2016年11月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(ゆく秋、銀河、柚子)

ゆく秋の脱皮骨から始まりぬ
大森健司
空港や銀河ゆく人混ざりたる
菅城昌三
秋惜しむマトリョーシカのがらんどう
西川輝美
コスモスやふらふら君に会いにゆく
速水房男
柚子転ぶ日影の先のひかりかな
森千花
行秋や肺は呼吸を拒みたり
河本かおり
銀杏散る日々に踵(きびす)を返すごと
井納佳子
銀河の下豆腐一丁買ひに出る
武田誠
星河にて我ら見守る先祖かな
松浦美菜子
柚子ひとつ結婚記念日過ぎにしも
山本孝史
青柚子よ眩しき朝に目が覚めて
池上加奈子
山茶花や小さき爪に灯がともる
白川智子
庭先の命はかなき柚子を見し
前川千枝
アグネスの煌めきとどけ銀河まで
臼田はるか
彼方より途切れてもなほ銀河かな
柴田春雷

空港や銀河ゆく人混ざりたる菅城昌三
この昌三の作品は以前にあった単なるサラリーマン的な俳句のペーソスとはまるで異なる。
空港は様々な人々、文化が交差する場所である。
そこに「銀河ゆく人」が混ざるというフィクションが非常に面白い。
またこの作品の中には言葉もすべて平明に使用している為、メディアによく見られる駄作の「作った感」、つまり作為も感じられない。
昌三の中では、特別優れた作品ではないが、微笑ましくもあり、昌三の崇拝する俳人・森澄雄氏のこころ説にも通じる作者の俳句に対しての重い対峙も同時に感じられる。
俳句には、従来より物に託する「もの説」。
事柄に託す「こと説」が存在する。それに対して森澄雄氏は心を詠む、「こころ説」に重きを置いた。
私、大森健司の原点もここにある。
脱皮は本来皮から始まるもので、骨から始まることは常識ではあり得ない。
あり得ないからこそ、そこに作品の存在の意味がある。
ゆく秋の脱皮骨から始まりぬ 大森健司

秋惜しむマトリョーシカのがらんどう
西川輝美
この一句だけでも、作者西川輝美の歩んできた人生の濃淡の深さ、重みを感じさせる作品となっている。
2008年、西川輝美出版句集『それでも夏が大好きで』の中では、
冷奴寄り寄り添ふことを怖れつつ
はまぐりや誰かを想ひ焼く夕べ
柿若葉午後のカフェーで書く手紙
夜濯ぎやそれでも夏が大好きで

とまだ初々しさとともに作品の甘さがそこにあり、それが輝美の当時の良さでもあったが、まだ俳諧から俳句としての昇華までには至っていない。
ここ数年、私が指導して以来、輝美の作品は俳句として深く成長を遂げている。
これが席題の「ゆく秋」ならば、特選では採っていない。席題の「ゆく秋」から更に推敲して、「秋惜しむ」にしたことに成功の鍵がある。
虚無感、寂寥感がさりげなく淡々と詠われている。淡々と詠われている良さが素晴らしい。この句はゆっくりと噛み締めて頂きたい。
他に、
声たてて自販機秋の夜を吐けり 輝美

コスモスやふらふら君に会いにゆく
速水房男
これも実に作者、速水房男らしい作品。
ふらふらとした作者の行為と季語の「コスモス」の取り合わせが絶妙。
前回の代表作ともいえる、
水澄んで呼ばれるままに行きにけり
には及ばないが、非常に微笑ましく好感の持てる作品である。

行秋や肺は呼吸を拒みたり
河本かおり
「森」中央支部での秀逸。
河本かおりの良さは「安全装置を外した俳句」というようなものであろうか。
どこか常に危うさを秘めている。
河本かおりは、これまで大病や病気を繰り返して力強く生きてきた。
その人生観は当然作品にも露呈される。
呼吸を拒むのは、「自然な肺の現象なのか」、「作者の意図として呼吸を拒んでいるのか」。これは読者の想像に任せる。どちらでも差し障りがない。
この作品を出したという事実だけが真実である。
席題のゆく秋(行秋)も非常に作品を際立たせている。

銀杏散る日々に踵(きびす)を返すごと
井納佳子
「森」中央支部での特選。
これは圧倒的に井納佳子の作品のレヴェルが上がったことを証明する作品。
季語の「銀杏散る」が素晴らしく良い。
これが「紅葉散る」では駄作となる。
銀杏の黄の世界が目の前に広がる。まだ樹々にふさふさとある銀杏。そして、道いっぱいに散った黄金の銀杏。
ここで、「踵を返す」という瞬間的な動の行為が入ることによって、この作品には伸びやかさ、素直さと共に意志の強さを感じさせる。
俳句の原点である、
①映像の復元
②リズムの良さ
③自己の投影
これれらがすべて揃った作品と言える。

銀河の下豆腐一丁買ひに出る
武田誠
新しく今月より開設された「森」祇園支部での特選。
俗である日常的な行為の「豆腐を買いに出る」というものと、聖なる「銀河」のコントラストが絶妙。
また映像も復元できる。
銀河の下は字余りであったが、そのままにした。少しばかり雄々しさのある、なんとも味のある作品となった。
今後、期待したい新人である。

アグネスの煌めきとどけ銀河まで
臼田はるか
「森」祇園支部に来てくれた新人女性。勿論、俳句は初めてとのこと。その場で席題の銀河の作品を創作したものである。
京都では冬の風物詩として、平安女学院のアグネス教会のイルミネーションがある。
放課後遅くまで残って飾り付けをする女学生達の姿が目に浮かんでくる。
少女の気持ちを忘れずにいたいのか、それとも懐かしんでいるのか、それは作者の心中だけで良い。
微笑ましく初々しいデビューとなった。

彼方より途切れてもなほ銀河かな
柴田春雷
確実に力をつけているひとり。
途切れたのは、思いなのか、人間(じんかん)なのか、銀河なのか。
そこは明確でなくとも良い。
が、しかしそこは思いである方が、季語の「銀河」の本質を捉え恩寵があり、良い。
陰と陽のバランスが良いのである。
切ない作者の刹那な思いを銀河が包む。
しかしながら、銀河も永遠ではない。
そこにまた新たな刹那が存在する。

俳句はたった17文字しかない最短詩である。
そこには作者の人生の瞬間を切り取りする行為によって、各々の人間の小宇宙世界がそこに存在する。
今、私は肉体、精神ともに非常に充実している。右脳と左脳とのバランスも人間は大切である。「晴耕雨読」とはよくいったものである。
俳句を通して多くの方々に本来、人間の持つ感受性の豊かさ、そして言葉の持つ本来の力を知って頂きたい。
そして何より人生を豊かに実りあるものにして頂きたい。
人生を豊かに実りあるものにするのは、お金でも地位でも名誉でもなく、まずは「幸せを、感じることの出来る心」を培うべきである。
それを俳句を通して実感して貰いたい。
つまり、意志でしかない。
大森健司

現在は企業のセミナーやコンサルティングも行なっております。
言葉の力というものは不可欠であり、非常に重要です。
いかにして短い言葉でインパクトを残すことが出来るか、ということです。尚、川柳や短歌にはない「季語」を勉強することによって言葉の引出しは確実に堅実に増えます。感受性も高めます。
また句会とともに進めてまいります。
詳しくはまたホームページをご覧のうえ、お問い合わせください。
「森」MORI
http://morihaikunokai.jp

2016年10月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(桔梗、十六夜(いざよひ)、水澄む)

