FC2ブログ

2018年6月句会報

句会報告一部を紹介します。
兼題 : 蓮、泉、梅雨

白蓮やわが息と知りしづかにす
大森健司
ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
蓮の葉に乗りてこの世の果てにをり
速水房男
喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
蓮の葉のゆりかご揺らす朝日かな
武田誠
青田なる傘から去年(こぞ)の蛙降る
松浦美菜子
株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
投石やトレビの泉に思い消ゆ
池上加奈子
露地ぬけて踏み石濡らす梅雨入(ついり)かな
白川智子
あの頃の思い出さがす金魚草
前川千枝
猫眠る椅子にさみだれ近くして
臼田はるか
缶麦酒ケチりて靴を捨てにけり
中谷かける
日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
胸の内明かすものかと冷奴

子宮(ウテルス)やをんなに七つ泉あり
三谷しのぶ
白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷

ひとごとのやうに梅雨来て電話鳴る
菅城昌三
「森」中央支部特選。
まず、「ひとごとのやうに梅雨来て」という措辞が巧みである。
ここでいう「ひとごとのやうに」は、季語である「梅雨」にも「電話」にもかかっている。
そして、下五で「電話鳴る」という具象的な日常を詠んだところに作者の俳句的素養を感じさせる作品。
「電話鳴る」という措辞を持ってきたことによって、突然聴覚を刺激するところも非常に良い。

六月や手にのるだけの贈り物
西川輝美
「森」中央支部特選。
これは季語の「六月」が一見、大雑把であるようで非常に効いている。
例えばこれが、
十月や手にのるだけの贈り物
となれば、これはこれで通用するのであるが俳句的になりすぎて、面白味に欠ける。
六月という季語が絶妙である。
又、「手にのるだけの贈り物」という措辞が大変、輝美らしく好感が持てる。
言葉が平明で処女性がある。
良い意味でチマッとした作品は愛おしい。
個人的に今月の中で一番好きな作品。
六月の例句の好きな作品としてひとつ挙げる。
六月の女すわれる荒筵(あらむしろ) 石田波郷

喉ならす龍のこゑきく泉かな
河本かおり
「森」中央支部特選。
これは兼題の「泉」の中でも非常にダイナミックな作品。
勿論、「喉ならす龍のこゑ」というのは想像の虚像の世界であるが、それが良い。
もし作者が、実際に龍の口から泉が出ている情景を、詠んだとしたら凡句、駄句である。
この作品は、作者独自の感性が鋭く光っている。

株主の怒号響きてついりかな
山本孝史
「森」祇園支部特選。
ついりとは、勿論、梅雨入りの意である。
6月の日本の風物詩と言える株主総会の情景が色々な音の表現により鮮明に浮かび上がる。
ヒートアップした空気をクールダウンさせるついりの転換が見事。
口は災いの元とよく言ったものだが、自然賛美の力で己の奢りを反省し、謙虚さを取り戻す、まさに男の生き様が現れているような作品。

日々草植えて本日善き日なり
上田苑江
「森」中央支部特選。
この句は、私大森健司以外句会では誰も並選にも採っていない。
しかし、この言い切り、切れ字は使っていないが「切れ」こそが俳句の本質である。
静かな日常を詠みあげながらも、そこには生活の断定がある。
それは季語の「日々草」からも読み取れる。
日々草とは決して派手な花ではない。
しかし、日々草を植えて「本日善き日なり」と言い切るところに作者の人間力としての豊かさ、大きさを感じるのである。

胸の内明かすものかと冷奴

「森」名古屋支部特選。
これは、作者の思いと季語の「冷奴」がしっかりとリンクしている。
胸の内を明かすものか、という思いは男女共にあるが、季語に「冷奴」を持ってきたことによって男性的な視点俳句だと分かる。
また「冷奴」によって作品そのものがしまっている。
男性ならではの意地と追想を感じさせる作品。
女性なら「冷奴」は、こういった創り方になる。
冷奴寄りそふことをおそれつつ 西川輝美
俳句は微妙な季語の付け方や措辞によって、人間性が露わに見えてくる。
そこが面白味でもある。

子宮(ウテルス)や女に七つ泉あり
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
子宮をウテルスと詠んだ句は始めてである。
また、「女に七つ泉あり」という措辞が色々な解釈を詠み手に広げる。
七つというと、まず想像するのはキリスト教、カトリックの七つの大罪である。
七つの大罪に関しては様々な解釈が現在もあるが、高慢・物欲・嫉妬・憤怒・色欲・貧食・怠惰の七つである。
作者がこの七つの大罪から「七つの泉」としたか、どうかは定かではない。
全く別の「七つ」であっても良い。
そこは詠み手の解釈による。
どちらにせよ感性が鋭く、「泉」の使い方がこれまでの例を見ない作品であることは違いない。

白蓮や天に召される音ひとつ
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
あえてルビはふってないが、私の以下の作品と同じで、白蓮は(びゃくれん)と読む。
白蓮やわが息と知りしづかにす
この作品からは輪廻転生の仏教観を感じる。
また「天に召される音ひとつ」が絶妙。
蓮が開花する時にはポンと音が鳴る、この真偽は分からないとされている。
天に召されたのが、一体何であるかは全く詠まれていないが、それがかえって俳句の本質である省略の文芸の基本であり、広がりと余韻を持たせている。
昌三の
電話鳴る、と同じく 「音ひとつ」の下五の表現の転換が見事。
当然、特選に値する作品。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
スポンサーサイト
プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR