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2016年6月句会報

句会報の一部を紹介します。

吟行(席題:薔薇、花菖蒲、新緑)
薔薇一輪放して白き手が残る
大森健司
日曜の薔薇を探してゐたりけり
菅城昌三
緑さすきのふの道のつづくかな
西川輝美
薔薇園や隣の席は空ひてます
速水房男
滴りて方丈石の語りだす
渡部新次郎
新緑や抱擁する手震えをり
河本かおり
新緑やむかしばかりが光るなり
高木憂
星空の星よこぼれよなめくぢり
篠田和
短夜の酔ひ覚めてまた戻りけり
池上加奈子
本借りて真夏の坂を登りけり
佐藤美奈子
洗ひ髪心逸りて束ねたり
白川智子
軒簾過ぐ極楽の余り風
柴田春雷
己が影伸びて伸びてぞ西日落つ
平智之

今月は京都市立植物園にて吟行句会を催した。席題はその場で、薔薇、花菖蒲、新緑を出した。必ずそれぞれ一句は創ること。
花菖蒲が一番の咲きどころであったが、それだけでは難しいと思い、まだ少し早かったが薔薇を入れた。新緑は「緑」「緑さす」とも言います、と説明したのち、やはりその季節感を思わせる晴れた新緑の天候であった。
皆、即吟で創作しているのでそこは理解頂いた上で、鑑賞してもらいたい。

緑さすきのふの道のつづくかな
西川輝美
これは、「森」中央支部吟行、新緑の席題での特選句。
「新緑」「緑さす」というのは、やはり文字からしても、五月、六月までであって、七月以降は「茂」という表現が適している。
正に植物園内、全てが新緑に覆われていて、またそれぞれの木々によって微妙に異なった緑が風に揺れていた。
それを見事に一句に収めている。
「きのふの道のつづくかな」という、中七下五の措辞がなんとも良い。
そしてさりげなく緑さすという季語を入れることにより、句に嫌味がない。
これは「若葉」でも「万緑」でも成立はしない。新しい生命力の水々しさでは、やはり「新緑」に太刀打ち出来ない。
文句のつけようのない吟行即吟での輝美の一句。

薔薇園や隣の席は空ひてます
速水房男
これも「森」中央支部での特選。輝美と房男さんの二つが特選となった。
これが輝美なら分かるが、作者はいつも近江を詠んでいるだけに余計新鮮に感じた。
また作者の吟行即吟での実力を改めて知った。
薔薇園の周りには至るところにベンチが置いてある。座っているのは、大概老人。それも男性である。
山本健吉氏は
俳句は滑稽なり、俳句は挨拶なり、俳句は即興なり。
と説かれていた。
その観点からしてもこの滑稽さと自虐的でもある可笑しみはそれに値する。
非常に映像の復元と自己投影のある、即興俳句である。

新緑や抱擁する手震えをり
河本かおり
この句を見たときの妙な衝動を覚えている。
「新緑」という希望に満ち溢れている季語に対して、何かに震えている作者。
作者の心の底を見たような気がした。
この抱擁は対象はなんであっても良い。むしろ、そこは詮索すべきではなかろう。
赤ん坊でも良いし、異性でも良い。
しかし、爽やかな新緑の中に震える様を想像すると、不思議なひんやりした不気味さが生まれるのである。そこをかなり評価している。心情の吐露である。
これもまた即吟の良さといえよう。
心を一瞬ひやっとさせるある種の文学的作品である。

滴りて方丈石の語りだす
渡部新次郎
「森」洛北支部での特選。
方丈石とは、鴨長明の草庵(方丈)が建っていた下の大石のことを指す。この上で鴨長明はかの「方丈記」を執筆したと言われている。
場所は確か日野法界寺であったであろうか、定かではない。
それはさておき、この「滴りて」という季語によってこの作品は素晴らしく虚構と現実の世界の狭間で成立している。
見事である。
作者は写生句が得意であり、少し無頼でアウトローなところがある。その良さを存分に発揮している一句といえよう。

洗い髪心逸りて束ねたり
白川智子
この作品は女性ならでは、の作品。
俳句には名誉、肩書き、地位、年齢、性別は一切関係ないが、やはり女性らしさというものを感じる作品である。
これは好きな人の元へ、と向かうのだと捉える方がより美しい。
逸りては、はやりて、と読む。
この「心逸りて束ねたり」という措辞が、より一層、日本女性ならではの抒情ある美しさを引き立たせている。まだ乾いていないであろう黒髪、である。

軒簾過ぐ極楽の余り風
柴田春雷
この句を選句できるひとはまず少ないのでは、なかろうか。
これは「森」洛北支部での特選。
「簾(すだれ)」自体が夏の季語であるが、青簾、竹簾、絵簾、古簾など、数多く存在する。
現代で一般的なのは玄関や窓にかけて、日除けや目隠しの役目をする軒簾。
驚いたのは中七下五のその措辞である。
「過ぐ極楽の余り風」
なんと端的に凝縮された中に広がりのある言葉遣いであろうか、作者の文学的要素に驚きを覚えた作品。
「極楽」の「余り風」という言葉がなんとも絶妙で何度、舌や魂で転がしても飽きがこない。ある種の諦めにも似た達観と余裕の見られる作品である。

ここ1、2年の大森健司の初夏の作品を幾つかここに羅列する。

あるがまま生きて朝焼け泳ぎけり
ほとけとは無なりさみだれさみだるる
わが野性椅子にきしませ五月逝く
木下闇より縄文人の走り出す
黄金虫赤い言葉をこぼしけり
明け易の少女人魚に戻りけり

うすものを着て邯鄲の夢見たり
夏つばめ戦後は遠く近くあり
やがてくる死に緑さす光りあり
ちちははや夏のにほひの雨が降る


大森健司










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kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
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