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2019年6月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 睡蓮、梅雨、蛍

夕さればをんな睡蓮から生まる
大森健司
父の日や開かぬ扉のいくつある
菅城昌三
多弁なる真珠夫人や冷房車
西川輝美
睡蓮の絵の中にゐるふたりかな
速水房男
及ばざる我が身に眩し夕焼や
上田苑江
螢籠冥き(くらき)も永き夜を欲す
武田誠
若かへで雨の降りたる地蔵かな
松浦美菜子
梅雨入りの蛍光灯の点滅す
山本孝史
ほうたるやいたづらに夜が長くあり
池上加奈子
睡蓮のやがて女を封印す
白川智子
卯の花や雨に花びら集めたり
前川千枝
かすかなる風鈴夢を呼びもどす
臼田はるか
蛍火に雄であること忘じけり
中谷かける
脱ぎ捨てて立てばあかるき夏鏡
三谷しのぶ
梅雨に濡れうす紅(くれなひ)の芯ひらく
やまだふゆめ
あさぼたる声の記憶を無くしけり
柴田春雷

父の日や開かぬ扉のいくつある
菅城昌三
「森」中央支部特選。
この場合の父は、自身の父と己そのものが父となれていない、二つの解釈が出来る。
作者を知っているだけに、この作品は後者の方が強いと思われる。
作者の優れた作品に以下がある。
木の実雨父ともなれず手ぶらなる
渇いた虚無感がそこに存在する。
「父の日」とは名ばかりで、「母の日」と比べても実にに存在の薄い催事である。
父(祖父)に反抗ばかりしていた私の20代の頃の作品は、
父の日の日当たる山のありにけり 健司
だった。
6月26日はその父の命日である。

多弁なる真珠夫人や冷房車
西川輝美
「森」中央支部特選。
これは実にユーモアに溢れた作品であり、この句会において一番に採った特選である。
作者はごく稀にこういった作風を垣間見せる。
処女句集『それでも夏が大好きで』の中にもそのユーモアは存在する。
貴婦人の放屁白百合うなだれて 輝美
この「多弁なる…」の作品も正しく作風は近い。
『真珠夫人』とは十数年前に日本中で話題になったテレビドラマであり、原作は菊池寛。
この菊池寛の『真珠夫人』は1920年連載発表後、大映や日活等の映画、また度々テレビドラマに於いて数多く放送されている。
この作品の中での「真珠夫人」は、菊池寛の原作の世界観ではなく、近年の昼のメロドラマの瑠璃子演じる真珠夫人らしき、高飛車で厚かましいモチーフの夫人を指している、と解釈した方が奥行きも出て、面白い。
どちらにせよ、詠み手の解釈に委ねられるが、季語の「冷房車」も抜群に効いており、作者の代表作のひとつとなるであろう、作品に仕上がっている。

及ばざる我が身に眩し夕焼や
上田苑江
「森」中央支部特選。
仏教に「七慢(しちまん)」という言葉がある。
人は自分自身を客観視する時、どうしても、良く見られたい、または悪く見られたくないという欲目が入る。
欲目とはいわゆる自惚れであり、それを無くして客観視することは出来ないとする。
自分の方が優位に立っている、相手の優れたところは認めたくない、卑下する自分は謙虚で素晴らしい、など自惚れを七つに分けたのが「七慢」なのである。
「及ばざる我が身に眩し」という措辞には、
釈迦如来の光のようである夕焼に、まだまだ自分はほど遠いという作者の謙虚な立ち位置が率直に表れている。
下五を「夕焼や」と倒置した季語の据え方も良い。
その「七慢」をきちんと理解し受け止めている作者の姿勢が眩しい作品。

かすかなる風鈴夢を呼びもどす
臼田はるか
「森」祇園支部秀逸。
近年めっきり、軒先に風鈴が下がっている家を見る機会が少なくなった。
エアコンの普及により、リモコン一つで暑さから逃れることは可能である。
しかし、蒸し暑い京都は殊更、風鈴のかすかな音色で涼をとるというのは、日本人ならではの知恵であり、美しい。
ある種のノスタルジーが「夢を呼び戻す」という措辞に込められ、作者の少女性が控えめに表現されている。

