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2017年4月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題(都踊り、蝶、朧
初蝶の眉目(びもく)しづかに暮れゆけり
大森健司
春眠の覚めて花より軽(かろ)きかな
菅城昌三
都をどり老妓がひとつ手を打てり
西川輝美
蝶舞ひて湖に青さの戻りけり
速水房男
袂(たもと)より都をどりの風生まる
河本かおり
かぐや姫朧月夜に迷ひけり
武田誠
帰り道遠回りする朧かな
松浦美菜子
エデンより蝶の記憶のもぎとらる
山本孝史
ダイヤルを押す手をはばむ黄砂かな
池上加奈子
在りし日の家族の庭に蝶きたり
白川智子
待ちわびて都をどりの席も無く
前川千枝
木蓮や白の白さに耐えきれず
臼田はるか
春ひとつ線路の岸に見つけたり
中谷翔
白百合や愛していると言ってくれ

まな板の鯉をながめて暮れかぬる
柴田春雷

春眠の覚めて花より軽きかな
菅城昌三
「森」中央支部での特選。
山本健吉の「俳句は挨拶なり、即興なり、滑稽なり」という説を例えて軸にすれば、それに寄り沿った作品といえる。
昌三にしては珍しい創作であるように思われる。
まるで「呟き」のように詠んでいるからである。
かの角川源義先生の直弟子であった、吉田鴻司氏は、
暮るるとは雨の御室の桜かな
と、京都、御室仁和寺にて即吟で詠まれた。
また、俳人・森澄雄氏は、
春眠の大き国よりかへりきし
と「春眠」を詠まれている。
これらは大いなる遊びに基づいた「つぶやきに似た俳句」であって、私大森健司や角川春樹氏のような「ドラマトゥイギーな俳句」とは対極なるものである。
しかし、俳句なるものを構成させるものが中心をなすのが、次の二つであるとすれば、共に源流は同じであると言える。
①イメージの力
②感性の力
尚且つ、これらが「自然体」であることが最も重要である。
詩歌の根源は全てこれに尽きる。
同時期に以下の作品もあるが、こちらはやや作為が見えてしまっている。
落城や真昼を過ぎし白き蝶 昌三
それに比べて、「春眠」の作品は誰もが感じ得る思いを平明にさらりと詠みあげている。
特選に値する一句である。

袂より都をどりの風生まる
河本かおり
「森」中央支部特選。
袂(たもと)よりの、起こしがまず巧みである。
また兼題の「都をどり」であるが中七にこれをもってきて、「風生まる」とさらりと詠みあげた平明さも良い。
都をどりは、よいやさァから始まる舞妓たちの踊りは未熟だが、これからを思わせる初々しい春の躍動感がしっかりと表現されている。
そういった意味では申し分のない作品。
都をどりうしろに水の流れけり 大森健司
こちらは京都「都をどり」の叙情性を詠んだものである。

かぐや姫朧月夜に迷ひけり
武田誠
「森」祇園支部での特選。
これは虚構に遊んだ作品。
アニメーションのようでもある。
月が恋しい筈のかぐや姫が朧月夜に迷い込むということはどういった状態なのか。
ある意味、現代の世相を反映するかぐや姫像とも言える。
違う選択肢もあることによって、ラビリンスが生まれたというユーモアのある作品となった。

ダイヤルを押す手をはばむ黄砂かな
池上加奈子
「森」祇園支部秀逸。
今年はとにかく中国からの黄砂が酷い。
しかし、これは「黄砂」を言い訳にしているのであって、ダイヤルを押す手をはばむのは自分自身の心の中に在る。
女性ならではの作品であるとも言える。
ダイヤルでかけようとした相手は勿論、意中の人物であろう、と思われる。
季語の「黄砂」を巧く取り入れた現代的な作品に仕上がっている。

白百合や愛していると言ってくれ

私大森健司の俳句、
人込みにふと立ち止まる九月かな
に惹かれて「森」俳句会に入会してくださった、とのことである。
ここでは敢えて自句自解はしないが、この作品は20代に行き場のない、また自分だけが鮮明である葛藤を詠んだもの。
次の作品と、対になっている。
秋のひる誰もが通りすぎてゆく 大森健司
「白百合」の鑑賞に戻るが、まず浮かんだのは1995年の名作ドラマ「愛していると言ってくれ」である。耳の不自由な豊川悦司演じる、青年画家榊晃次と眩しいほどに明るく真っ直ぐな常盤貴子演じる水野紘子の物語である。影と壁のある榊晃司は水野紘子と出逢い、戸惑いながらも惹かれてゆく、、。
この作品の「白百合」は二人の壁の象徴であると感じる。「白百合」は毒々しい一面と華を合わせ持つ薔薇とはまた異なる花でもある。
凛として、静かにただ、そこに存在している。
白百合であるが故に作者の叫びが感じられるのである。
これが季語が薔薇では何の面白味もない。
又、他の作品に、
悲しけりゃ消えちまえよ朧月
春浅し極楽浄土に積もる雪

があり、共に特選。
「春浅し」は大変感銘を受けた。
「春浅し」と「極楽浄土」「雪」の取り合わせが絶妙。
何より作品すべてが【自然体】なのが良い。
俳句は自立している文学。
突き詰めて、また自然体であることが俳句の原点回帰、である。
これから更に期待したい魂の澄んだ「森」俳句会の会員である。

まな板の鯉をながめて暮れかぬる
柴田春雷
「森」洛中支部特選。
「暮れかぬる」は暮れかねる、つまり「遅日」のことを指す。
また板の鯉を見つめて夕闇に立ち尽くす作者の映像が浮かぶ。
また日は暮れかけて、まな板の鯉は観念しているのにも関わらず、作者の中には葛藤が感じられる。
映像の復元もあり、リズムも良い、自己の投影もあり、良い作品と言える。
観念した「また板の鯉をながめて」包丁を手に立ち尽くす姿は少しの危険性も孕んでいて、詠み手の自由であるが、面白味がある。


俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、1の核心を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

[追記]
現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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