2017年2月句会報

句会報の一部を紹介します。

近江吟行(浮御堂、満月寺)、席題(春一番、鳰)
春一番いのちの暖簾くぐりけり
大森健司
碑の文字の冴え返りては薄れゆく
菅城昌三
喉元を春過ぐ雨の浮御堂
西川輝美
くれなひに淡海暮れゆく春隣
速水房男
春一番信号赤に変りけり
渡部新次郎
鳰鳴けば鈍(にび)の湖(うみ)泣く浮御堂
河本かおり
浮御堂残る寒さもありしかな
武田誠
残雪を溶かす彼の手愛ほしく
松浦美菜子
月影の湖にまどろむ鬼やらひ
山本孝史
草履から踵落ちたる春日かな
池上加奈子
梅一輪手紙に昼をしたためて
白川智子
雨だれをとどめ紅梅三分かな
前川千枝
内裏雛今年こそはと寄せて置く
臼田はるか
薹(とう)の立つ遊女の肩に雪解光
柴田春雷

碑の文字の冴え返りては薄れゆく
菅城昌三
今回の近江吟行にて一番に特選に採った作品。
浮御堂(満月寺)には様々な句碑が建っている。
鎖あけて月さし入れよ浮み堂
比良三上雪さしわたせ鷺(さぎ)の橋

これらふたつが松尾芭蕉。
そして、
五月雨に雨垂ればかり浮御堂 阿波野青畝
これらは境内にあり、まず迎えてくれるのが、阿波野青畝の句碑である。
そして境内の中庭に芭蕉や他の句碑が建っている。
また他にも句碑があるのだが、もはや文字が薄れていて解読できずなんの句碑か分からない。
それを見事に写生した昌三の作品。
「碑の文字の」…「薄れゆく」は見事なまでの写生である。
この句の成功は中七の季語、「冴え返る」にある。
中七に季語を持ってくるのは初心者では難しい技術。
それを絶妙に「冴え返りては」、ともってくるのは流石としか言いようがない。
また冴え返るというのは春の季語であるが、冬の寒さがまたぶりかえすという強い季語である。
その為、その後につづく「薄れゆく」との言語の強弱も絶妙に良い。技巧的にも非常に巧みな作品。

喉元を春過ぐ雨の浮御堂
西川輝美
立春を過ぎてすぐのこの日の浮御堂、近江吟行では終始、小雨であった。
曇天と小雨のなかの吟行であった。
喉元を過ぎる、という言葉に、たった「春」の一語を入れることによって輝美は独自のオリジナリティを出している。
「喉元を春過ぐ」という措辞は非常に素朴でありながらも、面白い。
他にも、
まなざしのさきに春あり阿弥陀仏
があり、良い。佳吟。

春一番信号赤に変りけり
渡部新次郎
「森」洛中支部での特選。
まずこの作品はいつも見られるような新次郎調ではない。
藤沢周平のような世界観もなければ、古典的な叙情もない。
しかし、なにか惹かれて特選にした次第である。
「春一番」とは立春を過ぎて一番に吹く南風のことを指す。
それによって作者が交差点で立ち止まったのか、もっと別の意味での「赤信号」での停止なのかは不明である。
しかし、なにかしら瞬間を切り取ったこの描写は評価に値する。
新しい境地を感じさせるような作品となった。
私の、春一番の句も参照にして頂きたい。
春一番いのちの暖簾くぐりけり 大森健司

鳰鳴けば鈍の湖泣く浮御堂
河本かおり
近江といえば、鳰(にお、又はかいつぶり)である。
その日も鳰は浮御堂の周りを取り囲み、潜っては餌をくわえ、また浮遊していた。
それがまたいつもの近江の風景であった。
この作品は鈍(にび)の湖泣くという措辞に成功の鍵がある。
いつまでも湖面に響いていた鳰の風景が今でも鮮明にうつるようである。

月影の湖にまどろむ鬼やらひ
山本孝史
これも近江の湖を指す「湖」である。
作者が滋賀県在住ということもあるが、湖という語が句に馴染んでいる。
また季語の「鬼やらひ」の意外性も良い。
鬼やらひとは当然、節分の鬼を祓う行為を指す。
だから、この作品はまどろむ、と鬼やらひ、との間で一回切れている。
近江の春の湖面にはまさに、まどろむもいった感覚が良く似合うのである。
叙情のある作品である。

梅一輪手紙に昼をしたためて
白川智子
「森」祇園支部での秀逸。
梅一輪と手紙という組合せは、下手をすると新聞俳句のような世俗的なものになりがちであるが、この作品は「昼をしたためて」という措辞によって、しっかりとした詩歌に昇華している。
また時間の流れ、空間も楽しめる作品となっている。
手紙に具体的に何を書いたかは明確に記されていない。
そこに俳の妙がある。
梅一輪いちりんほどの暖かさ 服部嵐雪

薹の立つ遊女の肩に雪解光
柴田春雷
「森」洛中支部での特選。
薹(とう)の立った遊女とはどんなものであろうか?
恐らく見てはいられない、滑稽で無様なものであろう。
作者もそれを切々と詠んでいる。
しかし、「雪解光」という季語によってこの作品の表情はがらりと姿を変える。
その無様な遊女が不思議と愛おしく、かえって美しく映るのである。
飯田龍太氏はこのような季語の使い方を「季語の恩寵」(季語のオンチョウ)と述べた。
季語によって全てが救われる、転換される事柄である。
この作品は正にそれに該当する。
古くもあるが、愛おしく、しっかりと季語の効いた作品。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、1の核心を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てる、ある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。
大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
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Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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