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2020年7月句会報

句会報告一部を紹介します。

兼題 : 炎ゆ、炎暑、汗、天道虫

背泳ぎやひとつの星の還りゆく
大森健司
ホテルには鏡多くて夏の蝶
菅城昌三
絵の中の男の汗に逃げてゆく
西川輝美
炎ゆる日の淡海は何を語らずや
速水房男
炎天やあつけらかんと声もせず
上田苑江
うたた寝や天道虫を持ち帰る
武田誠
炎昼やエレベーターの息づかひ
松浦美菜子
天道虫ひとり暮らしの階段に
山本孝史
手の汗をポッケに隠し午後の過ぐ
池上加奈子
いかづちや紅を差すのを忘れたり
白川智子
てんとむし消せない痕の多くあり
前川千枝
星空に気づひてほしき天道虫
臼田はるか
炎天を誘はれるまま抜けにけり
中谷かける
掌(たなごころ)天道虫に占はせ
村田晃嗣
五体より朱(あけ)滲ませて花柘榴
三谷しのぶ
星はるか天道虫の巡礼路
やまだふゆめ
汗落ちて緑のにほひ蘇る
柴田春雷

ホテルには鏡多くて夏の蝶
菅城昌三
「森」中央支部特選。
このホテルが存在しそうで、存在しなさそうな不思議な作品。
鏡の多いホテルというのは、虚構の世界のようでもある。
サラリーマン社会から現実逃避したい作者の気持ちの現れであろうか。
季語の「夏の蝶」も幻想的であり、二句一章作品に仕上がっている。
格調がないので作者にしては物足りない作品ではあるが、自己投影がある意味されてをり、非現実な世界に一度は引き込まれる。

炎天やあつけらかんと声もせず
上田苑江
「森」中央支部特選。
この作品の良さは、「あつけらかん」という措辞にある。
作者はいつも出句する度に、幼稚園児みたいな言葉だと謙遜されるのだが、俳句に於いてプライドや格好をつけることは必要無いと私は考える。むしろ裸の文芸である。
十七文字に絞って、他の言葉を削ぎ落とす過程で、自分自身があらわになる文芸であるからこそ、平明な言葉で良い。
コロナ禍においてもぶれない作者のおおらかさが「あつけらかんと声もせず」に良く出ている。
外出時に一斉にマスクで声がしないという解釈も出来るだろうが、それよりも、炎天下に全く声がしない真空の世界と捉えた方が、この世界観は大きく「妙」を持つ。
無意識下にある作者の日常、そして宗教観などが入り混ざり、平明な言葉として発せられる。
これこそが私の述べている俳句の観察ー発見ー感動なのである。

炎昼やエレベーターの息づかひ
松浦美菜子
「森」祇園支部特選。
まず「エレベーターの息づかひ」という表現、措辞が見事である。
エレベーターの中にいる人間の関係性や距離感までもが様々に推測される作品である。
例えば男女二人にまだ距離があり、心臓の鼓動が聞こえやしないかという動揺、または二人が親密な関係にあり、吐息や汗までもが感じ取れるような密着感、もしくは二人きりが気まずい状況であり、息が詰まりそうな空間。
様々な憶測を詠み手に想像させる。
いずれにせよ、密室である狭い空間に流れるのは息を呑むような緊張感である。
又「炎昼」という季語にある炎える暑さが危険を孕む。
夏に起きる過ちのようなものも連想させる。

いかづちや紅を差すのを忘れたり
白川智子
「森」祇園支部特選。
作者の過去の作品に無い、色気の漂う作品。
女性がアイメイクや眉をしっかり描いていながら、口紅だけをつけていないのは未完成な女性の様子である。
季語の「いかづち」を平仮名にしたのも良い。
子供の時分、お臍を出していたら雷さまに取られるとよく言われたものだ。
不思議と何かそこに通じる観念がある。
閃光を放ち、不気味な音を轟かせる、自然現象の「いかづち」に畏敬の念を抱き、うっかり過ごしている日常の中、はたと気づかされるような感覚を常に持ち合わせるのは大切なことである。