いざよひや哀しきいのち箸に置く
大森健司
老夫婦無月に赤き花咲かす
菅城昌三
こころだけとほくにありて水の澄む
西川輝美
水澄んで呼ばれるままに行きにけり
速水房男
右ポッケなごりの秋をつめ込みて
森千花
十六夜や少しはみ出す紅拭ふ
河本かおり
天の川星なき我に汽笛鳴り
井納佳子
早朝の銀河が去りし枕元
松浦美菜子
光秀の面影追ひし桔梗かな
山本孝史
手をつなぎ銀河の下に影ふたつ
池上加奈子
あきかぜや行くも戻るも紙一重
白川智子
庭先の桔梗の影に苔茶伏す
前川千枝
鹿鳴くや夜の青きを見てゐたり
柴田春雷

老夫婦無月に赤き花咲かす
菅城昌三
無月とは、十五夜の名月が曇り空の為、見えないことを指す。
この句は虚構の中に真実がある。
この作品自体は作者のフィクションであろう。
しかし、「老夫婦」「無月」と「赤き花」との陰と陽のコントラストが良い。
良い作品というものは、陰と陽、文学的に言うと「ケ」と「ハレ」の交差の中に成立する。
そういった意味でこの「赤き花咲かす」というセンテンスが、月は見えなくとも満月の夜であることをアンニュイに感じさせる作品に仕上がっている。

水澄んで呼ばれるままに行きにけり
速水房男
これは「森」中央支部での昌三の並んでの特選の一句。
昌三よりも更に平明で素直で、且つ、季語の本質を捉えていて素晴らしい。
これは自己投影以上に作者の人柄を感じる作品。
微笑ましくもあり、手垢の全くない作品。
席題の「水澄む」とは、台風や長雨の過ぎた秋の深まりに、川、池、沼、水かめの水。そして台所の器の水までが澄んだ感じがすること。
澄んだ自然の摂理に逆らうことなく、導かれるままに歩んでゆく作者の生き方が全面にみえる素晴らしい作品である。
他に、
川越へて釣瓶落しの花街(かがい)かな
陽も月も届かぬ星の曼珠沙華


右ポッケなごりの秋をつめ込みて
森千花
他に、
風つよし金糸銀糸のすすきかな
秋時雨秋を深めて仕上げけり
結梗咲き我欲なき色美(うま)しけれ

がある。
高得点句は、
桔梗咲き我欲なき色美(うま)しけれ
桔梗は結梗とも書く。
まず美(うま)しけれ、という表現が良い。
桔梗の紫の格調の高さを女性ならではの憧れの視点と共に柔らかくも大胆に表現している。
いつも色とりどりイメージのある作者だが、これは秋の紫一色が際立つ作品。
また、
右ポッケなごりの秋をつめ込みて
秋は実りとそれが去る相反する季節。それを初心を忘れることなく創作している。
こういった奇を衒うことなく、初心のこころでつくり続けることは簡単なようで容易ではない。

十六夜や少しはみ出す紅拭ふ
河本かおり
これも「森」中央支部での秀逸。
限りなく特選に近い。
この「紅」は具体的な女性の口紅、もしくは女性が持つ「紅」そのものであっても良い。
季語の「十六夜」とその後の措辞が絶妙であり、映像の復元もしっかりと為されている。
拭いとった布、もしくは紙、そして掌。
月明りだけの薄暗い闇。
それを明確にイメージさせる。
これもまた女性のアンニュイな色気ある一面を切り取った作品。
この作者は言葉というより、センテンスの組み合わせの巧みさは秀でている。
「森」の中では、菅城昌三の創作の方法に少し似ていると言えるだろう。

鹿鳴くや夜の青きを見てゐたり
柴田春雷
森「洛中」支部特選の作品。
夜の青きを見ているのは、鹿なのか作者自身なのか?
そこは明確にすべきではない。
詠み手に委ねて良いだろう。
季語の「鹿鳴くや」と中七、下五の組み合わせが絶妙。夜の青という措辞も良い。
確実に実力をつけているひとりでもある。
他に、
秋晴れや履き慣れた靴捨てきれず
十六夜や手を振れど父振り向かず

