを幸せであると述べてくれたこと。
心から感謝したい。
大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
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Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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