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2017年5月句会報

句会報の一部を紹介します。

兼題 なし :袋回し 実施(下記参照)
風薫る天に祭りのあるごとし
大森健司
春ショール人に結び目あるでなし
菅城昌三
夕立ち来ていのちしづかに洗ひけり
西川輝美
ひとり行く青野青野の桃源郷
速水房男
夕立のヒリヒリと恋はじまりぬ
河本かおり
万緑の出口違へてゐたりけり
武田誠
夏の月急いで煙草消さないで
松浦美菜子
母の日や昨日の雨の音を聞く
山本孝史
傷癒えぬまま慟哭の花菖蒲
池上加奈子
行く春や電気ケトルの沸き立ちぬ
白川智子
葉桜や昨日のスープ温める
前川千枝
行く春の光と影が交差する
臼田はるか
新緑や新居は海の見える丘
中谷翔
君といる苺畑よ永遠に Strawberry Fields forever

獅子眠る牡丹(ぼうたん)に陽の寄る辺(へ)なし
柴田春雷

袋回し(ふくろまわし)】
今月は全句会で袋回しを開催した。
袋回しとはベテランの俳人が集まって行なう、いわばゲームのようなもので、封筒に「季語」「単語」をひとつ書き、作品を詠む。
又そこから新しい「季語」「単語」をまた封筒に書き足し、それに基づいて、短冊に新しい俳句を書いて回すというなかなか高度な俳句の遊びである。
制限時間を決め、その間は何句出しても良い。
そのあとで普段通り、清記をして、披講を行なう。
勿論、即興俳句である。
ゆえにまれに名句が生まれることもあれば、駄作も多いが、それもまた遊び。
俳句は本来、こういった人との交わりの中で遊ぶものであり、それが俳句が「座の文芸」と言われる所以でもある。
このように俳句には様々な形式の遊びがある。

春ショール人に結び目あるでなし
菅城昌三
「森」中央支部での特選。
まず、この作品の措辞「人に結び目あるでなし」に大変感銘を受けた。
人の結び目とは一体なんなのか。
それは社会の柵、縁、親子関係、様々な想像をすることが出来る。
繰り返し述べているように、
①イメージの力
②感性の力
これは優れた作品には欠かせない。
尚、春ショールとは本来、女性用のショールであるが、現代では男性がすることも少なくない。
また薄手で、春らしくパステルカラーや薄い色のものが好まれている。
春ショールが風で飛ばされない様、軽く結んでも解けてしまう感じが、繋ぎ止められない何かを物語っているようにも感じ得る。
ここにこの作品の面白さ、がある。
人の心は移ろいやすい。
ともかく人の心も縛ることが出来ず、うっかり目を離すと離れてしまう危うさが春と非常にマッチングしている。絶妙な作品。

夕立ち来ていのちしづかに洗ひけり
西川輝美
「森」中央支部での特選。
これは私大森健司および角川春樹氏へのオマージュと思われる。
一流と言われる芸術家は、まず先人の絵の具の重ね方やデッサン、ミュージシャンならビートルズなどのコピーをして、コード進行を紐解いていき、噛み砕くところからスタートする。
そう言った意味では、この「夕立ち」の作品は当然、特選に値する。
その先に本人のオリジナリティが生まれるか、否か、分岐するのである。
輝美の「森」句会での存在は大きい。
誘われてメインでなく入会した輝美の事は、結社「森」顧問、大御所脚本家の鎌田敏夫先生も認めて下さっている。
この作品では本来、負けず嫌いの西川輝美が也(なり)を潜めている。
もっともがいている西川輝美の等身大の作品に出逢いたい。
今の輝美ならそれは可能であろう。
湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 久保田万太郎
屠蘇(とそ)めくや短くなりしいのちの緒 森澄雄
年ゆくや天につながるいのちの緒 角川春樹

ひとり行く青野青野の桃源郷
速水房男
「森」中央支部での秀逸。
「青野青野」のリフレインがとても効いている。
その先にあるのは希望なのか絶望なのか。
詩歌の根源は、寂寥(せきりょう)感にある。
現代の数多くの歌人、俳人の中ででこれを心底理解しているのは、数える程しかいないであろう。
心境としてはこの作品に近い。
分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火
素晴らしいの一言に尽きる。

夕立やヒリヒリと恋始まりぬ
河本かおり
「森」中央支部秀逸。
この句の作者の個性は「ヒリヒリと」にある。
決して安穏な恋ではないのである。
季語の「夕立」もそれを決して殺していない。
河本かおりの作品の良さは、良い意味での不安定さ、にあるのである。
こちらも袋回しの席題「夕立」からの即吟。

夏の月急いで煙草消さないで
松浦美菜子
「森」祇園支部秀逸。
男が急いで煙草を消す模様。
それは、次に何処かへ向かうことを意味する。
この作者は女性であることから、もう少しの間側に居て欲しい、もしくは相手が長居をしたくないの両面から考えられる。
ぽっかり浮かんだ「夏の月」が変わらず、上空に存在している。
対比が非常に面白く、実に松浦美菜子らしい作品。

君といる苺畑よ永遠に

「森」句会特選。
前説に「Strawberry Fields forever 」とある。
勿論、ビートルズである。
ビートルズのサイケデリック期における1967年のジョンレノンによる、傑作作品。
普通なら、「君といる」というと甘くなりがちであるが、これはしっかりと詩として昇華されている。ビートルズの歌詞にもあるように、苺畑=ストロベリーフィールズが良くも切ない作品。
今の世代ではなく、リアルタイムに聴いていた作者なら当然歌詞の取り方は異なる。
一見この歌詞は、歌詞そのままであるという意見もあるかも知れない、だが、変に捏ねくりまわす事よりも、ストレートに歌詞をそのまま引用した作者の純粋さに惹かれる。
句に説得力が出てくる。
苺畑よ 永遠に、、、これは作者の寂寥感の塊でもある。
詩の根源は、つまり寂寥感にあるのである。

獅子眠る牡丹に陽の寄る辺なし
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
これは、勿論「唐獅子牡丹」に由来する。
この話を知らなければ、この句の面白さは全く理解できない。
百獣の王の獅子の天敵は内臓を食い破る虫であると、言われている。しかし、牡丹の蜜がその虫を殺すことから、獅子は牡丹の下で安心して眠るというものである。
牡丹がつまり、獅子を守ってくれるのである。
ここで、この句の焦点は「牡丹(ぼうたん)」にある。では、牡丹はどうなのか?
作者は「陽の寄る辺なし」と言い切っている。
つまり、牡丹には守ってくれるものがないのではないのか、というアンチテーゼに面白味の妙がある。
人に置き換えてもいい。
安住という問題は現代人においても、最も大切なテーマであると言える。
観念的であるか、どうか、好きか嫌いかは詠み手に委ねられる。
私の処女句集「あるべきものが…」においても、角川春樹氏と吉田鴻司氏、増成栗人氏との間で以下の俳句作品が、観念的かどうか論争になった。
葱きざむ身よりこぼるるものもなし 大森健司


俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、1の核心を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。

「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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