があり、全て秀吟。

小林秀雄の対談集で大岡昇平との中に以下の内容があった。
ー以下、小林
ぼくはとにかく人を説得することをやめて25年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ。人をほめることが、道が開ける唯一の土台だ。このごろ人にはそれだけの道しかないように思っているんだけれども、何でもいいから僕の好きなものは取る。人から取るの。そうゆう道はあるよ。だから、説得をやめてというのは無関心になったわけじゃないんだ。取れるものは取ろうと思いだしたんだよ。ずいぶん昔のことだけれど、サント・ブーヴの「我が毒」を読んだときに、黙殺することが第一であるという言葉にぶつかったが、それがあとになって分かったな。お前は駄目だなんていくら論じたって駄目なことなんだよ。全然意味をなさないんだ。
自然に黙殺できるようになるのが、一番いいんじゃないかな。

「自然な黙殺」というのは、本来の俳句にも通じることではないか、と感じている。
今の世間や俳壇での俳句作品は無駄に饒舌すぎる。それでは余白が生まれない。
遊び心もない。
それはそれで楽しくないのではないか、飽きを早まらせるのではないか、と大いに感じる。


大森健司

2016年9月句会報

句会報の一部を紹介します。

席題(秋晴・秋めく・新豆腐・鬼灯)

新豆腐花影しづかにありにけり
大森健司
新豆腐はじらひ水に捨てにけり
菅城昌三
こころざし新たに檸檬懐(ふとこ)ろに
西川輝美
秋晴れの湖の向こうはなかりけり
速水房男
水澄みて蒼きばかりの空浮かぶ
渡辺新次郎
水澄みて衣ずれの音もすけるなり
森千花
陽だまりの記憶をたどり新豆腐
河本かおり
秋めいてセピアな映画に台詞(セリフ)あり
井納佳子
鬼灯や夕暮れに傘ひらくなり
高田真司
想い出をかきまぜ鳥の渡りくる
篠田和
新豆腐つらなる山の雫かな
池上加奈子
秋晴れや暮らしの手帖読んでいる
佐藤美奈子
柔肌に触れどつめたき新豆腐
白川智子
秋時雨夢のあとさき置き忘れ
柴田春雷

お知らせ
「森」ホームページ更新致しました。
まず、句会日程が変更致しました。
入会金:無料
月謝:月 5000円

いずれか月に1回です。

初心者クラス
第2金曜日 14:00〜17:00 京都大学,左京区 (満席)
第2日曜日 14:00〜17:00 烏丸五条,下京区(定員あと4名)
第3日曜日 14:00〜17:00 烏丸五条,下京区(定員あと4名)
最終金曜日 14:00〜17:00烏丸五条,下京区 (定員あと2名)

上級者クラス(初心者の方も大歓迎です)
第一日曜日 12:00〜15:00 千本一条,上京区(定員あと1名)

時間、日時等ご都合のつかない方はメール、又はお電話ください。
句会を流動的に移行させて頂きます。
「森」俳句会では本式ですので、基本出句は10句ですが、出来ない場合は1句でも構いません。
俳句は「座」の文芸です。
その場の空気をお楽しみください。