掌(たなごころ)天道虫に占はせ
村田晃嗣
「森」中央支部特選。
掌という漢字には読み方が二通りあり、この作品で(たなごころ)と読ますと、もう一つの読み(手のひら)のような単純な意味合いでは無くなってくる。
(たなごころ)とは「手(た)の心」の意で、中国語の「手心」と同意であり、手中にあり、勢力の及ぶ範囲を表す。
掌の漢字本来の意がつかさどる、支配するとあるように、全ては作者の手の中に握られているのである。
この作品に流れているのは、目先のものにとらわれるのではなく、先の未来を見据え、全体を把握する『王者の頭脳と風格』であろう。
「天道虫に占はせ」という措辞が実に平明で、ある意味即興性を持たせている。
天運でさえも自分に引きつけるような、何か大きな力を感じさせながら、ふわっと昇華させた感覚がそこにある。
「天道虫」という取るに足らない小さな存在の季語にエネルギーを持たせ、祈りにも似た作者の行為が作品となった。

五体より朱滲ませて花柘榴
三谷しのぶ
「森」中央支部特選。
柘榴の花には結実して食するものと、鑑賞用の二種類がある。
果実の中に無数の種があることから、子孫繁栄の花とされる一方で、果実の毒々しい色から、忌み嫌われる一面もある。
この作品にある、「五体」から滲み出る「朱(あけ)」とは何であろうか。
訶梨帝母が子供をさらって食らうを止めさせるために、釈迦が代わりに柘榴の実を与え、鬼子母神になったというのは俗説であるが、この作品にはその世界観が根底にあるような気がする。
何か女の性(さが)や哀しみのようなものが溢れ出て、結実せずに「花柘榴」として咲く以外昇華させる方法が無いようにも思える。
いずれにせよ「五体より朱(あけ)滲ませて」という措辞に作者そのものが切実に自己投影され、季語の「花柘榴」によって昇華した作品。

星はるか天道虫の巡礼路
やまだふゆめ
「森」鴨川支部特選。
「天道虫の巡礼路」という措辞が哲学的でありながらファンタジーをもたらす作品。
巡礼とは聖地や霊場をめぐることである。
世界各国にはさまざな宗教があり、その聖地に向かって人々は旅をする。
日本では熊野古道や西国お遍路など、そこに存在するのは非日常と心の安らぎで、何かを得る為の路ではない。
作者の作品では、宗教や人種の壁は取り払われ、より心の澄んだ清らかな路であろうことは措辞の「星はるか」より推測できる。
「巡礼路」とは、目的よりも到達までの過程に意義があることに気づかされ、「天道虫」に象徴される、とるに足らない自分と広い宇宙との関わりを知ること。
作者独特の宇宙観、死生観がそこに存在する。

汗落ちて緑のにほひ蘇る
柴田春雷
「森」祇園支部特選。
汗が落ちた瞬間を見事に転換させた作品。
例えば、ミルクの上面にミルクを一滴落とした瞬間、王冠状になる現象のような、スローモーションの作品といえばわかりやすいであろうか。
汗がスローモーションのように落ちていき、呼応するように緑が生き返るという映像がはっきりと浮かぶ。
汗がまるで何かのエキスのように「緑のにほひ」が「蘇る」という感覚は鋭い。
夏の生命賛美のような作品でもあり、アニメーションの一瞬を切り取ったような作品でもある。
「ちひさきものいとをかし」の世界を大切にする作者らしい作品である。

十七文字に詰め込みすぎると焦点がぼやけてくる。
それを如何に客観視して相手に知らせるか、否か。
詠み手に如何に想像させるか、写生をすることで気持ちを昇華させるのである。

「森」俳句会は近日、会員数も増え、さらに充実した句会となっている。

今年「森」東京支部を開設する予定である。

俳句は言葉足らずでも、饒舌すぎてもいけない。
これは各企業のセミナーでも話していることであるが、相手の心に突き刺さる言葉がひとつあればいいのである。
それは決して多く饒舌ではいけない。
あとはそのひとつの言葉を引き立てるある意味、陰や褻(ケ)の言葉で良いのである。
それは詩歌のすべて。
又、俳句の世界でも同じである。

追記
現在は企業のセミナーやコンサルティングもいくつか行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の
引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また「森」句会とともに進めてまいります。

詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森俳句会」ホームページ
http://morihaikunokai.jp
尚、ご質問につきましては、
「森俳句会」
morihaikunokai@gmail.com
までお気軽にご連絡ください。
大森健司
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kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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