FC2ブログ

2020年6月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 洗ひ髪、雷、蛇

赤すぎる月やうすもの身を離る
大森健司
麦秋の買ひたての靴かかと踏む
菅城昌三
蛇衣を脱げど此の部屋ひとりなり
西川輝美
夕立来て女つややか寝そべりし
速水房男
平凡な日こそ浄土よ髪洗ふ
上田苑江
飲み水をこぼすに似たる薄暑かな
武田誠
漆黒の夜待ち遠し洗ひ髪
松浦美菜子
雷やマネキンの列並びたり
山本孝史
夏の月外階段で待ち合わす
池上加奈子
洗ひ髪見られてしまふ曲がり角
白川智子
蛇肌の体温となり電話置く
前川千枝
指先に過去閉ぢ込めて髪洗ふ
臼田はるか
蛇衣や鉄路果てたる坂の上
中谷かける
夕立ちに追はれて辿る絵巻物
村田晃嗣
稲妻や行方も知らず化粧(けはひ)せり
三谷しのぶ
虚空より洗ひ髪揺す風吹けり
やまだふゆめ
青とかげ継ぎ目探して触れんとす
柴田春雷

麦秋の買ひたての靴かかと踏む
菅城昌三
「森」中央支部特選。
「麦秋」とは麦が熟するころの季節をいう。収穫をむかえた麦を指すのではない。芽吹きから新緑に移った木々が周囲の風景を生き生きとさせ、田には早苗が青空を映す水の中に根をひろげる。
気候も安定し、日本が一番美しい緑に包まれる時期である。
作者の「買ひたての靴かかと踏む」はリアリティーである。
人は外見のちょっとしたところから性格を推し測ることが出来る。例えば神経質な人なのか、自己満足に過ぎないオ洒落な人なのか、それとも無頓着な人であるのか。
普通、買いたての靴のかかとを踏むという姿は人によっては考えられない行為であるが、作者にとってはそれが通常運転なのである。
無様でしかない出で立ちを滑稽に思わすのは季語の「麦秋」の恩寵の賜物でしかない。
四十半ばに差し掛かった作者の目も当てられない無様な姿が、季語によって、見事に青春性を孕んだ作品に仕上がっている。

蛇衣を脱げど此の部屋ひとりなり
西川輝美
「森」中央支部特選。
作者の孤独感は社会から疎外された孤独感ではなく、誰にも気付いてもらえない孤独感である。
そしてこの作品の成功例は「脱けど」にある。
これが、「脱げば」であると全くの凡句に終わってしまう。脱げども、脱げども「ひとり」なのである。
季語は「蛇衣を脱ぐ」である。
蛇の脱皮は初夏こと目につきやすい。体から浮いて白くなった表皮を、蛇は木の枝に顎のところから引っ掛けて進み、裏返しに脱ぐといわれるが、実際に脱皮しているところはなかなか見られない。
そうやって蛇は人知れずところで脱皮を繰り返し、柄が大きくなっていくのだが、作者はまるで逆を行き、逃げるように殻を脱いでは、かえって自信をなくしているのである。
人と触れるたびに心に傷が増える現代女性の共感を呼ぶ、刹那に満ちた作品。

夕立来て女つややか寝そべりし
速水房男
「森」中央支部特選。
昭和の家には真ん中に縁側があり、夏になると窓を全開にして風を通していたものだった。
誰も見ていないとここぞとばかりに、あらわな姿で寝そべりながら、団扇であおぐ女性は古い邦画でよく出てくる光景である。
柔らかい肌に汗をにじませ、しどけない姿に妙なエロスを感じるのは、夏を乗り切れるたくましさ、そして女性ならではの生命力への賛美なのかもしれない。
「夕立」がきてもうろたえず、悠然と寝そべる女性に「つややか」という賛辞を送っている。
作者は女性のあっけらんとした切り替えの早さ、柔軟さを実に巧く切り取って描いている。
例えば、京マチ子の映画「偽れる盛装」あたりをイメージすると良いのかもしれない。
作品として格調もあり見事である。

平凡な日こそ浄土よ髪洗ふ
上田苑江
「森」中央支部特選。
仏教用語で住劫(じゅうこう)という言葉があり、世界が成立し、破滅にするまでの過程において、人類が安住する期間を指す。
世界が壊滅するに至る期間を「壊劫」と言い、今まさにコロナ禍で、安住が揺らぐ「壊劫」に向かいつつあり、その時に五つの悪い現象が起こるとされている。
疫病などの「劫濁(こうじょく)」、身心が衰え苦しみが増える「衆生濁(しゅじょうじょく)」、欲が勝って争いが増える「煩悩濁(ぼんのうじょく)」、誤った思想や見解がはびこる「見濁(けんじょく)」、寿命が縮まる「命濁(めいじょく)」である。
浄土にはこの五濁(ごじょく)がない。
作者は平凡な日を過ごせることへの感謝があるから、「平凡な日こそ浄土よ」と言い切れるのだろう。
日々のあらゆることを怠る事なく、身を清める意味での「髪洗ふ」そして、いつまでも女性として清らかに過ごす為の身支度として、「髪洗ふ」という行為が実に清々しい。
仏教では「壊劫」の後、「空劫」という、次の世界が成立するまでの何も無い期間が存在する。
全てを洗い流してゼロにリセットする期間と捉えたら、より浄土に近づけるのかもしれない。
作者の日々の感謝を忘れない姿勢を習い、今一度、立ち止まり、身を正したいと思う。