気軽にお問い合わせください。
morihaikunokai@gmail.com

大森健司

ちょっとしたアニメのはなし

今、TSUTAYAレンタルで宮崎駿作品を借りようとすると、、、
ない?!!
と思ったらジブリ総選挙なるものをしている模様。
1位は「千と千尋の神隠し」であるようだ。
異論はないが、個人的には「耳をすませば」「ハウルの動く城」「風立ちぬ」の方が好きである。「千と千尋の神隠し」はキャラクターにそれぞれメタファーがあって、現代社会を上手く反映させている。つまりそこに意図が見えてしまうつまらなさがある。
ポスト宮崎駿と言われる新海誠。
なんでもポスト何々と付けてしまうのは日本人とメディアの悪い癖。宮崎駿氏にも新海誠氏にも失礼にあたる。
10年程前、東京在住時に「秒速5センチメートル」を教えてもらい感銘した。どうも新海誠は文学部卒業で和歌や俳句に関心があるらしく、万葉集や新古今和歌集等に造詣が深いようである。タイトルや台詞、世界観にもそれは顕著に表れている。以降「言の葉の庭」、そして今回の大ヒット作品となった「君の名は。」に至る。どれも素晴らしいの一言につきる。
日本のアニメーションは世界に誇れるものである。
これをまた何でも実写化するのは本当に幻滅するのでやめて頂きたい。
漫画やアニメーションは虚構と現実を彷徨うという良さがあって、生身の人間が演技しようと、それは不可能に近い。また素晴らしい作品を描く人の背景には莫大な読書量や知識、抽斗があり、それを何も知らない俳優や監督、プロデューサーが同じ様に振る舞おうとする行為は烏滸がましく冒涜である。「四月は君の嘘」、そしてこれから上映される「ジョジョの奇妙な冒険ーダイヤモンドは砕けない」。本当に実写化は観る気がしない。
アニメーションには実写以上に美しい世界観と宇宙観が存在する。
漫画とアニメーションを愛する者のひとりとして、本当に実写化は幻滅する。ドラマで近年の中で面白かったのは坂元裕二脚本「最高の離婚」。面白く、切なく、深い。ドラマはオリジナルの脚本が断然に良い。DVDを友人に貸したが、まだ返ってこない、笑。

2016年8月句会報

句会報の一部を紹介します。

耳朶(みみたぶ)や晩夏の風が過ぎにしも
大森健司
青嶺より脈打つ水を掬(すく)ひけり
菅城昌三
遠くきて遠き思ひの籐寝椅子
西川輝美
三伏やもののけの森出でられず
速水房男
夏の川二の腕まぶし人の妻
渡部新次郎
炎(ほむら)の苦絵筆に沈め安居かな
森千花
百日紅きのふの熱をこぼし落つ
河本かおり
団扇手にいちばん星をただ見上げ
井納佳子
夏つばめ絶えずひかりの通りすぎ
前川正美
我が胸の翳(かげ)りぬぐえぬ夕焼けかな
篠田和
一本の雨よりゆだちうまれけり
池上加奈子
かなぶんの刺さる網戸や息果てぬ
佐藤美奈子
実山椒機を待たずして爆ぜにけり
白川智子
香しき蘭香(らんか)の主(ぬし)の姿なき
柴田春雷
箱ひとつ我が身ひとつの更衣
平智之

青嶺より脈打つ水を掬ひけり
菅城昌三
これは「森」中央支部での唯一の特選句である。
まず、躍動感が素晴らしい。それでいて十七文字の中に隙がなく、無駄が無い。
尚且つ、映像の復元もあり、リズムも良い。
奇をてらうことなく真っ直ぐな昌三の部分が垣間見えるここ近年の昌三の中でも珍しい作風。
今でも覚えている。
遠青嶺あそこが僕の小学校
これは昌三がまだ句会を初めて出た同志社大学在学中の作品であり、当時俳句結社「河」副主宰の吉田鴻司氏が並選に採られていたのを記憶している。
その後、同じく「河」全国大会にて角川春樹氏の特選句となった、
鳥渡るポプラは空へ伸びてをり
で全国デビューすることになった。
今回の青嶺の作品は、この句の延長線上にある秀吟と言える。
あれから二十年以上経って、昌三の作品は進化し続けているということである。

遠くきて遠き思ひの籐寝椅子
西川輝美
これは、「森」中央支部での秀逸。
限りなく特選句に近い。ここ数ヶ月の輝美の作品を振り返ってみるとその上達は眼を見張るものがある。
一筋の影を出られず青蜥蜴
船遊こぼるる星をつなぎとむ
海の音をこぼしてゆきしパナマ帽

すべて素晴らしい。
まず、季語に「ぶれ」が無い。
これまでの輝美の作品の特徴としては季語が曖昧であり、浅く、良く言えば素人に分かりやすい作品であった。
が、しかしここ最近、輝美の作風は変化してきている。それは精神的な成長なのか、技巧の上達なのかは分からない。
しかし少なくとも俳句の命である「季語」というものの重き、飯田龍太氏の言う恩寵(おんちょう)の大切さを感じ始めているように思われるのである。それは見事である。