蛍火に雄であること忘じけり
中谷かける
「森」祇園支部秀逸。
「蛍」は、交尾の際、水上を高く舞い上がり、力尽きた雄は雌より先に落ちて命が尽きる。
雌はその後産卵の為、2、3日長く生きる。
作者の「雄であること忘じけり」という措辞が、女性に圧倒され、男性が弱い者にされている現代社会へのアンチテーゼのようであり、雄とは何であるかを今一度考えさせられる。
「蛍火」を上五に持ってきたことで、雌の生命力が強く感じられ、恐怖すら覚える。
現代の男女の微妙な強弱関係の切り取りが巧みな作品である。

脱ぎ捨てて立てばあかるき夏鏡
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
これは作者が女性でなければ、良さが半減してしまうであろう、作品。
一糸纏わず、裸でたちつくすひとりの女性。
そこに女性のダイナミックさと健全なエロスが混在する。
措辞の「あかるき」が絶妙に良い。
又、季語である「夏鏡」。
ギラギラとした夏の日差しに光った鏡に作者は、映っているのかどうかも定かではない。
しかし、そんなことは問題ではない。
更に深く解釈すれば、作者はなにもかも失っても「立てばあかるき」世界がそこに存在すると、も読みとれる。
それこそ女性特有の生命力の強さである。
得てしてこの大胆で健全なエロチシズムは作者の俳句作風の真骨頂と言えるであろうと思うのである。

梅雨に濡れうす紅(くれなひ)の芯ひらく
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
「森俳句会」鴨川支部において心強い新人が門戸を叩かれた。
この方との出逢いのお陰で、鴨川支部が開設されたと言っても過言ではない。
名前は伏せておくが、日本でも著名な学者。
それはさておき、まず句の素直さ、そしてその世界観の純度、言語感覚の鋭さに驚いた。
兼題の「梅雨」。
「梅雨に濡れ」て「うす紅の芯」が開いたのは、植物かなにかなのか、作者自身であるのか、それは分からない。
しかし、その「想像の余白」は既に「俳句の骨」を捉えて離さない。
俳句は一人称の文芸である。
「梅雨に濡れ」という素直な措辞も、平明で却って少女性、不思議な色気をかもし出している。
この作品の季語が俳人にありがちな、「長梅雨や」もしくは、「青梅雨や」では全くこの作品は活きてこないのである。
私はこの作品に於いて、一切の添削を行なっていない。
大変驚かされ、嬉しく思った句座であった。
またお逢いできるのを、私は心より楽しみに思っている。

あさぼたる声の記憶を無くしけり
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
「ほたる」は鳴かない虫である。
だからこそ、想いが募り、多くを語らない俳句の哲学に沿っている。
また、朝日の中命が尽き果てる儚さが美しいというのが、日本人の美学なのであろう。
「声の記憶を無くしけり」という措辞が、より否定的でありながら、何も持たない蛍への愛おしさが感じられる。
参考までに、源氏物語の蛍の章で、兵部卿の宮が玉鬘に想いを寄せるのに対して、玉鬘が冷たくあしらうのが次の二つの和歌である。
なく声も聞こえぬ虫の思ひだに
人の消つには消ゆるものかは
(兵部卿の宮)
声はせで身をのみ焦がす蛍こそ
いふよりまさる思ひなるらめ

スマートフォンが普及し、世の中はますます合理化されて行くが、後に残ることを考慮して、余計な言葉を排除した文(ふみ)の文芸として、俳句を楽しんでいただきたい。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員も増え、さらに充実した句会となっている。
「森」鴨川支部が新たに開設された。
近い将来「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、99の流れる言葉より、「1の核心」を突いたひと言の方が、相手の心に残る。
話が上手ではない経営者の方々、不得手な経営者の方々もいらっしゃるが、ポイントはたったひとつでいい。
相手の心に突き刺さる言葉があればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻の言葉で良いのである。
多くを語る者は多くを失う。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。


追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問等につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
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プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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