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2018年11月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 雁(かり、かりがね)、栗、釣瓶落し

栗の飯褪せてはならぬいのちあり
大森健司
藤袴けふを忘れししろさかな
菅城昌三
宛先の行間にある秋思かな
西川輝美
秋深む昨日のやふに逢ひにけり
速水房男
ー朝鮮街道ー
下街道(しもかいどう)釣瓶落しに終息す
上田苑江
栗茹でて母の時間をもて余す
武田誠
待ち人よ釣瓶落としの空港に
松浦美菜子
虚栗(みなしぐり)こころの傷の奥の奥
山本孝史
イタリアの栗甘からず首すくむ
池上加奈子
栗落つや財布忘れて舞戻り
白川智子
返信がまさかの釣瓶落しかな
前川千枝
かりがねや月の声するほうへゆく
臼田はるか
いなびかり出逢ひし頃のふたりかな
中谷かける
紅葉かつ散りてこの世のことば編む
三谷しのぶ
いわし雲将軍塚に遊びをり
村田晃嗣
繋いだ手冷えゆく釣瓶落しかな
柴田春雷

藤袴けふを忘れししろさかな
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この作者は「藤袴」の季語を扱わせると格別に巧い。
第一回の「森」俳句会藤袴吟行(大森健司「森」ブログ2017年10月号参照)では、
藤袴ひとり遊びの果てに咲く
と名句を詠んでいる。
この作品は歳時記に並ぶ以下の作品に引けを取らない。
藤袴手に満ちたれ友来ずも 橋本多佳子
藤袴白したそがれ野を出づる 三橋鷹女
重なりて木の暮れてをり藤袴 永田耕一郎
また、今年の2018年10月14日、「森」俳句会祇園支部 藤袴吟行の作品も佳作である。
藤袴ミサを遠くに咲きにけり
宮中の夕焼紅し藤袴
菅城昌三
そして、今回は「けふを忘れししろさかな」である。
実に見事である。
「藤袴」の本質をしっかりと見抜き、捉え、自分の物にしている。
「きのふ」ではなく、「けふを忘れし」という措辞に、「藤袴」の本質でもある湿気を帯びた抒情性があり、「しろさかな」と言い切ることにより、その哀しさは一層深みを帯びたようである。

秋深むきのふのやふに逢いにけり
速水房男
「森」中央支部秀逸。
この作品で作者は、永らく会わなかった友人もしくは恋人とまるで昨日のように再会したか、実際にその「逢いにけり」との人物とは逢っていないのかも知れない。
それは幻想的な世界、もしくは夢かもしれないのである。
詠み手に委ねられる作品で「秋深む」という季語がその曖昧な世界観に導くにあたって絶妙な働きをしている。

ー朝鮮街道ー
下街道(しもかいどう)釣瓶落しに終息す

上田苑江
前書きにある朝鮮(人)街道とは、織田信長が安土城を築いた時代に整備された道であり、徳川時代は将軍上洛の際通る縁起の良い道。
そして朝鮮と国交回復の際、朝鮮から来た使者が異文化をもたらす道として栄えた道である。
しかし、一般的に下街道とは、宿場町が設けられ、商人が通行税を払って行き来した中山道に対して、庶民が行き来した脇道を指す。
起伏の激しかった中山道よりなだらかで歩きやすかった下街道、庶民の文芸である俳句を詠むのに相応しい道と言える。
そして「釣瓶落しに終息す」という措辞が大変良い。
作者の心の豊かさと、仏教観を主軸とした世界観、感謝のこころを何より重んじる生き様がありありと俯瞰的に映像復元されていて見事である。

栗茹でて母の時間をもて余す
武田誠
「森」祇園支部特選。
「母の時間をもて余す」というフレーズが非常に軽妙で良い。
夫、もしくは子供の帰りを待ちわびているのか、それとも家事が一段落して休息をとっているのかは分からない。
季語に「栗」を持ってきたことで、もて余した時間が柔らかいものになり、決して後ろ向きでない作品。
心のゆとりと、母としての貫禄を備えたある種理想の母親像を男性視点で描いた作品でもある。

虚栗(みなしぐり)心の傷の奥の奥
山本孝史
「森」祇園支部秀逸。
作者の得意とする渇いた叙情性のある作品。
虚栗とは、中身の無い殻だけの栗のこと。
作者の心情を現しているのか、今置かれている環境を指すのか。
一見殻に籠って社会と遮断しているようでいて、剥いてみないとわからない栗の様に、誰もが抱えているだろう心の傷の奥まで敢えて触れて欲しいと願う悲痛な叫びが聞こえてくるようである。

返信がまさかの釣瓶落しかな
前川千枝
「森」祇園支部秀逸。
「釣瓶落とし」という言葉を現代で見かけることは無くなった状況で、秋の日没は「釣瓶落し」のごとであると句座に於いて説明した。
現代で「釣瓶落し」に変わるものは何かと祇園支部で話題になった時に生まれた即吟の作品である。
これも句座を囲む楽しみと言えるだろう。
SNS時代となり、ポケットベルが遂に生産終了した。ポストに手紙が来ていないか何度も見に行ったり、固定電話の前で待ち構えることも無くなった。
一瞬で既読されたかが分かり、スタンプひとつで、文字すら不要のLINE文化に対する皮肉や寂しさも入り混じった、諧謔やユーモアのある現代的な佳作。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。
「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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