夏の川二の腕まぶし人の妻
渡部新次郎
「森」洛中支部での秀逸。
健康的なエロティシズムが存在する。その成功の秘訣のひとつに季語が「夏の川」であること。
これが「夏の海」だと目も当てられない駄作となる。季語は「付かず離れず」が基本。そういった意味で夏の海は「付きすぎ」になってしまうのである。
またこの作品は技巧的小細工が全くない。
しかし、このエロティシズムには不思議な計算のないからくりが存在する。措辞としての「二の腕まぶし」「人の妻」。つまり取り合わせの妙が絶妙なのである。
詠み手としても気持ちのいい一句。
他の作品に、
炎天や墓から陰へ猫そろり

百日紅昨日の熱を残し落つ
河本かおり
これは「百日紅」の本質をしっかりと捉えている。
同句会で速水房男さんの、
散るほどに路地濡らすかなさるすべり
という作品があった。
同じく秀逸であるが、こちらの「昨日の熱を残し落つ」のがより、本質を捉えていて良い。
措辞として「昨日の熱」が巧みである。
真夏日、炎昼の生活風景、自然風景も背後にしっかりと反映されていて夏という言葉は一語もなくとも燃ゆる大地を彷彿とさせる。
写生の本質を見事に十七文字の世界観におさめている。

団扇手にいちばん星をただ見上げ
井納佳子
非常に素直で瑞々しい作品。
ただ奥行きと抒情感に欠ける。
先月の作品である、
紫陽花の爪に映した下駄の音
こちらの方が数段素晴らしい。
彩りと音。五感全てを刺激する秀吟。
「爪に映した」は季語の「紫陽花」にかかっていると判断する。
何とも言えない女性の奥ゆかしさを見事に昇華させた一句。
下五の下駄の音によってロマンティック過ぎない加減も絶妙に良い。
ここ最近の作者の代表作とも言える。

夏つばめ絶えずひかりの通り過ぎ
前川正美
「森」京都大学支部の特選。
季語の「夏つばめ」と「絶えずひかりの通り過ぎ」に、青春の疾走感を感じた。
句が輝いている。
栄光と破滅。
これは表裏一体にあるが、まだそれを知らない良さがそこに存在する。
ただ純粋にこの清々しい作品を吟味して頂きたい。
これからさらなる飛躍に期待している。

箱ひとつ我が身ひとつの衣更
平智之
我が身ひとつの衣更、だと類想はあるが、そこに「箱ひとつ」となると例をみない。
そのには作者の人生観、世界観、そして確固たる意志を見る事が出来る。
やはり男性らしい作品。
「らしさ」というものは大変重要だと思っている。
現代はすべてがジェンダーレス、ボーダレスな時代になってしまい、「男性らしさ」「女性らしさ」「若者らしさ」「子どもらしさ」というものがどんどん喪失されてしまっているように思われる。女性の地位向上には賛同するし大いに活躍して頂きたい。が、しかし、これは差別ではなく「女性らしさ」というものは芸術に限らず、人生観として非常に大切な役割を担う。男性もまた然りである。
「らしさ」というものは非常に重要なのである。季語はひとつひとつ違う。分かりやすく言えば「桜」には「桜」の良さ、「梅」には「梅」の良さ、「菊」には「菊」の良さがある。各人一人一人の個性は皆違う。それでいて、良いものには普遍的に皆共感する。他の個性に共感するという普遍的な働きを持っている。
それを本当の意味で育てるのが、私の俳句の指導者としての務めであり、宇宙から与えられた役割でもあると認識している。

大森健司










プロフィール

kenjiomori

Author:kenjiomori
俳句結社「森」主宰、大森健司のブログ★受賞多数。
お気軽に覗いて下さい。
お問い合わせは「森」ホームページ にて。

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