夕立ちに追はれて辿る絵巻物
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
季語である「夕立ち」に「絵巻物」という言葉を結びつけた作者の雅なこころに圧倒された。
日本の伝統文化を愛する作者ならではであろう。
「夕立ち」という激しくも一過性のものに過ぎない季語に、「絵巻物」は負けることなく、美しさはどこまでも長く余韻を残す。
措辞が実に麗しく際立った華やかさがある作品である。
「夕立に追はれて」いながら、焦っているようで、優雅に絵巻物の続きを必死で進ませているあたりが、浮世離れしていて、ますます雅な世界に引きずりこまれる。
同時に、
蛇の殻西日に焦げて縮みをり
雷に阿弥陀堂まで揺れにけり

があり、これも秀吟。
これまでの村田晃嗣の特選句を振り返る。
母逝きて数へ日寂し墨をする (2017 12月)
夜汽車待つ異国の旅や春は来ぬ (2018 2月)
於母影を日傘の奥に透し見る (2018 7月)
名月や湯の香にかすむ山の奥 (2018 9月)
秋刀魚焼く丸い背中の尊さや (2018 10月)
黒髪を柚子湯に咲かすおみなごよ (2018 12月)
春陰がうなじにのびる古都の女 (2019 3月)
指で追ふ花のゆくえや高枕 (2019 4月)
京うちわ乙女の胸をのぞきこむ (2019 7月)
青すだれいのち宿して揺れにけり (2019 8月)
渡り鳥夕日のへりに焦げて消ゆ (2019 10月)
土瓶蒸し覗けば母のおはしけり (2019 11月)
薄氷裏に潜むはあの世かな (2020 2月)
以上である。
過去に指導した中で山本健吉の俳句の三大要素である、【挨拶】【滑稽】【即興】をこれほど、早くに習得した人はいない。

稲妻や行方も知らず化粧(けはひ)せり
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
季語の「稲妻」は雷と違い、音が無く光だけの現象を指す。
よって、距離や程度を把握出来ない怖さがある。
作者の描く「稲妻」は何か事象のモチーフなのか、人の感情なのか、いずれにせよ、対岸の火事のようであり、しれっと「化粧せり」なのである。
例えば男性が稲妻の行方をいつまでも気になって追うのなら、どこかで線引きをして日常に戻る力は女性の方が備わっているのかもしれない。
作者の一面にある大胆さが表に立ち、貞淑と不埒の間を行き来する揺れに、エロスを感じる魅力的な作品である。
俳句の三原則である【映像の復元】【リズムの良さ】【自己の投影】が為されている作品。

虚空より洗ひ髪揺す風吹けり
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
「虚空」とは広義では何も無い空間を指す。
何も存在しない故、感覚世界は超越していると考えるなら、「洗ひ髪」が揺れる感覚がある作者の立ち位置がどこにあるかという疑問にぶつかる。
人が死ぬ間際に、手を上げた様子を虚空を掴むと言うが、もしもあの世があるとするなら、作者はこの世との狭間にいるようであり、死生観が根底に見受けられる。
無重力であるかのような、抵抗を感じられない中、無情にも「洗ひ髪」を揺らす風を虚無と捉えるのか、それでも背中を押してくれる恩恵と捉えるのかは詠み手の判断に委ねる。
どちらにせよ、幻想的でありながら映像の復元化も出来る見事な作品。

青とかげ継ぎ目探して触れんとす
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
この作品はフェティシズム的思考の一種であると考えられる。
人の趣味趣向には差があっても、一般的に爬虫類は触りたくない対象である。
民俗学者の柳田国男は、「西は何方」(1948年)において「東部日本の人々は一般に、蜥蜴に二種あることを認めている。(中略)一方が只のトカゲで他の一方はカナヘビ、或は青蜥蜴と謂って彩色の鮮やか」と記している。
作者が描いた「青とかげ」は蛇のように肌に光沢があって滑らかな方である。
その「青とかげ」を前にして継ぎ目を探すとはいったい何を意味するのだろうか。
継ぎ目とはいわゆる境界線を指す。
この境界線に対して作者は、疑心暗鬼なのか、無いことを確かめて安心感を得たいのか。
少しのズレに対しての価値観の問題は各々で異なる。
いずれにせよ、着眼点の面白い作品と仕上がっている。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員数も増え、さらに充実した句会となっている。

今年「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、相手の心に突き刺さる言葉がひとつあればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻(ケ)の言葉で良いのである。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
スポンサーサイト



プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR